電子展示会 本の万華鏡

第2回本の万華鏡「洋靴―足元からの文明開化―」第1章(2)

2009年9月16日
リサーチ・ナビ本の万華鏡第2回 洋靴―足元からの文明開化―>第1章(2)

 

第1章 洋靴事始(2)

目次

 

第3節 靴職人

18.靴産業百年史 東京 : 日本靴連盟, 1971【DL731-11

錦絵「諸工職業競 靴製造場之図」

靴産業百年史

  明治12(1879)年、絵師の細木年一によって描かれた錦絵「諸工職業競 靴製造場之図」です。靴職人が向かい合って二列に座り、それぞれ別の工程の作業をしています。また机の上には様々な形の道具が見られます。すべて手作業ではありますが、靴職人の人数、設備、道具がきちんと整えられた様子がこの錦絵から見て取れます。

 

 

 

 

 

 

19.御披露 (横浜毎日新聞 明治4(1871).10.18 10面【YB-130】)

御披露(靴職人の求人広告)

横浜毎日新聞明治4年10月18日

  伊勢勝という靴製造所が新聞に掲載した、靴職人の求人広告です。当初、立体的で曲線の縫い目が多い靴の製造は機械化することが難しく、多くの工程を靴職人の手作業に頼っていました。広告の文章の中に「外国人相雇」とあります。多くの靴製造所では外国の製靴技術を学ぶため、外国人を雇って指導にあたらせており、伊勢勝もオランダ人を雇用していました。ちなみに伊勢勝は日本の靴製造業のパイオニアの一つであり、伊勢勝が靴製造所を開設した明治3年3月15日は「靴の日」に制定されています。

 

20.雑報 靴工三百徐人衆議院に迫る(読売新聞 [東京]  明治25(1892).12.22 朝刊2面【YB-41】)(注)

 

読売新聞明治25年12月22日

  陸軍は有事の際に軍靴の供給を安定させる目的で、靴職人養成の機関を作ることを計画しました。それまでは軍靴の製造を民間に発注していましたが、この計画が実現すると、軍人が靴の製造技術を習得し、すべての軍靴を陸軍内で製造することになります。右はこの計画の廃止を請願するため、靴工協会の靴職人約300人が衆議院議長面会を求めて衆議院の正門と通用門に押し掛けた記事です。靴の需要の大半を占める軍靴を陸軍が自前で調達してしまうことは彼らにとって大きな問題であることが想像されます。
  結局、10年後に陸軍被服廠内に製靴部が併設されましたが、民間への軍靴発注は継続されました。(→参考文献1 pp.83-88)

 

 

21.製靴図集  東京 : 東京靴工倶楽部, 明治32(1899).8 【YDM67659[近デジ]

 

製靴図集

  東京靴工倶楽部は製靴技術の向上と業者の発展を目的とした研究団体です。本書は、それまで徒弟制度の中で、親方から弟子へ口伝などで教えられてきた製靴技術を体系づけるために、渡米した靴職人が集めた資料を編集し翻訳出版したものです。様々な靴の図が載せられているほか、靴の着用による病気と、その治療法が早くも紹介されています。

 

 

22.靴の発達と東京靴同業組合史 / 東京靴同業組合編  東京 : 東京靴同業組合, 昭和8(1933)【641-47

  明治後期、靴業界が徐々に発達し、靴職人の数も増えつつありました。しかし、上記の東京靴工倶楽部のような、経営者・靴職人ごとの小規模な団体が設立されるのみでした。明治42(1909)年、日露戦争での軍靴ブームと戦後の不況により、業界が混乱に陥ったため、業界団体による統制が必要となります。この情勢を受け、東京靴同業組合が設立されました。
  東京靴同業組合設立から約20年経ち昭和に入ると、靴産業及び東京靴同業組合の創始・発展に関係する資料が散逸し始め、かつ当時を知る証人が少なくなってきました。本書はそのような事態を懸念し、昭和7年に3月15日が「靴の日」と制定され、東京市が大東京市に変更されたのを契機に刊行されたものです。2編構成であり、第1編は靴及び靴産業の発展史、第2編は東京靴同業組合の発展史が記されています。

 

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第4節 開化の風物としてもてはやされた洋靴

23.本朝伯来戯道具くらべ / 歌川芳藤 明治6(1873)年【*GAS MUSEUM がす資料館外部サイトへのリンク蔵】

本朝伯来戯道具くらべ
(さらに大きいPDFはこちら(4.42MB)

本朝伯来戯道具くらべ

  まんてると裃、こうもり傘と和傘、郵便と飛脚、靴と駒下駄と雪駄...と、開化期に西欧から流入した品と日本古来の品が擬人化されてセットに描かれ、それぞれの主張も記されています。
  郵便と飛脚の様子からは、郵便制度の整備によって衰退に追い込まれていく飛脚の状況がうかがわれます。一方、右下に描かれた靴、駒下駄、雪駄については、勝負はまだついていないようです。
  靴は、「ちかくはかつてめにもみよしのかんかつでたち(寛闊出立) 今りうこうのはくらいくつ 雨のふる日もせいてんも 足はよごれず冬あたゝか くつにやまさるものはあるめへ」と、長所を主張しています。

 

24.告知 (郵便報知新聞 / 報知社〔編〕 東京 : 報知社, 明治6(1873).7.2 4面【YB-18】)

『郵便報知新聞』の「告知」(注)

郵便報知新聞明治6年7月2日

  靴が駒下駄、雪駄といった在来の履物に勝利できない要因のひとつとして、当時の靴の値段の高さがあげられます。
  右は明治6(1873)年に新聞に掲載された靴の広告です。 「礼服靴5円より15円迄、各国騎兵長靴9円50銭より25円迄、同並長靴3円50銭より15円迄、同海陸士官靴4円より7円迄、羅卒(現在の巡査のこと)靴1円25銭より3円迄、学校生徒靴1円25銭より3円迄...女靴2円50銭より7円50銭迄...」などと書かれています。明治7(1874)年の巡査の初任給は4円(値段史年表:明治・大正・昭和 朝日新聞社, 1988.6【DF58-E5】p.91)ですので、当時の一般の人々にとって靴は非常に高価なものでした。

 

25.東京開化名勝 京橋石造銀座通り両側煉瓦石商家繁栄之図 / 歌川広重(三代)伊勢屋喜三郎,明治7(1874)年 【*早稲田大学図書館外部サイトへのリンク蔵】

京橋石造銀座通り両側煉瓦石商家繁栄之図

東京開化名勝

  明治7(1874)年の銀座通りを描いたこの錦絵には、右から4人目の男性や、左の橋のたもとの人物など、和服にヒールのある洋靴を履いている人々がちらほら見えます。
  煉瓦造りの建物が並ぶ銀座通りは文明開化を象徴する場所と言えますが、草鞋や草履など、従来からの履物を履いている人もまだ多くいます。

  早稲田大学の古典籍総合データベース外部サイトへのリンクで、より精細な画像を閲覧することができます。

 

 

26.開化廿四好 沓 / 豊原国周  明治101877)年 【*早稲田大学演劇博物館外部サイトへのリンク蔵】

開化廿四好 沓

開化廿四好

  この錦絵は、開化期の24の文物を描いた開化廿四好シリーズのひとつです。右上には当時の靴屋も描かれています。
  同シリーズのその他の画題は、牛、新聞、かめ(西洋犬)、郵便、椅子、温泉、めがねばし、じようき(蒸気船)、かうもり傘、寒暖斗(寒暖計)、真写(写真)、瓦燈(ガス灯)、喞筒(ポンプ)、馬車、西洋床、石鹸、しやッぽ(帽子)、電信、学校、天長節之旗、時斗(時計)、人力車、貸坐敷。いずれも開化期に話題になった文物と言えるでしょう。

  早稲田大学の演劇博物館浮世絵閲覧システム外部サイトへのリンクで24種全てを閲覧することができます。検索画面の画題等の欄に「開化廿四好」と入力して検索してください。

 

 

(注)読売新聞社の著作権について


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