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宮本淌関係資料

宮本淌関係資料

資料作成年月日

1910-1989年

資料形態

原資料約15cm

請求記号

移民(三)メキシコ-34

旧蔵者名

宮本淌(1923年頃-?)

旧蔵者の履歴

宮本淌は、1923年頃に宮本良の長男として日本で生まれる。妹は静枝(1926年頃-?)。良の叔父に当たる宮本平四郎が、一家をメキシコ国グワナファト州ヘレクワロに存在したエスタンスゥエラ荘園へ移住するよう説得したことで、淌は1927年1月に横浜港から渡墨。共に説得された平四郎の末弟である宮本温の一家も同じく渡墨。1930年に日本に帰国し、後に獣医学校を卒業と同時に第13期飛行予備学生に入隊。鎮海海軍航空隊を経て青島航空隊にて終戦を迎える。海軍飛行予備学生マル秘科であったため、公職追放令に抵触しその解除を待って再び渡墨したのは1957年1月。1984年にエスタンスゥエラ荘園を発見した。

淌の父である良の叔父平四郎(1879年頃-?)は水戸藩儒であった宮本水雲(茶村)の子孫であり、開成中学校を卒業後、東京帝国大学(現在の東京大学)の英法科に学ぶが宮本一族の窮状を回復するため渡米し、アメリカテキサス州メキシコ国境近くに農場を持つ。メキシコ湾に面するリオグランデ平原に最初に入植した日本人だと言われる。農場の経営が軌道に乗ってきたころ、メキシコ革命軍の敗残者と名乗る者たちを家に滞在させたことをきっかけに、そのうちの一人のペードロチャパスからメキシコ国グワナファト州ヘレクワロに存在したエスタンスゥエラ荘園の譲渡を受けることとなる。しかし、メキシコでアグラリズモ(農地改革)が始まり荘園制度が廃止され、宮本一家は荘園を追われる。

※旧蔵者の履歴記述のため参考にした資料
・「メキシコ国グワナファト州ヘレクワロに存在したエスタンスゥエラ荘園を入手した沿革について(宮本淌筆)」【当館請求記号:移民(三)メキシコ-34-1】
「米国日系人百年史」(国立国会図書館デジタルコレクション)外部サイトへのリンク
(国立国会図書館デジタルコレクション ※国立国会図書館/図書館送信参加館内公開資料)

主言語

日本語

受入

1989年に宮本淌氏から、メキシコ現地で収集にあたっていた当館職員に寄贈された。

主な内容

宮本淌の書いた平四郎メキシコ国グワナファト州ヘレクワロに存在したエスタンスゥエラ荘園を入手した沿革についての備忘録、元当館職員同伴時に淌が撮影したエスタンスゥエラ荘園と思われる場所の写真、淌が撮影したメキシコの風景や人物写真、宮本三七郎(宮本水雲の曾孫で陸軍獣医中将)の作成した日本の薬草の押花が含まれている。

資料の構成
  • 移民(三)メキシコ-34
     1 メキシコ国グワナファト州ヘレクワロに存在したエスタンスゥエラ荘園を入手した沿革について(宮本淌筆) 5枚
     2 荘園関係写真集 (荘園関係写真 40枚、宮本尚撮影写真 22枚(解説付)) 1冊(62枚)
     3 宮本淌撮影写真 1冊 (18枚)
     4 宮本淌撮影写真 27枚
     5 宮本三七郎作成日本の薬草押花 50枚(解説付)、本人写真 1枚
  • ※「移民(三)メキシコ-42」の後に、各資料の番号を付して閲覧請求する。
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