電子展示会 本の万華鏡

第2回本の万華鏡「洋靴―足元からの文明開化―」第2章(2)

 

2009年9月16日
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第2章 靴をはいてみたら(2)

目次

 

第3節 兵隊さんも大変

10. 陸海軍聯合大演習記事(附図) (本文)〔東京〕 : 参謀本部, 明23(1890).12.【YDM51308】[近デジ]

  明治23(1890)年3月から4月にかけて愛知県で実施された陸海軍合同大演習の資料。靴傷(靴ずれ)を起こした兵士の数が記載されています。→該当箇所[近デジ]  靴ずれのために、草鞋に履き替えることを許可された兵士もいたようです。→該当箇所[近デジ]

 

11.歩兵之行軍教育/ 上田頼三著 東京 : 軍需商会, 明44(1911).5【YDM52220】[近デジ]

  足の保護は第一に靴の良しあしであり、大きさのあった靴をはき普段から手入れや修理を行うべきとしています。さらに、自己の不注意で靴ずれをおこしてしまうのは不名誉なことであると書かれています。→該当箇所[近デジ]

 

12.シベリア出征日記 / 松尾勝造著 ; 高橋治解説 名古屋 : 風媒社, 1978.2【GB471-10】

  ロシア革命後の1918年、日本はアメリカなどとともにシベリアに出兵しました。この資料は、出征した一兵士の日記です。8月21日の日記には「医務室で靴ずれの足を出せば、赤い薬を一刷毛塗ってそれで終り。まことに頼りないこと。これで明日は歩けるだらうかと思った。来てゐる患者が多くは靴豆、靴ずれ。」と、軍靴を履いた行軍による靴ずれに悩む様子が記されています。

 

13.陸軍史談 / 金子空軒著 東京 : 陸軍画報社, 昭和18(1943)【396.21-Ka53ウ】

  陸軍に伝わるエピソードをまとめた本です。「靴と兵隊」の項があり、10の話が紹介されています。
  「(九)弾雨の間ボロ靴を拾ふ」によると、日露戦争中に、斥候兵が弾雨の中を前方に出ていき、他の兵隊が捨てた軍靴をさげて戻ってきました。その理由として、「日本兵がこんなボロ靴を穿くほど困ってゐるのかと敵に思われるのが残念だからだ」と答えたといいます。

 

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コラムロゴコラム 左右同じ靴

雑報(朝野新聞 明治15(1882).8.15 2面【YB-134】)

  乃木希典は、夜中でもすぐに履けるよう、左右同じ形の靴を履いていたと言われています。
  「乃木歩兵大佐の多年工夫を凝らして此頃漸く発明されたる一種の靴は、左右の別なく之を穿ちて極めて快適を覚え、すでに二三の士官は親ら之を試みられ従来の靴に対してはるかに便利なることを証されしかば、来月より同大佐の部下即ち東京鎮台歩兵第一連隊へは一般にこれを用ひしめらるることに決定されたりとぞ。」という記事が載っています。
  また、明治19(1886)年には、軍靴の左右同じ形のものを納入したことがあったが、革が硬いため靴ずれを受けるものがあって中止したという出来事もありました。(→参考文献1 pp.47-48.)
  今の感覚からすると、左右同じ形の靴を履くなんて考えられない事だと思う方もいるかもしれません。しかし西洋では、19世紀中ごろまで、靴の左右の区別がなかった時期がありました。幕末に日本に靴が紹介される少し前まで、左右同じ形の靴が履かれていたのです。(→靴のラビリンス1992,【G185-E34】p.24)

 

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第4節 洋靴の広まり         

                                                                     流行靴(明治末期~大正)     (明治中期)

靴の広まり1_1

靴の広まり2_1

  ここでは、都市での靴の流行について書かれた本や雑誌、靴をテーマにした川柳など、流行として靴をとりあげた 資料を紹介します。
  明治時代から、すでに靴の流行といえるものは存在していたようです。しかし、すぐに洋靴が下駄や草履にとってかわったわけではありません。洋靴が日常生活に 欠かせないものになるためには、もう少し時間を必要としました。(画像は東京靴同業組合編『靴の 発達と東京靴同業組合史』昭和8(1933)【641-47】より

 

 

 

14. 靴(東京流行月報 1集 明治25(1892).11【Z6-4076】)

流行月報

  洋服や帽子、下駄、靴などの流行が挙げられています。
  靴は深ゴム入(画像では最右列の下から2番目)で、フランス製の油皮、つま先が丸く飾りが付いているものが流行していると書かれています。また、全体の好みとして踵とつまさきが細いのがよいとされ、つま先の痛みを我慢して履いていた人もいたようです。
  なお、深ゴムとは足のくるぶし丈までのブーツのことです。日本に靴が導入されたばかりの時期に紳士靴として履かれました。はき口の前後につまみがついており、両側に幅の広いゴムテープがまちのように縫いこまれてその伸縮性によって着脱と足へのフィットを良くしています。1966年にビートルズが来日した時にはいていたチェルシーブーツと呼ばれる靴も深ゴムと同じ形で、当時の若者たちの間でブームになりました。(→参考文献5 pp.22-23)

 

 

15.和服に靴(貴女之友 明治21(1888).8 pp.1-3.【Z79-B346】)

  和服に靴という着こなしも見られたようです。
  「夫人がよのつねの和服に靴を穿いて行くことは、未だ流行といふほどにもあらねど、近頃東京の市中にては往々見掛くる風俗なり」。この記事では、靴の便利さは認めつつも、「靴は西洋服とともに進化したるものゆゑ、和服に釣り合ふ筈は無きなり」と、装飾面から女性が和服に靴を履くことを批判的に記述しています。


16. 東京風俗志.,,下巻 / 平出鏗二郎著 東京 : 富山房, 1899-1902【YDM27369】[近デジ]

東京風俗志

  明治30年代前半の刊行です。深ゴム入りの靴が多く用いられていたようで、「(深ゴムは)足にくっつきの良きのと、靴たびの痛まざるのがその賞用せらるる所以なるべし。」また、「近来赤革製のもの最も流行せり。ズック製も足に軽しとて夏向きなど殊に賞用せらる。」と記載されています。この資料では子供の靴のイラストも載せられています。(画像左下)→該当箇所[近デジ]

 

 

17.川柳(風俗画報 第397号 明治42(1909).6.5 pp.44-45.【雑23-8】)

  靴に関する川柳が載っています。
  「靴音も流石優しい女学校」
  「靴はかぬ日は内職に草鞋結ひ」
  「小便中止こつこつと靴の音」
  「靴音が裏に廻って一大事」
  なお、『川柳明治世相史』(山本成之助著 1983.7【KG351-35】p.49)では「靴音を聞いてポンプの水を止め」の注として、靴音は巡査の靴音、ポンプの水は小便、と書かれています。
  「巡査の靴」(風俗画報 第471号 大正4.7.5 【雑23-8】p.12)によると、「これ迄巡査の靴には大概底に發明釘が打ちつけてあったものが昨年ごろからずっとハイカラになって踵にゴムをつける様になった」とのこと。釘が打ちつけてあった為に靴音が響いたのでしょうか。
  靴音が響くのは問題もあったようで、少し時代は戻りますが、「大阪にては夜廻りの巡査の靴を廃され草鞋を用ひらるる事になりしと是れは怪しき者に靴音を悟られぬ為めならんと」(雑報 朝野新聞 明治13(1880).2.7 2面【YB-134】)という記述も見られます。


18.風俗測定成績及び新案 / 坪井正五郎(東京人類学会雑誌 28号 明治21(1888).6 pp.244-250.【Z19-11】)

  東京と大阪で、道行く人びとの髪型、服装、履物について観察し、比較しています。
  また、『東京、西京、及び高松に於ける風俗測定成績』(東京人類学会雑誌 35号 明治22.1 pp.138-144 )では、京都、高松の測定結果も載せています。それによると、大阪、東京、京都の順に洋装するものが多く、高松はこの3か所と比べて和服の者が多かったようです。なお、明治21(1888)年1月の東京の調査では、靴を履いていたのが男性で32%、女性で3%でした(左表)。右表は調査時にカウントしていく際に使用する記号で、坪井正五郎氏が考案しました。

調査結果                                      調査時に使用した記号 風俗測定 記号

風俗測定 調査結果

 

 

19.考現学入門 / 今和次郎著 ; 藤森照信編 東京 : 筑摩書房, 1987.1【GD1-313】

  大正14(1925)年の東京銀座での服装街頭調査の結果が記載されています。男女別、和装・洋装別に服装が詳しく記述されており、履物に関しても図入りで細かく示してあります。洋靴を履いているのは男性で67%、女性で1%でした。図は左上からINDEX(p106 図7「統計図表索引」)、男性の靴(晴れ)(p.114 図15 靴の<1>)。また、p137の図48「女の靴」によると女性で靴を履いていたのは11人ほどで、ほとんどが黒のヒール靴でした。「(女性は)全体が少数ですから大した統計になりませんでした」と書かれています。なお、『今和次郎集 8』(東京 : ドメス出版, 1971【GD1-17】)には昭和3(1928)年の調査結果が収められています。
  考現学とは、今和次郎氏によって提唱された概念です。服装や室内の物の配置、街の通行人の風俗などを細かく観察し、そこから得られたデータをもとにして、社会風俗の研究を行います。前出の「風俗測定成績及び新案」も考現学と非常によく似た手法を用いていますが、今氏が当初考現学を提唱した際はこの研究のことを知らなかったようです。その後坪井氏の研究のことを聞き、「坪井正五郎先生は、わが国の『考現学』以前に考現学者だったわけである。」と記しています。

INDEX     男性の靴の表(晴れの日)

考現学 INDEX

考現学 男性靴

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コラムロゴコラム 靴の豆知識

 

  今回は日本の明治・大正期の洋靴に焦点を当てましたが、当館では西洋での履物や明治期より前の履物などについて記述された資料も所蔵しています。

 

・今の革靴の原型は?
靴のラビリンス : 苦痛と快楽 東京 : INAX, 1992.2【G185-E34】

  17世紀から20世紀までのヨーロッパの靴のカラー写真が載せられています。刺繍を施された色鮮やかな靴が綺麗です。
  履物の起源ははっきりしないようですが、現在知られている最古の標本は古代エジプトの古王国時代のサンダルだと言われています。
  そして、今の革靴の原型は、一枚の皮で足を覆い、甲の部分に穴をあけてひもで閉じた「モカシン」と呼ばれるはきものだと考えられています。モカシンという名称はアメリカインディアンの言葉からとられましたが、同タイプの靴は、北ヨーロッパ、ペルシャ、西アジアなど多くの地域で履かれていました。その後、ひもで閉じていた部分を縫い合わせるようになり、木型が出現して現在のような靴が作られるようになりました。

 

・ヒールの原型は?
はきもの世界史 / 日本はきもの博物館編 福山 : 日本はきもの博物館, 1989.6【GA36-E10】

  エジプトやギリシャの履物からはじまり、おもにヨーロッパの靴の写真が時代ごとに載せられています。
  ゴシック時代(13~15世紀)には鋭角的な建築が多く見られますが、靴も同様に爪先のとがったものが履かれました。あまりに先端が細く長く尖りすぎたため、先端を鎖で止めて上に挙げておかないと歩けない靴まで出て来ました。ルネッサンス時代(15~16世紀)には、チョピンと呼ばれる底が厚くなった靴(つま先、踵などの区別はなく、全体的に高くなる)が流行します。厚さは46~61センチほどで、支えてもらわないと歩けないものもあったといいます。さらに、18世紀にはルイ15世にちなんだ、ルイヒールと呼ばれる靴が出現しました。これは、ヒールの中央部が細く、付け根と底部が少し広がっているもので、現在のヒールの原型といわれています。

 

・日本では、洋靴が普及する前は何を履いていたの?
日本のはきもの : 国重要有形民俗文化財 / 日本はきもの博物館編 福山 : 日本はきもの博物館, 1985.9【GD64-69】

  下駄、草履、草鞋、藁沓、和沓、足袋、足桶などの種類ごとに写真が載せられています。

 

・下駄にはどんな種類があるの?
北の下駄 / 北上市立博物館編 北上 : 北上市立博物館, 1999.8【GD64-G35】

  東北の遺跡から出土した下駄と、昔から使われてきた下駄についての資料です。
  下駄は用途に応じて、労働に使用される田下駄や雪の降る地域で使われる雪下駄など、多種多様な形態があります。日常ではかれる下駄では、歯のない無歯下駄(ポックリなど)、歯のある有歯下駄の2種類に大きく分かれます。有歯下駄はさらに一つの木から作った連歯下駄と台に歯を差し込んだ差歯下駄に分かれます。

 

 


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