吉田善吾関係文書(寄託)

更新
憲政資料室 作成

受入事項
寄託
資料形態
原資料
数量
59点
書架延長
0.2m
旧蔵者
吉田善吾 (よしだぜんご)
旧蔵者生没年
1885-1966
旧蔵者出身地
佐賀
旧蔵者履歴
1885.2.14佐賀生まれ。1904.11海軍兵学校卒、韓崎丸乗組、1905.1春日乗組、1905.8少尉、1906.5第5艇隊付、1906.8姉川丸乗組、1906.11砲術練習所学生、1907.4水雷学校普通科学生、1907.8朝霞乗組、1907.9中尉、1907.10橋立乗組、1908.11水雷学校付、1909.5横須賀敷設隊分隊長心得、1909.10大尉、横須賀敷設隊分隊長、1909.12海軍大学校乙種学生、1910.5水雷学校高等科学生、1910.12同校卒、水雷学校教官、1913.4第2艇隊艇長、1913.12海軍大学校甲種学生、1915.12海軍大学校卒、第3艦隊参謀、少佐、1917.12横須賀鎮守府付、1918.4水雷学校教官、1919.11第1水雷戦隊参謀、1919.12中佐、1920.6練習艦隊参謀、1921.5教育本部第2部、1923.4教育局第2課、1923.11教育局第2課長、1923.12大佐、1924.3平戸艦長、1924.12舞鶴要港部参謀長、1925.4軍務局第1課長、1927.12金剛艦長、1928.12陸奥艦長、1929.11少将、軍令部第2班長、1931.12連合艦隊参謀長、1933.9軍務局長、1934.11中将、1935.12出仕、1936.2練習艦隊司令官、1936.12第2艦隊司令長官、1937.12連合艦隊司令長官、1939.8阿部内閣海相、1940.1米内内閣海相、1940.7第2次近衛内閣海相、1940.9出仕、1940.11大将、軍事参議官、1942.11支那方面艦隊司令長官、1943.12軍事参議官、海軍大学校長、1944.5横須賀鎮守府司令官、1944.8軍事参議官、1945.6予備役、1966.11.14死去。
受入
2009年3月、寄託契約、同年5月公開
主な内容
嶋田繁太郎や山本五十六、古賀峯一郎といった海軍関係者からの書簡、回想筆記である「清閑随記」、日記(昭和17年末~昭和24年)。
検索手段
複製
閲覧、複写は複製資料を利用。複製資料からの電子式複写は可能。
関連文献
【資料紹介】
森山優「吉田善吾」『近現代日本人物史料情報辞典』吉川弘文館、2004
【伝記】
『最後の砦 提督吉田善吾の生涯』実松譲、光人社、1974(山本五十六書簡、「清閑随記」等の資料を用いている)(新装版『提督 吉田善吾』実松譲、光人社、1979)