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日中国交正常化以降の日中関係: アジア情報室通報 第10巻第3号

アジア情報室通報 第10巻第3号(2012年9月)
濱川今日子(関西館アジア情報課)

はじめに

2012年は、日中国交正常化40周年の節目の年にあたる。両国政府は、1972年9月29日に「日本国政府と中華人民共和国政府との共同声明」1(以下、「日中共同声明」という。)を発表し、両国の不正常な関係を終了させた。その後40年、政治、経済、文化などあらゆる分野において、関係を深めてきた。

本稿では、日中国交正常化の翌日および正常化10周年、20周年、30周年の節目に、中国共産党の機関紙である『人民日報』に掲載された日中国交正常化に関する社説・論説を手掛かりとして、過去40年間の日中関係を回顧する。

1 日中国交正常化

(1)日中国交正常化と日中共同声明

第二次世界大戦後、日本は台湾の国民党政府と外交関係を結んでいたが、中華人民共和国の国連加盟と中華民国の脱退、ニクソン・ショックに象徴される米中接近といった国際情勢の変化を受けて、中華人民共和国との国交を望む声が以前にもまして強くなった。

一方、当時の中国は、毛沢東の大躍進政策の失敗や文化大革命の混乱によって、経済状態が著しく低迷していた。また対外的には、1969年に珍宝島で軍事衝突が発生するなど、ソ連と敵対関係にあった。このような事態を打開するため、中国もまた日本との関係改善をさぐっていた。

1972年7月、田中角栄内閣が成立すると、田中首相、大平外相は早くも9月に北京を訪問し、周恩来首相らとの国交正常化交渉に臨んだ。

交渉において、中国は①中華人民共和国政府は中国を代表する唯一の合法政府である、②台湾は中国の領土の不可分の一部である、③日華平和条約は無効であり破棄されるべきである、との復交3原則を提示し、主要な論点となった。

4日間の交渉の末に成立した日中共同声明の中で、上記論点の①について、日本は無条件で承認し(声明第2項)、②については、日本が中国の立場を「十分理解し、尊重」する(第3項)、とした。③に関しては声明に明文化されなかったが、大平外相は、声明発表後の記者会見の場で、日中国交正常化の結果、日華平和条約は存続の意義を失い終了したとの説明をおこなった2。この他声明には、中国が日本に対する戦争賠償の請求を放棄すること(第5条)などが盛り込まれた。

(2)台湾(中華民国)との外交関係の終了

一つの国家には一つの政府しかないという国際法の原則がある以上、北京の共産党政府、台北の国民党政府がいずれも中国の代表政府と主張するかぎり、中華人民共和国との国交関係を樹立すれば、台湾との関係は終了せざるを得ない。台湾との関係をいかに処理するかは、日中国交正常化のもう一つの難題であった。

日本は、椎名悦三郎特使らを台北に派遣し、1972年9月18、19日の蒋経国行政院長との会談において、また、蒋介石総統宛ての「田中親書」3の中で、日中共同声明に関する日本の立場を説明した。台湾は日本の方針に強く反発したものの、覆すことはできなかった。日中共同声明発表の当日夜、台湾は日本との断交を宣言した4。

2 1972年の論調

日中共同声明発表翌日の『人民日報』は、「中日関係の新たな一章」と題する社説を掲載した5。

まず、社説は中華人民共和国の成立以降、国交がないにもかかわらず、民間レベルでの交流が継続し、それが国交正常化の礎となったことを強調する。また、戦争の責任は日本の軍国主義者にあり、一般の日本国民もまた被害者であるとの中国政府の立場がここでも明らかにされている。

中日両国の国交正常化がついに実現したことは、中国人民と日本人民が長期にわたってともに努力してきたたまものである。

中国人民は毛主席の教えに従って、広範な日本人民とごく少数の軍国主義分子を厳格に区別し、日本人民がこうむった戦争の災難に深い同情の念を抱いている。

中華人民共和国成立以来、われわれは一貫して日本人民との友好関係を積極的に発展させてきた。政界、文化界、経済界の多くの有識者を含む日本各階層人民と友好人士は、日中友好を促進するために、絶えず積極的に努力を重ねてきた。だからこそ中日両国人民の友好往来と経済、文化交流は、二十数年来、両国の間で戦争状態の終結が公表されていないにもかかわらず、ずっとたえることなく、しかも日増しに発展してきたのである。このことは、中日関係の正常化を実現するうえで、好ましい基礎をうち固めた。

国交正常化以降の日中関係については、極めて楽観的かつ希望に満ちた論調で述べられている。

中日両国が平和に友好的に交わることは、われわれ両国人民の利益にかなっているばかりでなく、アジア・太平洋地域の各国人民の利益にもかなっている。中日両国の善隣友好関係の樹立と発展がアジアの緊迫した情勢を緩和し、世界の平和を守るうえで極めて有利であることは疑う余地のないところである。中日友好には洋々たる発展の前途が開けており、中日両国の偉大な人民が必ずやさまざまの障害をのりこえて、子々孫々友好的に交わっていけるものと、われわれは固く信じている。

3 1982年の論調

1982年9月29日の人民日報は「中日国交正常化十周年を熱烈に祝う」と題する社説を掲載した6。

社説は、国交正常化以降の10年間で日中関係が大きく発展したことを指摘した。その証左として、首脳の相互訪問の実現、今後10年間の日中関係の基本的な考え方となる①平和友好、②平等互恵、③長期安定の3原則の合意、政官・民間の人的交流の拡大、1978年日中平和友好条約をはじめとする諸条約の締結、貿易の増加などを挙げている。

一方で、1982年の社説は、日本の「軍国主義」復活への警戒を色濃くにじませている。

日本の軍国主義者の中国侵略によって、両国の友好関係が中断に陥ったことがある。中国人民は一貫して、かつて両国の間には不愉快な歴史の一時期があったと認識しており、これは両国の友好の長い流れの中ではごく短い期間であっても、その教訓は深刻であり、真摯に記録しておかなければならない。

こんこんと前に向かう中日友好協力の大きな流れの中で、人々は、中日関係を固め発展させる要素を妨げるものが存在していることに注意しなければならない。

この記述の背景にあるのは、1982年の靖国神社参拝と教科書検定問題であろう。

この年の文部省の教科書検定において、中国大陸への「侵略」という記述を「侵入」「進出」に改めるよう検定意見が付されたとの報道に対し、中国は歴史的事実の改ざん・歪曲であるとして、日本側に正式な抗議を申し入れた7。

また、閣僚による靖国神社の参拝にも強く反発し、8月15日付『人民日報』には、非常に危険な行為であり、もし発展すれば、中日友好関係にとって極めて有害であろうと警告する社説が掲載された8。加えて9月1日の中国共産党全国大会でも、胡耀邦総書記が、日本の一部勢力が過去の侵略を美化し、軍国主義の復活をたくらんでいると批判している9。

教科書問題については、日本政府が訂正に応じる形で外交的には一応の解決を見た。しかし、日中関係が友好一辺倒ではない新たな段階に入ったことを感じさせた。

4 1992年の論調

1983年から1984年ごろは、胡耀邦総書記の訪日、中曽根首相の訪中をはじめとして、政財界の往来が相次ぎ、「日中二十一世紀委員会」が創設されるなど、両国は極めて良好な関係にあった。しかし、中曽根首相の靖国参拝(1985年)、光華寮訴訟10(1987年)、天安門事件(1989年)など、数年おきに発生する問題で両国関係が悪化する局面もみられた。

国交正常化20周年の日の『人民日報』には、「先人の業を継ぎ前途を開拓し、善隣友好の新世紀を切り開こう」と題する社説が掲載された11。

歴史を正しく扱い、史をもって鑑となすことは、中日関係の順調な発展の重要な要素である。中日両国は二千年の友好交流の歴史を有し、半世紀超の不幸な歴史の深刻な教訓を有し、さらに国交正常化以来の発展的友好関係の豊富な経験を有する。中日両国はいずれも歴史を正視し、歴史を尊重し、正負両方面の経験をもって次世代を教育し、利をもって日関係を長期的かつ判定的に発展させていかねばならない。

小異を残して大同につく、互利互恵、相互尊重は、中日関係の持続的発展の必要条件である。両国政府および人民は、中日関係を高度に尊重し、しっかりと擁護しなければならない。

中日両国はいずれもアジアおよび世界において重要な影響力を有する国家であり、中日友好はすでにアジア太平洋地区の平和と発展にとって重要な要素となっている。新たな国際情勢のもと、中日両国はさらに国際的問題において協調を高め、両国関係における協力分野を拡大し、長期的かつ安定的友好関係を形成しなければならない。これは、両国政府と人民の新たな共同使命である。

1992年10月、天皇・皇后両陛下は中国を御訪問になり、両国の友好親善を深められた。天皇陛下は歓迎晩さん会でのおことばにおいて過去の不幸な歴史についても言及された12。

5 2002年の論調

1990年代後半以降は、中国の核実験(1996年)、小泉首相の靖国神社参拝(2001年、2002年)などの問題が発生するたび、対立が先鋭化した。冷戦の終了後、各国が軍備を縮小するのと対照的に、中国は軍事費を急速に伸ばしたことから、いわゆる中国脅威論も叫ばれるようになった。

1995年、戦後50周年にあたり、日本は「村山談話」13において過去の植民地支配と侵略に対するおわびを表明した。しかし中国内では、1990年代半ばより青少年に対する愛国主義教育と日本の軍国主義批判が展開され、国民の間での対日感情はむしろ悪化しはじめた。

1998年には、江沢民が中国の国家元首として初めて来日し、「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言」14を発表したが、歴史認識に関する文言について、より直接的な謝罪を盛り込むよう要求する中国と、村山談話にもとづくおわびを口頭で表明したい日本が対立し、両首脳の署名は文書に入れられなかった15。

このような中で迎えた国交正常化30周年の『人民日報』には、日本駐在記者が執筆した「友好関係を時代とともに前進させよう―中日国交正常化三十周年を祝う」と題する論説記事が掲載された16。

2002年の論説は、日本が中国に供与したODAに言及している点が目立つ。

日本が中国に提供した円借款およびODAは、わが国の発展と両国の経済協力拡大に大きく貢献した。

わが国が受け入れた日本の無償援助項目は、教育、医療、農業などの分野に及ぶ。日本はわが国に対する第1位の無償援助提供国であり、わが国が受け入れた無償援助総数の約25%前後を占めている。

1990年代末ごろから、日本では、対中ODAについて、日本への感謝がない、軍事費に転用されているのではないか、などとして、その必要性・有効性に懐疑的な見方が広がった17。これに対して、朱鎔基首相が日本の与党幹事長との会談の場で「中国国内にアピールしたい」と述べ18、その後、中国の新聞には、日本のODAを肯定的に伝える記事がたびたび掲載された19。『人民日報』の論説も、このような政府の方針に沿ったものと考えられる。

一方、2002年の論説でも、歴史認識への言及がなされた。両国の間に問題が生じれば、話し合いでの解決を目指すものの、「中国人民の感情を傷つける言動」には厳しい態度で臨む姿勢を示している。

30年間の中日関係の発展は順風満帆ではなかった。その中には、歴史問題や台湾問題など長年にわたって存在する問題もあれば、貿易摩擦や領事問題といった最近増加した問題や突発的な問題もある。中日両国は体制が異なり、国情も同じではなく、摩擦や見解の相違が出現するのは正常なことである。

しかし、中国人民の感情を傷付ける言動について、傷付けられる側は座視することはできない。一時の誤解で生まれた争いについて、双方は冷静な協議を通じて適切に解決することができる。

おわりに

2002年以降の10年間では、2004年に東シナ海のガス田・境界画定問題が顕在化したほか、尖閣諸島に関する事案がたびたび発生している。2010年の中国漁船衝突事件20では、両国の関係悪化が経済関係にまで波及した。2007年、2008年の食品安全問題21や同年発生したチベット騒乱でも、両国の立場の隔たりが際立った。

こうして国交正常化以降の日中関係を振り返ると、歴史認識をめぐる問題が繰り返し顕在化し、両国の関係を軋ませていることが分かる。

日本の歴史認識に対する中国の疑念は根強く、他方、経済・軍事など様々な分野で存在感を増す中国に対する日本の警戒心も強い。相互不信を解きほぐし、両国関係の健全な発展を考えるとき、共同声明当時の中国側の過去を将来の教訓とする未来志向の態度、そして共同声明に謳われた日本側の過去の戦争への深い反省、さらにこれまで両政府間で繰り返し確認された平等、互恵、長期的安定といった両国関係の基調となる諸原則は、今日改めてその意義が見直されてよいように思われる。

(はまかわ きょうこ)


1.『主要条約集 平成18年版 上巻』[2006], pp.105-106.

2.「(3)大平外務大臣記者会見詳録」『わが外交の近況 昭和48年版(第17号)』外務省, 1973. (http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1973/s48-shiryou-4-3.htm#m479

3.石井明「日台断交時の『田中親書』をめぐって」『社会科學紀要』[50号], [2000], pp.89-109.

4.『日中関係基本資料集:一九四九年-一九九七年』霞山会, 1998, 434-435.

5.「中日关系的新篇章」『人民日报』1972.9.30, p.2. 引用は、時事通信社政治部編『日中復交』時事通信社, 1972, pp.256-258に掲載されている全文日本語訳による。

6.「热烈庆祝中日邦交正常化十周年」『人民日报』1982.9.29, p.2. 日本語訳は筆者による。

7.中国、教科書検定で抗議」『読売新聞』1982.7.27, p.1.

8.「前事不忘, 后事之师」『人民日报』1982.8.15, p.1, 4.

9.胡耀邦「全面开创社会主义现代化建设的新局面 在中国共产党第十二次全国代表大会上的报告」『中国共产党第十二次全国代表大会文件汇编』人民出版社, 1982, p.46.

10.京都にある中国人留学生用の光華寮の所有権をめぐる裁判。1982年から1987年までの控訴審等で「中華民国」の当事者資格および光華寮の所有権が認められる判決が相次ぎ、中国が反発した。なお、2007年の最高裁判決では「中華民国」の当事者資格が否定された。

11.「继往开来, 开创睦邻友好的新世纪-纪念中日邦交正常化二十周年」『人民日报』1993.9.29, p.1. 日本語訳は筆者による。

12.「天皇皇后両陛下 中華人民共和国ご訪問時のおことば」 (http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h04e-china.html#china

13.戦後50周年の終戦記念日にあたって(いわゆる村山談話)」平成7年8月15日

14. 両国の21世紀の日中関係のあり方を定めるもので、日中共同声明、日中平和友好条約に続く第3の重要文書として位置づけられた(外務省編『外交青書. 第42号(平成11年版)第1部』日経印刷, 1999, pp.350-352.)。

15.外務省の説明では、そもそも首脳の署名の予定はなかった。(「日中共同宣言発表、日中『過去』で火種残す」『日本経済新聞』 1998.11.27, p2.)

16.「让友好合作与时俱进-纪念年中日邦交正常化三十周年」『人民日报』2002.9.29, p.3. 日本語訳は筆者による。

17.渡辺利夫「対中国ODAは日中の未来を拓く」『外交フォーラム』15巻10号, 通号171号, 2002.10, pp.34-39.

18.「日本のODA、中国国民に周知 朱首相、与党3幹事長に表明」『日本経済新聞』2000.10.9, p.2.

19.「中国主要メディアからみた日本の対中ODA」『国際開発ジャーナル』550号, 2002.9, pp.18-22.

20.中国漁船が同諸島領海内で海上保安庁の巡視船に衝突し、船長が逮捕拘留された。これに対し中国は、レアアースの日本への輸出を禁止するなどの措置を講じた(外務省編『外交青書. 第54号(平成23年版)』日経印刷, 2011, pp.35-36.)。

21.中国から輸入した冷凍ギョーザに殺虫剤が混入していたことを原因とする食中毒事件。

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