昭和34年度の経済見通しと経済運営の基本的態度

昭和33年12月9日 閣議了解

収載資料:国の予算 昭和34年度 財政調査会編 同友書房 1959 pp.895-899 当館請求記号:344.1-Z11k

1 内外の経済情勢
世界経済の最近の情勢をみると、本年年央以来の米国経済の立直りはきわめて顕著であり、今後その速度はやや鈍るとしても、この上昇気運は明34年度においても持続するものとみられ、これを契機とする世界景気の回復について期待が寄せられている。しかしながら、国によつて事情を異にするものの、西欧経済の一般的な上昇への転回には時期的なずれもあり、また、低開発諸国の構造的な停滞がにわかに打開されるとみることも困難である。したがつて、今後さらに国際流動性の強化に対する各国の協調が促進され、低開発国に対する各般の援助が積極化するであろうが、各国の経済成長の度合にはなおかなりな不均衡が残り、この状況下においては明年度における世界貿易の拡大は本年度に落ち込んだ谷を這い上る程度、おわむね5~6%の増加にとどまるものと予想される。
国内経済については、その基調の推移は、前回に策定した「今後の経済の見通し」(昭和33年9月9日閣議了解)とほぼ同様であつて、ようやく昨年度後半以来の調整過程を脱し、再成長への展開の曙光を見出す段階に入つたとみることができる。総じて、本年度下期における経済活動は、国際情勢の好転への心理的な期待もあつて、かなりな伸びが記録されるものと思われ、その結果、本年度の成長率は前回の予想を上廻り、実質で2.5%程度に達するものと見込まれる。一方国際収支の黒字はさらに大巾なものとなり、企業経営や雇用関係にも一応の安定が見込まれるなど、地固めの気運は逐次濃厚となる趨勢にある。明年度の経済においては、世界経済のあらたな動向に即した適切な輸出努力の結実と、消費のひきつづく堅調とが予想される上に、民間および政府を通ずる投資活動に適度なはたらきを期待することによつて現段階における経済回復への歩調を一歩確実なものとし、物価水準や国際収支などの均衡条件をそこなうことなく、実質で約5.5%の経済拡大が可能となるであろう。
2 主要な経済指標の予測
(1) 成長要因
本年度の輸出は、世界貿易の縮小にもかかわらず数量的には前年度を上廻る実勢にあるが、輸出単価の下落によつて通関ベースではほぼ前年度なみ、為替ベースでは約2.5%の減少が予想される。これに対して明年度においては、鉄鋼プラント、軽機械などをはじめとして多角的な輸出の伸びが期待され、その単価にも若干の回復が見積られるので、為替ベースでは約9%増加の30億ドル前後が見込まれ、通関ベースでは、これを上廻る伸びが見込まれる。
つぎに、個人消費についてみると、本年度においては、従前の高度成長期における所得の増加趨勢のずれがあつて上期はかなり活発であつた。また下期もその季節性は相当高く、これを除去した実勢では経済調整の影響によつてややその伸びの鈍化が予想されるものの、豊作などに支えられる農業部門の作用もあり、結局年度を通じて前年度比5%程度の増加が見込まれる。明年度においても、人口の増加と経済活動の上昇にともなう賃金所得の増加に加えて、減税、国民年金制の実施も見込まれ、これらを総合すると約5.5%程度の伸びを予想することができ、ことにその伸びは下期において著しいものがあるとみられる。
これに対して、民間の設備投資は、当面、相対的に過大であつた過去の投資の反省期にあるために、本年度は前年度に比して15%程度、明年度においてもひきつづいて5%程度の減少が見込まれている。しかしながら、電力、石炭、鉄鋼などの重点部門の長期にわたる投資は、過渡的な需給事情の変化にもかかわらず、巨額の継続工事を有しており、また、一般的にも技術革新、消費の近代化への対応、輸出競争力の要請、設備更新などの投資誘因にも根強いものがある。これに加えて、経済の質的改善に重点を置いた財政投資の作用も考慮すると、明年度の設備投資全体としては、本年度に対して若干の増加となるものとみられ、その推移をみると、総じて下期以降において、漸次投資回復の趨勢が現われるものと思われる。なお、住宅投資は、最近安定的な歩調で増加しており、本年度は9%、明年度はこれを上廻る12%程度の伸びが見込まれる。
つぎに、在庫調整の遅延により、本年度においては、あらたな在庫投資は予想に達しない規模に止まつたが、明年度においては、生産、出荷、物価などの在庫変動要因の動向からみると、仕掛品、原材料、流通在庫などを中心として、在庫投資は着実に増加し、ことに経済活動の上昇する秋から年末にかけてその動きが強くなるものとみられる。
財政についてみると、本年度の政府の財貨サービスの購入の増加は、前年度比約7%弱であり、これが本年度の経済成長に貢献をもたらした度合はかなり大きい。明年度においては、前記のような経済基盤の強化のための公共的投資を中心とする財政活動の増加が予想され、政府の財貨サービスの購入の増加も、本年度の伸びを上廻ることになるものと見込まれる。
これらの需要要因に対応する供給側の動向を見ると、本年度の鉱工業生産は、上期の停滞がひびいて前年度に比し約0.7%の微増(下期は上期に対し約7%の拡大)に止まるものとみられるが、明年度においては、前記の各需要要因の拡大によつて、本年度に比して約6.1%の発展をしめすものと推定される。また、農林水産生産は、本年度においては、豊作などの影響により、前年度に比し2.7%の増大を見込まれているが、明年度においては、本年度の高水準との関係で、0.3%程度の伸びに止まるものと予想される。なお、近年相当な伸びを継続している第3次部門においては、本明年ともに、消費の堅調を背景として、さらに活発な動きをしめすものとみてよいであろう。
これらの各部門を総合した国民総生産の伸び、すなわち成長率は、本明年度ともに前回の「経済の見通し」の想定を上廻り、本年度においては名目で0.9%、実質で2.5%程度となり、明年度においては、名目で6.1%、実質で5.5%程度となる見込である。
(2)国際収支、物価、雇用など
このような経済の成長に必要とされる輸入の規模は、本年度においては、前年度に比し通関ベースで約10億ドル、為替ベースで約7億ドルと、それぞれ約24%の大巾な減少をしめすものと見込まれるので、輸出金額の停滞にもかかわらず、本年度の国際収支は、約4.6億ドルの黒字が予想される。また明年度においても、輸入は、通関、為替ベースとも4億ドル内外の増加と見込まれるが、さきの輸出の伸びを前提とするかぎり、国際収支においては、約1.6億ドル程度の黒字を期待することが可能となる。
32年度下期以降33年度を通ずる国際収支の改善は、連続的豊作による食糧輸入の減少、鉄鋼などの偶発的輸入需要の解消、綿紡、毛紡、鉄鋼など輸入依存度の高い産業の生産不振、輸入原料在庫蓄積から若干の調整への逆転などの事由のほかに、世界的な景気停滞のもたらした原料品の国際価格ならびに海上運賃の激落によるところがきわめて大きい。
34年度の輸入については、内外の経済情勢の好転を前提として、若干の価格上昇および在庫の補充を見込んではいるが、過去の経験に照しても輸入価格の変動および原料在庫の振巾はかなり大きく、これらの輸入情勢の変動が国際収支の危機を招く最大の原因となるので、輸入金額には相当の巾をもつて考えることが必要である。したがつて、この点からみると今後の内外の情勢如何によつては、上述の見込黒字では必ずしも安泰とはいいえないことに注意する必要がある。また、このような黒字の一半は、輸出のかなりな伸長が見込まれているからでもある。国際情勢にやや好転の期待がかけられるにしても、邦品に対する制限運動や、低開発国に対する西欧、中共の熾烈な進出や、欧州共同市場の発足など、わが国の輸出市場をめぐる展望は安易な楽観を許されないものがある。したがつて、明年度世界貿易の拡大率を上廻る輸出の伸びを実現するためには、なみなみならぬ努力が要請されることも留意すべき点である。
つぎに、物価の動向をみると、本年度においては、卸売物価は、経済調整の進行過程における需要の停滞と在庫の圧力により軟調を続けてきたが、下期の経済上昇期においては、若干の回復がみられるものと見込まれる。この反面、消費者物価は、消費需要の増大を反映して比較的に底固い基調を辿つており、今後もこの傾向が続くものと予想される。明年度においては、内外の需要拡大によつて、若干物価水準を押し上げる力がはたらくことになるであろうが、いまだ相当に供給余力の存在する状態下においては、ある程度の不均衡是正はあるとしても、卸売物価、消費者物価ともに、おおむね強含みの横這い程度にとどまるものと思われる。
つぎに、金融についてみると、最近の金融市場の顕著な緩和傾向は、明年度においても、なお、当分の間持続するものと予想される。もつとも経済活動の上昇にともない、次第に新たな資金需要が現われてくるものとみられるので、金融の基調には若干の変化が生じてくるであろうが、オーバーローンの改善をはじめとする金融の正常化は、着実に進展するものと期待される。
生産や物価、金融の前記の動きから推して、昨年度の下半期から本年度の上半期にかけて、経済調整の進行と生産能力の増加とのギヤツプに悩んだ諸産業も、本年度下期から明年度にかけて、その経営内容にやや改善を期待することが可能となるものとみられる。主要産業の操業度をみても、本年6月を谷として、生産能力増加速度の鈍化と生産の上昇とによつて回復の傾向がうかがわれる。
このような推移は、また雇用関係の前途にも光明を点ずる。人員整理や就業条件の悪化などにみられる労働事情も、最近においては一応の落ちつきを見せているので、今後さらに困難な事情になるものとは予想されない。
もつとも、経済の回復と雇用の増加との時間的ずれ、明年新規学校卒業者数の増加などの事情にも注意する必要があるが、経済活動の上昇と公共的投資の増加などを考慮すれば、本年度の雇用者数の増加67万人に対し、明年度のそれは、74万人程度と推定される。
3 経済目標の設定
前記の予測における経済成長によつてえられる国民経済の実質的な水準を、長期経済計画における基準的な成長線と対照すると、本年度においては、その33年度の位置より0.2%上回り、明年度においてはその34年度の位置より0.7%下回ることになるが、ほとんど、その指向するところと、へだたりのない水準を実現することになる。つぎに、国際収支や雇用などの面で、この水準において予測される前記の数値と、長期経済計画における平均的な目標値とを対比すると、国際収支においては、この見通しの1.6億ドル程度の黒字見込は、後者の1.5億ドル目標とほば同程度であるが、雇用においては、この見通しの74万人増の見込は、後者の目標83万人増を若干下廻ることになる。
これに対して、本明年度における国際収支の好転を基礎として、その許容する限度において可及的に大きめな経済成長の目標を設定することも可能ではある。しかしながら、国民経済の質的な改善に結びつかない安易な需要拡大による成長補給策は、むしろ長期的な観点からすれば好ましくないし、ことに明年度は、すでに見たように、成長要因の多くのものが下期に集中することが予想されるので、かりに質的改善の線に添う成長策であつても、その実施が経済の循環や企業心理に過度の波及的な効果をもたらすような程度のものとなつてはならない。むしろ長期にわたつて着実に経済を成長させつつ、その内容の改善をはかつてゆくことが、望ましい安定成長の姿だといえよう。
また財政の面においても、その機能の合理性をそこない、後年次に対する悪影響をもたらすような内容や規模を課することは適当でない。さらに国際収支という点からすれば、輸入の変動や、輸出に対する制約など問題のあることも計算に入れておかなければならない。
この見通しにおける実質成長率5.5%は、明年度における民間経済の成長力に、財政の適度なはたらきを期待して算定されたものである。すなわち、民間経済においては、前述のように調整過程から再成長への着実な展開をしめすことを前提とし、また財政においては、現段階における経済の実勢と要請とにかんがみ、減税、国民年金制の実施などの新政策を内包しつつ、一般会計においては、健全性が保持され、他面、財政投融資は、経済の体質強化に焦点をおいて、ある程度拡大の方針がとられることを予想して推定されている。これを成長目標設定の際に留意すべき前記の諸事項との関連において検討すると、明年度この程度の成長率を適度な経済目標として設定することが、おおむね当を得たものと考えられる。
4 経済運営の基本的態度
明年度における経済運営の基本的態度としては、この経済成長の達成を目標としつつ、その際、通貨価値を堅持し、物価の安定をはかるなど均衡の条件に留意することは、もとよりであるが、とくに、わが国経済の長期的な経済発展の基盤充実に資するため、国民経済の質的改善を促進することに全力を傾注し、以下の諸点に施策の力点を置くものとする。
(1)世界経済の動向に即しつつ、予定された輸出の伸びを実現するため、従来よりの輸出振興策をさらに推進するほか、輸出に最適な経済構造への前進、輸出産業の質的な競争力の拡大、多角的な輸出浸透力の発揮などにつとめ、経済協力および技術協力の展開と相まつて、長期的な経済交流拡大の素地を整備する。
(2)投資の過度の変動を平準化し、かつ、政府および産業諸部門間における投資の均衡化をはかるために必要な配慮を加えるとともに、この際、道路、港湾、輸送、住宅、産業立地など一般の経済発展に遅れた部門に対する公共的投資を拡充して、産業基盤の充実強化を期する。
(3)産業の体質を改善し、その国際的地位の向上に資するため、極力その近代化、合理化をすすめるとともに、一層企業資本の充実をはかり、企業の健全化の基礎を整備しつつ、他方金融の正常化を推進する。
(4)わが国経済の宿弊である過当競争を防止し、合理化と輸出拡大のための産業秩序を確立するため、所要の体制を整備する。
なお、農林水産業については、他産業との均衡ある発展に留意しつつ、生産基盤の整備拡充と近代化を着実に推進するとともに、中小企業については、一層その組織化、近代化を推進し、産業構造の脆弱性の是正に努力する。
(5)経済成長力の回復の過程において、極力、雇用機会の増大と雇用内容の近代化につとめるとともに、減税による国民負担の軽減、国民年金制の実施などによる社会保障対策の充実をはかり、国民生活の均衡ある向上に資する。