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第2回本の万華鏡「洋靴―足元からの文明開化―」第2章(1)

2009年9月16日
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第2章 靴をはいてみたら(1)

目次

 

  当時の人々は靴についてどのように考え、受容していったのでしょうか。草鞋や下駄、あるいは裸足で生活していた時代から靴に履き替えたわけですから、靴を履くことに困惑したり、合わせようと努力したりと、履く側にも多くのエピソードがあったことでしょう。

 

第1節 靴のまま畳にあがるのが文明開化?

  洋靴の文化は、屋外の履物は脱いで屋内に入る、というそれまでの習慣に対立するものでした。『明治事物起原』(石井研堂著 下巻第十一編農工部「靴製造の始」(明治文化全集.別巻 日本評論社, 1993.1【GB415-G11】春陽堂昭和19年刊の複製)p.953上)には、「当時、生意気の小官吏など、泥靴のまゝ畳の上に上りし苦情は、屡(しばしば)耳にせし所なり」と記されています。

 

1.文明開化.初編 / 加藤祐一著 大阪 : 柳原喜兵衛, 明治6(1873).9【YDM39700】[近デジ]

  「沓はいたまゝで座敷へ上りをつた、こりやちと迷惑な文明じや、おまけにつれて来た犬も上りをつた」という記述がみられます。→該当箇所[近デジ]
  本書は、衣食住や迷信などについて、文明開化の時代にふさわしい人としてどのように対処するべきかが説かれています。講演調になっており、一般国民の教化を目的として明治5(1872)年に教部省におかれた教導職(多くは神官や僧侶、学者が任命されました)の種本であったろうと推測されています(→参考文献13 p2)。
  「沓(くつ)はかならずはくべき道理」の項には、靴は高貴な人が履くもので下々は履いてはいけないという遠慮は無用であり、礼儀として履くべきものであること、草鞋ではいちいち足を洗わなければ座敷には上がれない不便さが説かれています。→該当箇所[近デジ]
  この項は、「下駄足駄は速に廃して、沓を用ふる様に致したいもので厶(ござ)る。近頃はだか肩ぬぎ禁制の御布告が出て、下賤のものゝ肌を露はさぬ様に成たは、誠に有難い事で、日本も開化国の中に算へられて、他国の人に、一事も笑はるゝ様な事はない様になるで厶らう。」と締め括られています。→該当箇所[近デジ]

  靴を用いるべきという主張に、はだか肩ぬぎ禁制の布告の話が出てくるのには多少の違和感がありますが、西洋文化との出会いは、服をきちんと着て肌を見せず、靴を履くのが文明、裸や裸足は未開、野蛮といった二項対立的な捉え方との出会いでもありました。明治34(1901)年5月、警視庁から「ペスト予防の為め東京市内に於ては住屋内を除く外跣足(はだし)にて歩行することを禁ず。」という跣足禁止令が出されます。表面上は衛生的ではないというのが主な理由ですが、未開の蛮風たる裸足をなくすことで首都の体面を重んじるという動機が陰では働いていたということです(開国百年記念文化事業会編『明治文化史. 第13巻』1979.4【GB451-10】p.33)。

 

2.日本開化詩 / 平山果 宮内寛一編 明治9(1876) (明治文化全集.第21巻 / 明治文化研究会編 東京 : 日本評論社, 1993.1 【GB415-G11】)

  「革靴」という題で5編の詩が掲載されています。「其二」では「雨ヲ履晴ヲ履又堂ヲ履 (中略) 一靴踏遍シ開化場」(p.471)とあり、雨でも晴れでも建物でも履けて、靴ひとつで開化場をどこまでも歩いていくことができる、といった意味になるでしょうか。洋靴には、履いたまま建物の中に入れるという特権的な位置付けがあったと言えるでしょう。靴が輝かしさを帯びて見えてくるようです。

 

3.寄書(よせぶみ)(読売新聞 明治9(1876).5.26 【YB-41】)

『読売新聞』の「寄書」(投書欄)(注)

読売新聞寄書

  西洋人ならともかく日本人でも泥靴を履いたまま畳の上にあがることに対する苦情の投書です。さらに、よく「靴の外昇降を禁ず」と札が出ているが、靴を履いていない者が多いのだから困る、上靴を置いておけ、という提案もなされています。

 

 

 

 

 

4.高襟(ハイカラ)先生(読売新聞 明治35(1902).2.25 4面 【YB-41】)

『読売新聞』の記事「高襟(ハイカラ)先生」(注)
(さらに大きいPDFファイルはこちら(160KB)

読売新聞高襟先生

  この記事では、靴を履いた人が悠々と建物の中に入っていくのに対し、下駄や雪駄であったために建物に入る前に履物を脱がねばならなかった人たちが、出る時には履物が紛失する憂き目にあっている様子が紹介されています。
  靴の外昇降を禁ずるという官公庁での決まりは、明治23年には次々と廃止されたことを第1章でご紹介しましたが、この記事からは明治35年でも依然として靴以外での昇降を禁じていた会社もあったことがうかがえます。

 

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第2節 きう靴

  洋靴を実際に履いてみたところ、窮屈だったり、靴ずれが出来たりと、なかなか良いことばかりではありませんでした。第1章で紹介した岩倉使節団の一員である佐佐木高行の日記にも、「沓モ、日本人ハ大キクテ甚ダ見苦敷トテ、一同小サキヲ買求メタリ、窮屈ニテ足痛ミ難儀ナリ、文明開化モ随分困難ノコトナリト、人々ト談笑致シタリ」(佐佐木高行著『保古飛呂比 : 佐佐木高行日記.5』1974.【GK125-3】pp.251-252)という記述があります。

 

5.鹿鳴館貴婦人考 / 近藤富枝著 東京 : 講談社, 1980.10【EF72-239】

  初の女性海外渡航者の話から、鹿鳴館解体までが書かれた資料です。明治政府の高官に嫁いだ女性たちの人生や風俗がうかがえます。
  鹿鳴館設立の立役者でもある井上馨の妻、武子が、ロンドン滞在中に靴を履いたことが書かれています。武子は西洋の服や化粧品、宝石などを積極的に取り入れていたようですが、踵の高い靴を履いたところ、足が腫れあがり水疱がいくつもできてしまったようです。それにより洋装もしばらく休む羽目になったのですが、「大体武子は辛抱強い方」だったためか、そのうちに慣れてしまいました。馴れない洋靴に苦労しながらも、たくましく履きこなしていった様子が伝わってきます。

 

6.文明開化童戯百人一首 / 総生寛編 東京 : 椀屋喜兵衛, 明治6(1873).8【YDM87867】

  「はきこゝろ よきかあしきか ごむぐつの またふみもみす 天のはし立」
  小倉百人一首を明治の文明開化にあてはめてもじったものです。毎首上の句だけ文明開化の流行語をとりいれ、下の句は原歌そのままにしてあります。原歌は小式部内侍の「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天橋立」。
  とても哀しそうな表情で靴を履いているのが印象的です。靴を履くことが快適とは言い難いものだったことを反映しているのかもしれません。

百人一首

 

7.座敷即席一口噺し / 伊藤竹次郎編 浜松 : 伊藤竹次郎, 明治18(1885).5 【YDM98090】

  かわいらしいイラストとともに、ユーモアのあるコメントが載せられています。書かれているのは豆腐屋、酒、月のうさぎ、傘など。靴では、「洋服はいいが 足がつまつてならない きう靴」。窮屈のくつを靴とかけています。

 

8. / 夏目漱石著 東京 : 春陽堂, 明治44 (1911) 【YDM300821】[近デジ]

  主人公で役人の宗助が、底が破れてしまった靴→該当箇所[近デジ] を我慢しながら履いている様子が描かれています。一足しかなかったため、雨の日にも穴のあいた靴を履かなければならず、中が濡れてしまいます。→該当箇所[近デジ]
親の形見の屏風を売って、そのお金を使って靴を買おうと考えるエピソードまであり、→該当箇所[近デジ] 新しい靴を一足買うのも大変だった様子がうかがえます。

 

9.靴の常識(一) / 安江雅勝(被服 第2巻第1号 昭和6(1931).1.1 pp.171-174【YA5-1218】)

  靴についての知識を会話形式でわかりやすくまとめてあります。
  回答者によると、明治の初年には「左右を反対に穿いたり靴紐で足を結んだり靴の上から草履を穿いたり」する例があり、さらに、「未だ日本では靴の選び方が十分徹底せぬので喜劇が随所にたくさん」あったようです。
  「私共が下駄を穿て居る習慣から靴を穿くと、窮屈で長途を歩くと必ず豆ができますが、靴はさういうものですか。」
  「子供が学校で遠足があるので少し大きな靴を買ふてやりました所が帰りに子供が踵を血だらけにして靴を手に提げて来ました。そのわけを尋ねると歩く度毎にガバガバと靴の踵に触はり、傷くて辛棒が出来ず泣く泣く先生に草履を買つてもらひ帰りましたと怨めしさうに話しましたが、靴と云ふものは馬鹿馬鹿しいものですね。之には何か方法があるのですか。」といった質問が載せられており、靴の履き方が解説されています。

 

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コラムロゴコラム 洋靴の良さも取り入れて

八眞登靴 特許第10号 特許権者 山口太左衛門 明治18.8.26特許

                                                                                           八眞登靴の図

八眞登靴

  慣れない靴をなんとか日本人に合う形に改良しようと様々な試みがなされました。右はその例の一つです。明治18(1885)年に特許出願された靴で「やまとぐつ」と読みます。おそらく日本で最初の靴に関する特許と思われます。外側から見るとヒールがあり、ミュールのように見えますが、じつは中に鼻緒が隠されています。昔ながらの履物と洋靴の良いところをとりいれようという工夫が見られます。
 特許電子図書館外部サイトへのリンク特許・実用新案公報DB外部サイトへのリンクから、文献種別:特許明細書(C)の文献番号:10で検索すると出てきます。

 

 

 


(注)読売新聞の著作権について

 

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