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植民地期台湾で活動した日本人の足跡(レファレンス事例・ツール紹介(9)):アジア情報室通報 16巻1号

アジア情報室通報 第16巻1号(2018年3月)
水流添 真紀(国立国会図書館関西館アジア情報課)

本誌では以前、「植民地期の京城(現・ソウル)の地図(レファレンス事例・ツール紹介 4)」[1] をご紹介しましたが、植民地期台湾に関する情報をお探しの方も多いようです。  本稿では、下記の質問を例に、日本統治期の台湾に関する情報、特に人物情報や地名・地図を調べる方法をご紹介します。

①日本統治期の台湾で教師をしていた秋吉音治氏の経歴

②同氏が勤務していた学校の場所や様子

*【 】内は当館請求記号、ウェブサイトの最終アクセス日は2018年2月7日です。

1. 人物情報の調査

質問①の場合、調査の糸口は複数考えられます。例えば、台湾の人物情報、日本統治期台湾に関する各種資料、旧外地の公文書、などが考えられます。

これらに関して、当館のリサーチ・ナビでは、次のような「調べ方案内」を公開しています。

  • 台湾の歴史上の人物を調べる[2]
  • 公務員(官吏)の人物情報を調べる(戦前編)[3]
  • 人物文献(伝記など)を探す(日本)[4]
  • 台湾所在の植民地期日本関係資料の調べ方[5]
  • 台湾の公文書(档案)を調べる(1) 明清~日本統治期[6]
  • 旧外地官庁資料の調べ方:朝鮮・台湾・関東州[7]

まず、「台湾の歴史上の人物を調べる」の中の「3. 日本統治期(1895-1945)」で紹介している下記の人名辞典、人物データベースを用いて調べます。

『台湾人名辞典』(台湾新民報社編、日本図書センター, 1989.5)【GE12-E4】
日本語資料。『改訂台湾人士鑑』(台湾新民報社, 昭和12年刊)の複製で、日本人・台湾人約2,300名を収録しています。五十音順の索引があります。

近現代人物資訊整合系統
http://mhdb.mh.sinica.edu.tw/mhpeople/index.php
台湾の中央研究院が提供する人物データベースで、英語版もあります。「日治時期台灣人士紳資料庫(1915-42)」には『臺灣列紳傳』など16種の人名録から約5,800名の人物情報を収録、「日文人名錄(1910-1960)」には十数種の人名録から日本人を含む約33,000名を収録しています。人名検索も可能です。

臺灣總督府職員錄系統
http://who.ith.sinica.edu.tw/
台湾の中央研究院が提供するデータベースです。明治29(1896)年から昭和19(1944)年の間に刊行された台湾総督府の職員録の画像を閲覧できます。人名、官職名などでの検索のほか、年ごとに各部局の構成員を一覧表示することもできます。

これらのツールで検索したところ、「臺灣總督府職員錄系統」で秋吉音治氏がヒットしました。同氏に関するデータは4件あり、大正8(1919)年から大正9(1920)年にかけて、「臺北高等女學校」で勤務していたことが分かります(図1)。さらに、「調閱影像」をクリックして個々のデジタル画像を閲覧すると、学校長を務めていたことも確認できます(図2)。

図1 「臺灣總督府職員錄系統」での検索結果

図2 「臺灣總督府職員錄系統」のデジタル画像の一部

また、日本語資料からも、秋吉氏の情報が得られます。国立国会図書館オンライン(以下、「NDLオンライン」という。)で同氏の氏名で検索すると、『日本産業人名資料事典II 第1巻』日本図書センター, 2002.12【D6-H9】の目次データがヒットします。この資料を参照すると、「[大正]七年十二月臺灣総督府臺北高等女學校長に轉じ同十年三月退官す」(アの部p.14)等とあり、経歴が確認できます。

2.  地図の調査

質問②について、台北高等女学校の場所を地図で確認します。学校名の下に記載のある「臺北城内南門街(二九二)」を手掛かりに、調査を進めます。調べ方案内「台湾の地図(日本統治期)」[8]で紹介しているツールを参照します。

臺灣百年歷史地圖
http://gissrv4.sinica.edu.tw/gis/twhgis/
台湾の中央研究院が提供しています。台湾全体および台北、高雄など11都市の1895年から現代までの様々な地図を閲覧できます。現在の地図の上に過去の地図を重ねて表示・比較する機能もあります。『日治十萬分一臺灣圖』や都市地図、航空写真などを収録しています。

当該サイトの「図階」メニューから、台北の地図を1919年から1945年まで年代を追って確認したところ、高等女学校は一貫して同じ位置にありました。ただし、地名については「臺北市區改正圖」(1919年)では南門街、「改正町名臺北市街圖」(1922年)では文武町と表記されており、町名が変更されたことが分かります。また、1922年頃 に、校名が、第一高等女学校に変更されていることも分かります[9]

次に、秋吉音治氏が在職していた高等女学校について、校名の変遷やその他の情報を、他の資料で確認します。

3. 台湾の教育史

台湾の女学校について調べるため、「台湾 女学校」「台北 高等女学校」などのキーワードでNDLオンラインを検索し、次の資料を参照します。

山本禮子 著『植民地台湾の高等女学校研究』(多賀出版, 1999.2)【FB54-G19】
高等女学校の沿革、回想、卒業生へのアンケート調査等を収録した学術書です。

阿部洋 編『日本植民地教育政策史料集成 台湾篇』(龍溪書舎, 2012.12)
第63巻【FB54-L9】には「(台北第一高等女学校)創立二十五周年記念」(昭和4(1929)年10月)を収録しています。秋吉音治氏の回想が掲載されています。

『台北第一高女ものがたり』第2版(台北第一高等女学校同窓会みどり会, 1999.2)【FC36-G222】
同校の同窓会から出版された資料で、学校の沿革、当時の回想、写真等が掲載されています。秋吉音治氏の肖像も掲載されています。

『楝花盛開時的回憶 : 日治時期畢業紀念冊展圖錄.』第1-4冊(國史館臺灣文獻館, 2005.12)【FB54-C415】
植民地期台湾における教育課程、制服、修学旅行などについて、卒業アルバムの写真を豊富に引用して解説するとともに、関連する法令、学校一覧等を収録しています。なお、本書は当時の台湾人向けの学校[10]の卒業アルバムを中心に収録しており、今回の調査対象である台北高等女学校の写真は掲載されていません。

これらの資料から、同校の名称が次の表のように変遷したこと、当時の様子、また、現在は台北市立第一女子高級中学として存在していることなどが分かります。なお、同高級中学のウェブサイトには、第2代目校長である秋吉氏の写真も掲載されています[11]

表 台北第一高等女学校の沿革

校名
明治40 (1907) 台湾総督府中学校附属高等女学校
明治42 (1909) 台湾総督府高等女学校
大正 6 (1917) 台湾総督府台北高等女学校
大正10 (1921) 台北州立台北第一高等女学校

(出典)前掲 山本『植民地台湾の高等女学校研究』pp.84-85から筆者作成。

まとめ

今回の事例では、人物情報、地図、教育史と、様々な情報を調査しました。手順をまとめると、次のようになります。

  • 人物情報を、職員録データベース等から得る。
  • その人物の勤務校の位置を、各年代の地図で確認する。
  • 勤務校の名称の変遷等を、台湾の教育史に関する資料で確認する。

台湾など旧外地に関しては、日本国内だけでなく、現地に有用な情報源が存在し、かつウェブで公開している場合があります。ただし、日本関係の情報とはいえ、海外のツールの存在を、一から探して調べるのは困難です。

当館のリサーチ・ナビの「調べ方案内」や「AsiaLinks-アジア関係リンク集」では、海外の情報源にも目配りして有用なツールや効果的な調べ方を紹介していますので、調査の手がかりとして、ぜひご活用ください。

(つるぞえ まき)


[1] 福山潤三著、『アジア情報室通報』14巻4号, 2016.12, pp.7-9.
http://rnavi.ndl.go.jp/asia/entry/bulletin14-4-2.php

[2] 以下、本稿の注記では、本文中に明記している情報源の作成者及び名称の記述は省略します。
http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-asia-19.php

[3] http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/post-771.php

[4] http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-101121.php

[5] http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-asia-116.php

[6] http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-asia-133.php

[7] http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/post-781.php

[8] http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-asia-55.php

[9] このほか、次の資料で戦前期台北の地図が確認できます。『近代中国都市地図集成』柏書房, 1986【YP7-130】には1927年当時の地図(p.104)が、『中国商工地図集成』柏書房, 1992【YP7-158】には1936年当時の地図(p.26)が、『台湾鉄道旅行案内』台湾総督府交通局鉄道部, 1935【292.24-Ta1653t2】(国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1875798/51)には「臺北市街略圖」(51コマ目)が、それぞれ収録されています。いずれにおいても、第一高等女学校は、総督府庁舎の南東に位置しており、地名は、文武町となっています。

[10] 台湾総督府における初等教育は、日本人向けの小学校と台湾人向けの公学校に分かれていました。中等以上の教育機関は、大正11(1922)年の「台湾教育令」により、日台共学とされました。
遠流台湾館 編著『台湾史小事典 第3版』中国書店, 2016.11, pp.151, 183.【GE8-L11】

[11] 歷屆校長(臺北市立第一女子高級中學)
http://www.fg.tp.edu.tw/files/11-1001-584.php

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