電子展示会 本の万華鏡

第8回本の万華鏡 津波―記録と文学― 第1章

2011年11月16日
リサーチ・ナビ本の万華鏡第8回 津波―記録と文学―>第1章

第1章 津波の記録―明治三陸地震津波と昭和三陸沖地震―

 

  被災地では詳細な被害状況や救援活動の記録を残しています。ここでは三陸地方の記録資料を中心に紹介します。

目次

 

第1節 明治三陸地震津波(明治29年6月15日 旧暦5月5日)

津波到達地域と震源(宮城県海嘯誌より)

津波到達地

  明治29年6月15日、岩手県沖でマグニチュード8¼の地震が発生しました。地震による直接的な被害はありませんでしたが、津波が北海道から牡鹿半島にいたる海岸に来襲し、死者は21,959名、家屋流出全半壊1万戸以上、船の被害約7千隻という多大な被害をもたらしました。津波の高さは38.2mにも達したところもあり、さらにハワイやカリフォルニアにも波及しました。

 

<宮城県>

1)宮城県海嘯誌 / 〔仙台〕: 宮城県,明治36(1903) 【YDM56838】[近デジ]

自書潮儀(検潮儀)

  本書は宮城県が作成した記録で、災害編、究理編、救済編、雑録の4章で構成されています。右は災害編にある宮城県陸前国牡鹿郡鮎川村潮候という表です。これは牡鹿郡鮎川村にあった陸軍陸地測量部の設置した「自書潮儀」(検潮儀:潮の干満による海面の高低を自動的に測定する機械)の記録です。初めに大津波が何度も押し寄せ、徐々に低くなりながらも翌日の午前中まで津波が続いた様子がわかります。図の解説文には「八時三十分に至りては突如として襲来せし激浪は一米四〇(四寸六分)余の高度に昇り凡そ五分間にして降下し爾後四五分毎に一昇一降其状宛も不規律なる鋸歯の如く或は駢列せる犬牙の如し」とあります。
  また、救済編によると、翌16日に宮城県知事は自ら被災地へ視察に向かい、19日に帰庁し、その翌日には本庁内に海嘯臨時部を立ち上げています。知事が先頭に立って、県をあげての組織的な救援活動を展開した様子が詳細に記録されています。

 

  『宮城県海嘯誌』の被災地の地図には赤十字社仮病院の印があります。日本赤十字社宮城支部は被災地に医師や看護人を派遣し、各地に仮病院を設置しました。

2)日本赤十字社宮城支部海嘯救護記事 / 日本 赤十字社宮城支部編,明治31(1898) 【YDM39862】[近デジ]

本吉郡大谷村の仮病院

日本赤十字社仮病院

  本書は日本赤十字社宮城支部の救援活動の記録です。赤十字社仮病院は11か所設けられ、7月31日まで救護にあたりました。「救護員派遣」の項では日本赤十字社の医師や看護師の数だけでなく、他に陸軍や医学部教員学生の数の記録や、篤志救護員も多数集まり、中には外国人もいたとの記述があります。また「海嘯惨状ノ図」には、被災地の絵とその解説が多数掲載されています。

 

<岩手県>

山奈宗真肖像

山名宗真肖像

  岩手県もこの津波により大きな被害を受けました。遠野町に住む山奈宗真(やまなそうしん) は、自ら津波の被害調査を県に志願して被災地を調査し、約40日間で総延長約700㎞という広範囲を踏査して、詳細な記録をまとめました。その記録のうち7点は明治36年12月20日に帝国図書館(現国立国会図書館)に寄贈されています。寄贈された7点の書名と【請求記号】は以下の通りです。

1.三陸大海嘯岩手縣沿岸見聞誌一班【224-129】
2.岩手縣沿岸大海嘯部落見取繪圖【224-132】
3.大海嘯各村別見取繪圖【224-131】
4.巖手沿岸古地名考【YD-古-3797】
5.地價沿革誌【236-12】
6.三陸大海嘯岩手県沿岸被害調査表 (明治二十九年七月十日調)【YDM56334】[近デジ]
7.岩手縣沿岸大海嘯取調書【404-17】
  ※1~5は現在、古典籍資料室で所蔵しています。

山奈が当館に寄贈した7点から2点を紹介します。

3)三陸大海嘯岩手縣沿岸見聞誌一班 / 山奈宗眞[編], [明治30(1897)] 【224-129】

陸中国釜石町

陸中国釜石町

  本書には山奈が調査した41町村の被災状況と地図が収録されています。右は陸中国釜石町の地図です。海や川が青、浸水地域が黄、畑や宅地が赤、山野が緑と色 が手で付けられています。海上の矢印は津波の侵入した方向を表しています。赤い四角と線は鉄道ではなく、民家所在地と道路を示すものです。

4)三陸大海嘯岩手県沿岸被害調査表 (明治二十九年七月十日調) / 山奈宗真調, 明治29(1896) 【YDM56334】[近デジ]

  本書は6つの表で構成されており、被害状況だけでなく津波襲来後の各町村、集落の人口や家屋、寺、役場、学校、田畑、船舶、漁網漁具、家畜、水産加工所の現存数もわかる内容となっています。

 

5)津波をみた男 : 一〇〇年後へのメッセージ / 大船渡市立博物館編  大船渡 : 大船渡市立博物館, 1997.3【ME75-G47】

  山奈宗真についての展示会の図録です。当館所蔵の「岩手縣沿岸大海嘯部落見取繪圖」を集落ごとに解説、展示会当時の地形図と写真を付して紹介しています。
   本書によれば、明治29年7月27日に山奈は「海嘯被害地授産方法取調として沿岸各郡巡回を嘱託す」という岩手県からの委任を受けて、翌日には被災地へ調査に向かいます。「授産方法取調」とあるように、この調査は単なる被害状況の記録だけではなく、被災地の産業を復興させる手掛かりを得るためのものでした。
   山奈は養蚕や馬や牛の品種改良の研究を重ね、製糸場や農業試験所を作り、牧場を経営する実業家でした。さらに当時、全国唯一の私立図書館とされた信成書籍館を設置するなど、文化の面でも尽力しています。『山奈宗真略伝』(鈴木吉十郎編  遠野町(岩手県) : 上閉伊郡農会, 明44.4【YDM7471】)には津波調査に関する記述はほとんどありませんが、山奈の生い立ちや実業家としての実績が詳しく書かれた資料です。

 

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第2節 昭和三陸沖地震(昭和8年3月3日)

  昭和8年3月3日午前2時32分14秒に、三陸沖でマグニチュード8.1の地震が発生しました。地震による被害は少なかったものの、津波が太平洋岸を襲い、三陸沿岸の被害は極めて大きく、死者・行方不明者3,064名、家屋流出・倒潰・浸水などの被害が約1万戸にも及びました。波高は綾里湾で28.7mにも達しました。

<中央気象台>

6)三陸沖強震及津浪概報 / 中央気象台編  東京 : 中央気象台, 昭和8(1933) 【YD5-H-14.6ニー324】[近デジ]

  本書は津波から10日後の昭和8年3月14日に発行されたことからもわかるように、短期間で編集された概報です。中央気象台では、津波の翌日に技師や技手を宮城県、岩手県に派遣し、その実地調査の概要を概報として発行しました。昭和三陸沖地震の震源や津波についての科学的な調査報告となっています。

 

7)三陸沖強震及津浪報告. 昭和8年3月3日 / 中央気象台編  東京 : 中央気象台, 昭和8(1933) 【YD5-H-14.6ニー330】

  6)の概報の後、昭和8年8月25日に発行された報告書です。冒頭の「口絵」には津波の浸水域や高さが記載された地図、写真、各地の地震計や検潮儀の記録などが多数収録されています。概報では踏査報告は岩手県のみでしたが、本書には宮城県から北海道まで各地の測候所からの報告が寄せられています。また、筑波山測候所から観測された津波に伴う発光現象についての報告や、津波発生時に海上を航行していた船からの報告もあります。

 

<宮城県>

8)宮城県昭和震嘯誌 / 室谷精四郎編  仙台:宮城県, 昭10(1935) 【697-92】

復興ポスター

復興ポスター

  1,144ページにわたる大部な報告書です。総説、被害、応急措置及救護、復旧・復興、雑録の5編から成ります。巻頭には写真や地図、図面、統計などが多数あり、中にはバラックの設計図や右の復興ポスターなども含まれています。
  第三篇応急措置及救護の第三章帝国議会における決議では、衆議院で内務大臣山本達雄が被災地の状況について説明した様子や、「震災被害者に対する租税の免除猶予等に関する法律案」の審議の様子がまとめられています。

 

 

  国立国会図書館ホームページの「帝国議会会議録」から、法律案が成立するまでの会議録を見ることができます。
(ページ数は画像の左下または右下に漢数字で表記されています。)

日付

院名

会議名

ページ数

昭8.3.4

衆議院

本会議:内務大臣より震災の大略を報告

435-436

昭8.3.14

衆議院

本会議:震災被害者に対する租税の免除猶予等に関する法律案(政府提出)

601-602

昭8.3.15

衆議院

震災被害者に対する租税の免除猶予等に関する法律案委員会第1回

1-10

昭8.3.16

衆議院

震災被害者に対する租税の免除猶予等に関する法律案委員会第2回

1-10

昭8.3.16

衆議院

本会議:震災被害者に対する租税の免除猶予等に関する法律案(衆議院可決)

656-657

昭8.3.17

貴族院

本会議:震災被害者に対する租税の免除猶予等に関する法律案(衆議院送付)

319

昭8.3.18

貴族院

地租法中改正法律案特別委員会

1-4

昭8.3.20

貴族院

本会議:震災被害者に対する租税の免除猶予等に関する法律案(貴族院可決)

344-345

 

9)宮城県下に於ける三陸沖強震及津浪調査報告 / 石巻測候所編  石巻 : 石巻測候所, 昭和8(1933) 【14.6ニ-325】[近デジ]

  地震により被災地では通信網が断裂し、被災地の状況が把握できなくなってしまいました。石巻測候所では、すぐに調査員を6班に分けて県内各地に派遣して現地調査にあたらせました。本書は各班の踏査報告と地震、津波の研究報告で、昭和8年3月30日に発行されました。巻末の「地震津浪膝栗毛」には調査員が被災地で聞いたこぼれ話、津波や被害状況への考察などがあります。

 

10)〔宮城県立農事試験場〕彙報. 第6号 海嘯並旱魃対応試験成績 / 宮城県立農事試験場編  仙台 : 宮城県立農事試験場, 昭和9(1934) 【YD5-H-14.2イ-977 】

  本書は昭和8年の昭和三陸沖地震による津波被害と旱魃による農作物の被害状況や対応をまとめた研究報告です。前半は津波被害を受けた農作物への被害状況や、土壌調査とその改良、その後の農作物の生育状況の報告となっています。津波の来襲が早春であったため、被害を受けた主な農作物は大麦、小麦、桑でした。浸水したほとんどの地域では、作物の草丈が伸びず、収量は減少しました。しかし、一部地域では収量が浸水のなかった土地よりも多く、「海水の少量の侵入は生育を促進せしめる傾向がある。」という報告もあります。浸水した畑で育った作物と通常の作物の比較写真も掲載されています。

 

<岩手県>

11)岩手県昭和震災誌 昭和8年3月3日 / 岩手県編  〔盛岡〕 : 岩手県, 昭和9(1934) 【650-307】

  岩手県でも1,212ページもの記録を発行しています。総記、被害並応急措置、救護応援、復旧事業、雑纂、の5編に加え、余録「地震津波に関する学術記録」と追緝「復興計画」で構成されています。写真も多数収録されており、被害前の風景や、被害直後の様子、復興した街並みなどを見ることができます。
  被災当日、岩手県知事石黒英彦は県民に向けて告諭を発表しました。「 (前略) 県民心を協せ万難を排し罹災同胞の救済並被害地町村の復興に当たらるへし時恰も郷土将兵は熱河掃匪の為盡忠報国の至誠を諭しつつあり希くは忠勇なる出動将兵をして後顧の憂なからしむるに務めらるへし。」知事の言葉から県を挙げて被災地を救済しようとしていたことや、当時、満州事変の時期で三陸地方からも多くの人々が出征していた時代背景が窺えます。

 

12)田老村津浪誌 昭和九年三月三日一回忌記念 / 田老尋常高等小学校編  田老村(岩手県) : 田老尋常高等小学校, 昭和10(1935) 【672-182】

  本書の田老尋常高等小学校長佐々木弘平氏の自序に「語に曰く「居治不忘乱」と、今次津浪の詳細なる記録を作製して子孫のため斯る災害の規箴となす、また決して徒為ならさるべし。今回我校教員一団となり、各自分担して、田老津浪災害史編纂の企劃ある、全く茲に因由す。」とあり、津波災害を次世代に伝えるために教員が分担して作成した記録です。
  三編で構成されていて、第一編では田老村の歴史や村勢を、第二編では被害や復興の様子を、第三編では津波の学術的調査報告と地震津波への心得が収録されていいます。第三編附一には被災した子供たちの文章が、附二学校記事には「田老小学校学校日誌」があり、避難所となった小学校の様子が分かります。

  ※治に居て乱を忘れず。太平の世にも戦乱の時を忘れず、準備を怠らない。『易経』繁辞下から(Japan Knowledge デジタル大辞泉より)

 

13)震浪災害土木誌 / 岩手県土木課編  盛岡 : 岩手県土木課, 昭11(1936) 【712-89】[近デジ]

下閉伊郡山田町防浪壁

下閉伊郡山田町防浪壁

  本書は岩手県内の被災地で行われた土木工事の記録です。応急工事、復旧工事などについて、場所や工事内容、経費などが表にまとめられています。完成した防潮提や護岸工事の写真もあります。
  右の写真は岩手県山田村に設置された防浪壁です。平面図(p.145)には防浪壁の断面図があり、基礎が地中に深く築かれている構造がわかります。

 

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第3節 震災当時の記録をもとに作られた資料

  これまで震災当時に作成された記録資料を紹介してきましたが、それらの記録資料をもとに新しい資料が作られています。地域別、年代別の記録を一覧できて調査に役立つほか、被災地にしかない希少資料や文書類、写真などなかなか目にすることができない資料を知ることができます。津波体験者への聞き取り調査も収録されています。

 

14)岩手県災害関係行政資料 / 災害関係資料等整備調査委員会編  盛岡 : 災害関係資料等整備調査委員会, 1984.3【AZ-1354-167】

  本書は明治以降、岩手県に起こった災害関係の行政資料を集めたものです。「明治29年三陸津波災害」では県令綴や海嘯関係例規(下閉伊郡役所)綴などの行政資料から明治三陸地震津波を振り返ることができます。
  岩手県の災害を語る座談会」は災害を知る元職員が出席して、昭和58年11月17日に開催されました。昭和三陸沖地震当時、応急対策や復旧に追われた現場の様子が窺えます。

 

15)山田町津波誌 / 山田町津波誌編纂委員会編  山田町(岩手県) : 山田町教育委員会, 1982.4【EG77-230】

  山田町の津波災害の詳細な記録です。明治以前の津波についても記述はありますが、明治・昭和・チリ津波が中心となっています。県が作成した資料も引用されていますが、文書や巡査の残した記録、被災者の体験談など現地ならではの記録もあります。昭和三陸沖地震以降は写真も多数掲載されており、チリ津波から復興を遂げた町の写真もあります。
  第三章明治二十九年の津波には、第四節津波学説として理学博士巨智部忠承(こちべただつね)の論文が掲載されています。津波の原因として「潮流の衝突」、「海底の陥落」、「海床の噴火」、「海底の地滑り」など様々な説が挙げられていますが、原因は特定されておらず、当時はまだ津波の研究が進んでいなかったことが窺えます。
  ※巨智部忠承の論文は近代デジタルライブラリーでご覧いただけます。『三陸地方地震津波ニ付キ地質学上ノ考説』(巨智部忠承著  東京:東京地学協会,明29.7【YDM56502】)

 

16)田老町史. 津波編(田老町津波誌) / 田老町教育委員会編  田老町(岩手県)  : 田老町教育委員会, 2005.5【GC19-H73】

  平成13年1月から行われた津波体験談の聞き取り調査の記録が主体となっています。実体験や体験者から聞いた話が、語り言葉のままインタビュー形式で記録されています。

 

17)近代日本津波誌 : 写真資料 / 山下文男編著  [東京] : 日本図書センターP&S, 2008.11 【ME75-J15】

  本書は明治三陸地震津波から日本海中部地震・津波までの絵や写真を集めた資料です。巻末に「歴世地震・津波誌略年表」があり、天武13(684)年~昭和58(1983)年までの津波について地域、津波の高さ、被害状況などが記されています。
  著者の山下文男は津波災害史研究家で、「津波てんでんこ」という言葉を広めた人物としても知られています。「てんでん」とは元々は「てんでに」とか「てんでんばらばらに」という意味で、「津波てんでんこ」とは、薄情なようではあっても、てんでんばらばらに急いで早く逃げなさいという、津波から逃れるための哀しい教えです。古くから三陸地方に伝わる言葉のように思われていますが、平成2年に岩手県田老町で行われた第一回「全国沿岸市町村津波サミット」における山下の講演をもとに生まれた言葉です。(参考文献:津波てんでんこ : 近代日本の津波史 / 山下文男著  東京 : 新日本出版社, 2008.1【ME75-J6】)

 

18)津波ディジタルライブラリィ [電子資料]. 2004年度-2007年度. / 津波ディジタルライブラリィ作成委員会,  2004-2007

※年度ごとに請求記号が違います。2004年度【YH251-J363】、2005年度【YH251-J364】、2006年度【YH231-J9193】、2007年度【YH251-J365】)

  津波ディジタルライブラリィは、津波工学研究や津波防災計画、津波防災教育のために研究者や自治体、一般の人にデータを提供する目的で作成されました。
  明治三陸地震津波から昭和58年の日本海中部地震まで、日本各地で起こった津波災害の記録を画像データやテキストデータにしてDVDやCDに収録しています。中には当館には原資料の所蔵がないものや、当時の新聞記事、津波防災教育のための映像資料、CGシュミレーションなども含まれています。

 

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第4節 津波防災のはじまり

 

  明治三陸地震津波の記録には被害状況、救助活動、津波の研究報告などがありますが、その後の防災計画や対策などについてはほとんど記述がありません。昭和三陸沖地震の記録には復興計画や「予防」という文字が見られるようになり、津波対策を目的とした報告書も発行されています。
  首藤伸夫の「津波総合防災対策の歴史と今後の課題(月刊地球 33巻3号 2011.3 p.107-112)」には「様々な対策手法をあげ、その組み合わせや適用例を示したのは、昭和三陸大津波直後の震災予防評議会が提案した『津浪災害予防に関する注意書』が最初であろう。」とあります。

 

19)津浪災害予防に関する注意書 : 文部省震災予防評議会〔編〕 東京 : 三秀舎, 昭和8(1933) 【625-380】[近デジ]

  昭和三陸沖地震の後、昭和8年6月11日に文部省震災予防評議会から発行された資料です。「津波予防法として最も推奨すべきは高地への移転なりとす」と高地への移転を防災対策の第一に挙げています。その他に、津波の侵入を防ぐ防波堤や津波の勢力を減殺する防潮林の設置すること、防浪地区(多少の津波の侵入を覚悟しなければならない地域のため鉄筋コンクリート造などの耐浪建築を建てる地区)や緩衝地区(川沿いや低地は津波が侵入できるようにしておき、隣接地区への被害を軽減するための地区。この地区には住宅や学校、鉄道などは建設しない。)を設けること、高台への避難道路の敷設といった対策が紹介されています。第四章浪災予防法応用の例では、田老町や釜石港など実際の地形にあわせて様々な対策を組み合わせた応用例が図とともに紹介されています。
  また、施設面での対策だけでなく津浪警戒として、「地震や遠雷あるいは大砲のような音、引潮などの津波の前兆現象に警戒すること。」、「津浪避難では前兆を感じたらすぐに高台に避難し、1時間以上辛抱すること。」、「警鐘、電話等による警告を発すること。」、「船舶は200~300メートル沖にいた場合には沖へ退避したほうがよい。」など一般の人々に対する避難の心得も紹介されています。

 

20)三陸地方津浪災害予防調査報告書 〔東京〕 : 農林省水産局, 1934.3【EG77-308】[近デジ]

  昭和三陸沖地震の被災地で水産業並びに漁村の復興と、津波災害予防対策を立案することを目的に行われた調査の報告書です。宮城県、岩手県、青森県の被災地を4区に分けて調査を行い、その復命書が区ごとに掲載されています。復命書には被害状況や地形を考慮して立てられた対策案が、詳細な図表とともに収録されています。対策案では19)の『津浪災害予防に関する注意書』に挙げられた様々な対策方法が取り入れられているのを見ることができます。

 

  防災計画はインフラの整備だけではありません。被災地では被害を軽減するために津波の知識や避難の心得を広める資料が作成されました。

21)地震並津浪の常識 / 釜石小学校郷土教育研究所〔編〕  〔釜石町(岩手県)〕 : 岩手県釜石小学校郷土教育研究部, 昭和8(1933) 【YD5-H-特219-617】

  まえがきに「地震津浪の常識を貯へておいて非常時の用意をすることが最も大切なことゝ思ふのであります。」とあり、被災地で津波の知識を広めるために発行された小冊子です。編集には釜石小学校の教員や郷土教育研究所が携わっています。昭和三陸沖地震の後に釜石小学校で行われた地震学者今村明恒の講演「地震並津浪の常識」の要旨をはじめ、文部大臣を会長とする震災予防評議会の「津波予防の常識」や新聞記事、大学教授や技師の談話など幅広い津波関連情報を紹介しています。

 

また、子どもたちへの防災教育の必要性も論じられるようになりました

22)鯰のざれごと / 今村明恒著  東京 : 三省堂, 1941【453-I322n】

  地震を知る入門書として一般の人々向けに書かれた資料です。著者の地震学者今村明恒(明治3年~昭和23年)は東京大学の教授であり、19)の『津浪災害予防に関する注意書』を編集した震災予防評議会の一員でもありました。
  本書の中で今村は子どもたちに学校で防災教育を行うべきだと主張しています。「ドリアン」の章によると、昭和3年、震災予防評議会は建議書を政府に提出し、その中で地震について教科書に取り入れるように進言しましたが、教科書編纂委員会は割り込ませる余地はないと受け入れませんでした。今村は尋常小学の理科の教科書には「南洋にはドリアンといふ果ができる。美味いけれども、とても臭い。」という記述があるが、そんなことを書く余地があるなら地震のことを入れるべきだと反論しています。
  その後、今村たちの努力が実り、「小学教材としての地震」の章には、尋常小学教科書に地震の項目として「ものごとにあわてるな」(尋常小学修身書 児童用 巻3 /文部省著, 昭和11【特203-516】[近デジ])が、津波については「稲むらの火」が載るようになったとあります。(「稲むらの火」については第2章をご覧ください。)
  今村は地震予知の研究にも力を注いだ人物です。→第141回常設展示「なゐふる」参照。

 

23)津浪と人間 / 寺田寅彦著(『天災と国防』 東京:岩波書店,1938 (岩波新書)【730-360】)

  寺田寅彦は物理学者ですが、多くの随筆を残した文学者でもありました。この随筆は昭和三陸沖地震の後で、雑誌『鉄塔』(昭和8年5月)に発表されたものです。寺田はこの随筆の中で「日本国民のこれら災害に関する科学知識の水準をずっと高めることが出来れば、其時にはじめて天災の予防が可能になるであらうと思われる。此の水準を高めるにはなによりも先づ、普通教育で、もつと立入った地震津浪の知識を授ける必要がある。」と防災教育の必要性を述べています。
  また同書に収録されている「天災と国防」は「天災は忘れた頃来る」という警句のもととなったと言われる随筆です。自然災害(室戸台風・北陸の水害など)が頻発した昭和9年に書かれました。

 

 

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