Records of the U.S. Delegation to the Japanese Peace Conference

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憲政資料室 作成

資料群名(日本語)
対日講和会議米国代表団文書
請求記号
YF-A14
資料形態
マイクロフィルム
数量
8巻
主言語
英語
主な内容
会議の開催にかかわる事務的な文書のファイルで、政治的な折衝にかかわる文書は含まれていない。講和会議の公式配付文書は収められている。
資料の構成
  • Working papers, 1951, Box No. 1 Folder No. 1 - Box No. 7 Folder No.2.
  • Minutes of plenary sessions, 1951, Box No. 7 Folder No. 3 - Box No. 7 Folder No. 4.
  • Administrative subject files, 1951, Box No. 7 Folder No. 5 - Box No. 10 Folder No. 4.
旧蔵機関名
Depertment of State
歴史
米国政府は、ダレス(John Foster Dulles)による連合国各国との協議の後、英米両国が起草した対日講和条約案をもとにした同条約の調印を目的として、連合各国政府代表を招き、対日講和会議を開催した。会議は、日本政府代表も出席し(議決権なし)、1950年9月4日から8日までサンフランシスコのオペラハウスを主会場として開催された。共産党・国民党の両中国は招待されず、ビルマ、インド、ユーゴスラビアは出席を拒 否した。
開催にあたり、米国政府は、この会議で多数票を確保していたが、ソ連が会議において条約の調印を阻止・遅延するための戦術に訴えたり、沖縄・千島・日米の安全保障の点で独自の修正案を提出し、アジア諸国や日本国民にゆさぶりをかけたり、あるいは会議の時期にあわせて朝鮮半島で軍事行動を起こしたりすることを想定し、断固たる決意で望むことを確認した。米国は、会議の冒頭でその議事進行に有利な規則の採択することに成功し、ソ連側の戦術は効果を上げることなく会議は終了した。出席国のうちソ連、ポーランド、チェコスロバキアを除く49か国が調印した。
米国代表団は、国務長官アチソン(Dean Acheson)(会議の議長をつとめた)、ダレス、上院議員コナリー(Tom Connally)、上院議員ウィリー(Alexander Wiley)の4代表のほか、上下両院の議員6人の副代表、ラスク(Dean Rusk)、アリソン(John Allison)、シーボルト(William Sebald)、ドッジ(Joseph Dodge)といった国務省、陸軍省等の高官らの顧問、議員監視員、その他総勢50名を越える人員により構成された。
原所蔵機関
米国国立公文書館(RG43)
受入
2001年度に米国国立公文書館でマイクロフィルムへの複写を依頼して収集した。
検索手段
関連資料
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