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マレーシア語資料の出版状況について:アジア情報室通報 18巻2号

塩崎悠輝(静岡県立大学国際関係学部国際関係学研究科准教授)

 国立国会図書館関西館アジア情報室では、蔵書構築の参考とするため、定期的に外部有識者の意見を聴取している。令和2年1月8日、塩崎悠輝 静岡県立大学国際関係学部国際関係学研究科准教授をお招きし、マレーシアの出版事情についてお話しいただいた。本稿はその概要である。

(関西館アジア情報課)

*【 】は当館請求記号。

1.「マレーシア語」とは?

(1) マレーシア独立以前のマレー語

 「マレーシア語資料」というのは、非常に広範囲に及ぶ。どのように広いのか、そこから始めていきたい。

 「マレーシア語(Bahasa Malaysia)」という呼称は、1957年のマラヤ連邦独立後に公用語とされていたマレー語について、2007年の閣議決定により、新たにマレーシア政府により正式な呼称と定められたものである。それまでは「マレー語」「マレーシア語」と2つの呼称があり、今でも「マレー語」という人の方が多い[1]。マレー語には様々な言語からの語彙流入があり、類似の言語は多数あるが、「マレー語」として確立したのは13~14世紀頃である。東南アジア島嶼部で、異なる言語間での意思伝達手段であるリンガ・フランカとして使用された。通商のために発達した混成語であるピジンとする説もあるが、よりオフィシャルで、学術・外交にも使用される。

 マレー語は12~13世紀頃までは、3世紀後半~9世紀末にインド半島南東岸を支配していたパッラヴァ王朝の文字であるパッラヴァ文字で書かれていたが、イスラームが普及した14世紀からはアラビア文字を使用するのが主流になった。マレー語をアラビア文字で表したものは、ジャウィと呼ばれる。

 その後、イギリスがマレー半島を植民地化する中で、ラテンアルファベット表記(ルーミー)が広まり、20世紀半ばに定着した。

(2) 公用語としてのマレー語

 歴史的に存在してきたマレー語が、1957年にマラヤ連邦が独立した国家になることによって、その公用語となった。マレーシアが成立するのは1963年で、それまではマラヤ連邦の公用語としてのマレー語だった。

 どこの国でも、国民国家成立以前は各地域によって違う言葉が話されていたが、国民国家として国民を作るには国語を制定する必要がある。マレーシアで標準語の作成を担ったのは、Dewan Bahasa dan Pustaka[2]という政府機関である。略してDBPと呼ばれ、言語図書局、言語図書協会等と訳される。正しいマレーシア語を決めるのはDBPである、と政府が定めており、マレーシア語の最も標準的な辞書の発行、学校の教科書作成、マレーシア語能力検定の実施等を行っている。

 なお、マレー語はシンガポール、ブルネイでも公用語となっている。ブルネイではDBPが作成した教科書を使用する等、マレーシアとほぼ同じ言葉を使っていると考えてよい。シンガポールでもほぼ同じ言葉だが、マレー語を使うのはマレー人以外にはあまりいない。またタイ南部のパターニーと呼ばれる地域ではマレー系住民が多く、マレー語とほぼ同じ言語が使用されている。

 インドネシアもマレーシアと言葉はほぼ同じとよく言われるが、これはやや誤解である。リンガ・フランカであったマレー語をベースとして、両国で標準語化が別個に進んだ。2言語で会話しても専門用語などは通じない。

2.マレー語資料のカテゴリー

(1) 媒体区分

非紙媒体:碑文、palm leaf

 マレー語資料は、14世紀くらいから紙媒体が現れる。それ以前は石(特に墓石)か椰子の葉(palm leaf)に記録されていた。12世紀くらいから墓石にジャウィ表記で記載されたものが現れてくる。イスラームが広まっていったこともこの辺りから判断される。

紙媒体

 マレー語の紙資料は14世紀くらいから出てくるが、 14~16世紀の資料は、ほぼオランダかイギリスにある。 イギリスの英国図書館(British Library)[3]、 オランダのライデン大学(Universiteit Leiden)[4]、 オランダ国立公文書館(Nationaal Archief, NA)[5]に保管されていることが多い。 マレーシア国立公文書館(Arkib Negara Malaysia)[6]や インドネシア国立公文書館(Arsip Nasional Republik Indonesia , ANRI)[7]が所蔵しているのは18~20世紀のものである。

 16世紀末にオランダが現在のジャカルタ近辺を拠点とし始め、紙資料を集めて本国に送った。それにより現在資料が残っているともいえる。

 現存する資料に含まれるものには、詩やマレーシア語でhikayatという物語がある。hikayatには、アラブ近辺の物語がそのまま翻訳されているものもある。

 そしてイスラームの法学や神学などの宗教書が非常に多い。また、外交文書も多数残っている。外交文書はリンガ・フランカであるマレー語で書かれている。イギリス・オランダからマラッカの国王に書簡を出す場合なども同様である。

 近年の傾向として、文化財の返還が大きな問題となっており、オランダなどは現在返還を進めている。

 日本に関していうと、1941年から1945年にかけて、 旧帝国図書館に運び込まれたマレー語資料が約4,000点ある。 他にも現地の王宮などから運び出された資料があるようだが、 海没等により旧帝国図書館に到達しなかったものも多数あると考えられている。 記録がないため詳細は不明である。 旧帝国図書館に運び込まれた資料については、1950年までに[8]、イギリスやオランダに返還されたが、目録が作成されなかったため、どのような資料が含まれていたかは明らかではない。

印刷資料

 印刷技術自体は17世紀にマレーシアに伝わっている。オランダ人がバタヴィア(現在のジャカルタ)に印刷所を作り、プロテスタントの宣教師が布教のためにジャウィ表記のマレー語の聖書を印刷していた。マレー語や現地の社会や文化、イスラームのことを一番熱心に研究していたのは宣教師団である。

 マレーシアの人々が自分たちで印刷を始めるのは19世紀後半からである。シンガポールやペナン、当時オスマン帝国領であったメッカなどで主にイスラームの宗教書を印刷した。1870年代のメッカには東南アジアの人々、特にイスラームの学者等が3万人くらいいたと言われている。

(2) ジャンル

新聞

 外部からの宣教師等ではなくマレーシアの人々自身が、宗教書や辞書以外で最初に印刷を始めたのは新聞である。

 19世紀には、新聞発行を通じて世論形成を図ろうとする世界的潮流があったが、その中で1876年にシンガポールで出版されたJawi Peranakanがマレーシアの人々自身による最初の新聞となった。Peranakanというのは民族名もしくは社会集団名で、海峡植民地であるシンガポール、マラッカ、ペナンの現地化した華人のことを指すが、新聞は中国語ではなくマレー語で書かれている。

 1900年代になると新聞の数も増えてきたが、マレー語の識字率が低いこと、流通網がなく全国紙にはならないこと等から、短期間で廃刊になることが多かった。マレー半島で最も歴史が長い新聞は、1896年創刊の英字紙であるMalay Mail(当館未所蔵)で、122年間続いて2018年に廃刊となった。1900年代に識字能力がある人というのは英語を読める人の方が多く、商業的には英字紙の方が成功しやすかった。マレー語新聞が商業的に成り立つようになったのは、識字率が上がった1940年代頃からである。

 マレー語新聞として一番長く続いたのは1939年に創刊されたUtusan Melayu、後のUtusan Malaysia【Y735-SN-11】(日曜版の名称はMingguan Malaysia【Y735-SN-14】)だが、2019年10月に休刊となった。Utusan Malaysia は、1957年のマラヤ連邦独立以来の与党であった政党である統一マレーシア国民組織(United Malays National Organization, UMNO)の機関紙であり、行政機関や企業、学校などに購入させていたが、UMNOが2018年3月に史上初めて野党となったためにそれが成り立たなくなってしまった。UMNOは巨大な企業体でもあり、その中にUtusan Malaysiaを所有するUtusan Groupも含まれる。Kosmo!(当館未所蔵)もUtusan Groupが刊行していた新聞だが、同じく休刊となっている。同じUMNO傘下のThe New Straits Times Press社刊行の新聞であるNew Straits Times【Z91-261】の方はまだ継続している。

 連合与党の政党であったマレーシア華人協会(Malaysian Chinese Association, MCA)傘下にあるThe Star(当館未所蔵)は英字紙として現在最大手だが、これも売り上げが低迷している。

 そもそも新聞というメディアがもう成り立ち難い。皆ニュースはネットで見ていて、わざわざ新聞を買うのは英語の勉強を兼ねた英字紙購買層くらいである。マレー語新聞のBerita Harian(当館未所蔵)も存続が危うい。

公文書

 基本的に公文書を保管しているのはクアラルンプールにあるマレーシア国立公文書館や、各州の公文書館である。複写可の資史料も、閲覧のみ可能な資史料もある。

書籍

 出版点数が少ない訳ではないが、日本でいう講談社や集英社のような巨大な出版社はなく小規模出版社が乱立している。強いて言えば政府機関であるDBPの規模が大きいくらいである。

 マレーシア語の出版物では、イスラーム関係や娯楽書の出版点数が多い。マンガの出版点数はさほど多くなく、マンガであれば中国語のものの方がむしろ売れている。

 学術書は大多数が約20の大学出版により刊行されている。大学は業績を見せたいので出版する動機があるが、それ以外のところではなかなか学術書は出版しないし、商業的に成り立つものでもない。イスラームの学問などはまた別だが、特に社会科学分野はほぼ大学出版によって担われている。

 翻訳書は、政府機関である翻訳図書研究所(Institut Terjemahan & Buku Malaysia)[9]によって出版されている。外国の書籍をマレーシア語に翻訳するのが使命となっている研究所で、世界的な古典文学、有名ではあるが商業的には成り立たないようなものなどを翻訳している。これはマレーシア語に翻訳する、ということ自体に意義があると言わざるを得ない。マレーシア語というのはこういうものも訳している、といわば証明するために行われている。そういう無理をしないと軽視されがちな言語とも言える。

雑誌

 雑誌の出版物は多岐に渡るが、よく売れているのはやはりイスラーム関連のものである。ただ、イスラームとは言っても学術的なものよりは幽霊の話のような通俗的なものがよく売れており、中には70年以上続いた雑誌もある。その他には、娯楽関係、児童関係、ファッション誌、日本での『ゼクシィ』のような結婚情報誌などもよく売れている。

 一方、マレーシア語の雑誌には『Times』や『Newsweek』、日本での『アエラ』や『文藝春秋』に相当するような政治経済に関する雑誌はほぼ存在しない。インドネシアにはかなり売れているものが3誌程あるが、マレーシアにはない。政治経済について情報を得ようとする人は英語誌を読む。そこがマレーシア語の難しいところである。

3.マレーシア語資料の過去20年間の変化

(1) 電子化の進展と紙媒体の凋落

 過去20年間で電子化が非常に進展している。ニュースを見るにもMalaysiakini[10]等のニュースサイトがむしろ主流で世論への影響力も大きい。一方で新聞は急速に部数が減少している。もともと新聞はUtusan Malaysiaのように政府与党の機関紙が多く内容的にもあまり面白いものではなく、人気もない。

 なお、マレーシアではSNSが非常で盛んで、Facebook、Instagram、そしてWhatsAppというチャットアプリなどに人気がある。Twitterはそれほど盛んではない。

(2) ペーパーレス化の推進

 ペーパーレス化が相当進んでいる。大学でも、教科書や授業のコンテンツや試験問題、学生のレポート等すべて大学のウェブサイトにアップされており紙を使わない。また、学術誌のオープンアクセス化も進んでいる。

 公的機関も同様で、マレーシア統計庁(Jabatan Perangkaan Malaysia)[11]等の統計資料や白書、 国家予算をはじめ、公的機関の刊行物はほぼ電子化されており、 インターネット上で入手可能である(有料の場合もある)。中央銀行(Bank Negara Malaysia)[12]や 連邦政府首相府経済計画ユニット (Economic Planning Unit (EPU) of the Prime Minister's Department Malaysia)[13]という日本の旧経済企画庁のような機関の資料も、公開している資料はすべてダウンロード可能であるし、法律もすべてインターネット上で閲覧可能である。

(3) 古文書のデジタル化

 マレー語の古文書は、英国図書館やオランダ、アメリカのいくつかの機関でかなりデジタル化が行われている。一方でマレーシア本国ではほぼ行われていない。

(4) 英語とのバランス

 過去20年に限らず20世紀から起きているマレーシア語の宿命的な課題であるが、英語の力が非常に強く、マレーシア語は常におびやかされる存在となっている。

 マレーシアの人々は英語を得意としており、それをアドバンテージに外国企業の誘致も盛んである。学生が欧米に留学する際にも有利に働く。

 しかし政府はマレーシア語の普及推進を基本政策としている。外国の古典のマレーシア語への翻訳を行うほか、学術用語のマレーシア語への翻訳を進めてマレーシア語は学術用語としても使用できるという主張も行っている。また、テレビや映画のコンテンツの一定割合はマレーシア語とする、といったことも行っている。いわば政府からの押し付けである。しかしいくらテレビ局がマレーシア語のコンテンツを制作しても、人気があるのはアメリカのドラマやディズニーチャンネル等である。

 また政府は、国民の務めとして、公教育において、華人、インド人、カダザン人、バジャウ人、ダヤック人等の非マレー人にもマレーシア語を必修にしている。

 華人の一部はそれを嫌って中国語・英語だけで教育する独立学校を作っているが、それを高校卒業資格として認めるかは政治的問題にもなっている。マレーシアではマレー人が権力を握っており、軍や警察もマレー人が掌握している。国家元首はマレー人とすることが憲法でも決められている。そのような状況の中で、非マレー人にもマレーシア語を強制することがマレー人支配の正統性にもかかわる話となっている。

 しかし、例えばイギリスのTimes社が発行しているThe Times Higher Education : THE【Z92-184】の大学ランキング等、世界的な大学ランキングでは英語での教育や研究発表が評価されるため、マレー人であってもできるだけ英語に切り替えることを主張する人もいる。特に自然科学分野においては用語をマレーシア語に翻訳することが難しいため、マレーシアの国際競争力のために、せめて数学や理科だけでも小学校から英語にしようという議論も行われている。

 マレーシア語は、学術分野でも娯楽においても衰退が懸念されている。

4.マレーシアと日本の外交課題

(1) 経済

東アジア地域包括的経済連携(RCEP)

 日本の国会でマレーシアに係ることが問題になることは多くないが、強いて言えば経済、特に自由貿易協定が外交課題となっている。二国間の自由貿易協定である日本・マレーシア経済連携協定もあるが、アジア太平洋地域で、東アジア地域包括的経済連携(Regional Comprehensive Economic Partnership, RCEP)という16か国が参加する自由貿易協定があり、その枠組みでの交渉も進められている。

日系企業

マレーシアには、約1,400社の日系企業が進出しており、約2万4千人の日本人が住んでいる[14]。マレーシアは治安もよく安全保障について問題になることはないが、日系企業の利益や在留邦人についてはまれに問題になることがある。

(2) 教育

 日本とマレーシアは教育分野においてかなり深い関係がある。マレーシアのマハティール首相によるルックイースト政策の下で、マレーシアから日本への国費留学生が多数来ており、日本の文部科学省も現地で行う教科教育のための高等学校教諭の派遣、留学生選考試験実施等の協力を行っている。

 2001年くらいから、日本の大学の分校をマレーシアに作ってほしいとの要求があり、 筑波大学がクアラルンプールに分校を開設する予定となっている[15]

(3) その他の国際協力、南南協力

 マレーシアは、もはやODA(政府開発援助)等の援助の対象となる国ではない。円借款により日本の会社を使って高速鉄道を造るといった案件は多数あるが、それはいわゆる国際協力ではなくビジネスの問題である。

 マレーシアはむしろバングラデシュのロヒンギャ難民への援助等アジアの他の国々を援助する、いわゆる南南協力を行う国になっていて、日本がそういった国々への支援を行う際のパートナーとなっている。PKO(国連平和維持活動)でも同じ地域で活動を行っていた。

5.マレーシア語資料の収集方法

(1) 公的機関の刊行物

 ペーパーレス化の推進についての話と重複するが、近年の公的機関の刊行物はほとんどはインターネット上でダウンロードが可能である。ただ古い年代の資料はインターネット上に遡及掲載される訳ではないので、現地に行って入手する必要があるだろう。

(2) 国内書店からの購入

東南アジアの書籍を専門に扱っている日本の書店で有名なのは穂高書店[16]である。 他に、紀伊國屋書店はクアラルンプールに支店[17]があり、マレーシア語資料購入のノウハウがあると思われる。

(3) 国際交換

 国立国会図書館が行っている各国の機関との国際交換[18]は、マレーシアに関しては持続的な交換は困難であると思われる。マレーシアの機関に予算がなく、そもそも送付することが想定されていないであろう。DBPも含めて、何かしらのコネクションがないと送付してもらうのは難しいのではないだろうか。

 日本大使館には、官公庁の様々な資料が送られてきているが、それを業務として送付してもらうのは難しいのではないかと思われる。

(4) 寄贈

 現在研究者の間で非常に問題となっているのが、退職の際に収集した資料をどうするかということである。科学研究費で購入した資料の所有権は大学等の所属研究機関にあるので所属研究機関が引き取るのが筋だが、多くの大学図書館等ではもう所蔵できなくなってきている。管理できずに処分している機関もある。

 今起きているのは、そういった資料を中国に引き取ってもらうことである。近年中国は地域研究に力を入れており、東南アジアの言語を教える学部、研究者、学生も非常に増えている。図書館も立派なものがあり、大口の寄贈も引き受けている。マレーシアの大学の場合は、引き取った後に長期的に保管されるか疑問が生じる部分があるが、中国では長期的に保管されそうである。

 日本の大学では単純にスペースの問題もあるが図書館職員のマンパワーが足りていない。

 国立国会図書館が寄贈を受けるのならばありがたいという研究者も多いだろう。

6.収集すべき資料

 Utusan Malaysiaの休刊を受け、新たに新聞を収集する場合は、英字新聞であるThe Starは経済のことなども掲載されていてバランスがよく日本での需要も大きいのではないか。また、イスラームについての記事等を調べるのであればマレーシア語新聞Berita Harianがよいだろう。

 マレーシアについては英語の情報源が豊富だが、人文科学分野の歴史学や文学、そして芸術などはマレー語資料は必要であろう。またイスラームのことはやはりマレーシア語資料でないと研究できない。社会科学分野の学術書も、研究者にとっては英語資料とマレーシア語資料の両方が必要となる。こういった資料が日本国内で所蔵されていると研究者の視点から有用である。

(しおざき ゆうき)



[1] 本稿では、2007年以前及び全年代について表す場合は「マレー語」、2007年以降のみを表す場合は「マレーシア語」を用いる。

[8] 鞆谷純一「帝国図書館の略奪図書」(『情報学』6巻1号, 2009)https://kiyo.info.gscc.osaka-cu.ac.jp/JI/article/view/83/74

[15] 筑波大、22年マレーシアに分校=日本初の海外本格進出-独自の教育文化発信へ(時事ドットコム)https://www.jiji.com/jc/article?k=2019102700282&g=soc

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