国立国会図書館関西館アジア情報室では、蔵書構築の参考とするため、定期的に外部有識者の意見を聴取している。 令和2(2020)年1月10日、中村元哉 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授をお招きし、当館が平成8年度から9年度にかけてコレクションとして購入した、上海新華書店旧蔵書(以下、「新華コレクション」)の価値や活用方法などについてお話しいただいた。本稿はその概要である。
(関西館アジア情報課)
*【 】は当館請求記号。
I.新華書店の歴史
1. 新華書店
新華書店は1937年に中国共産党の書店として延安で営業を開始した。 当初は書店でありながらも、出版・編集、印刷、発行をすべて引き受ける事業形態だった。 その後、新華書店は、中国各地に発行のみを担当する分店を次々に開設し、 中華人民共和国が誕生した1949年には、全国に735の店舗を構え、約8,100人の職員を擁し、 出版点数5,291種類、総発行部数4億4,740万冊という巨大な組織となった[1]。 新華書店は、1950年3月25日に公布された「关于统一全国新华书店的决定[2]」によると、 北京に置かれた総管理処(のちの本店)の下に東北、華北、西北、中南、華東、華南、西南の7つの総分店を設置し、 さらにその下に各地の分店を配置するという構成だった。
中国では、1950年から1951年にかけて出版体制の合理化をめざして抜本的な改革がすすめられた。この改革により、新華書店が担っていた業務のうち、出版業務は人民出版社に、印刷業務は新華印刷廠に分割され、新華書店は発行業務のみを担当するようになった。それから半世紀を経た2002年、新華書店は国有企業改革の一環として商務印書館、中華書局といった大手出版社とともに中国出版集団[3]を構成するに至った
2. 上海新華書店
1949年5月27日の上海「解放」[4]をうけて、6月5日に上海に新華書店臨時第一門市部、同第二門市部が開設された。これが上海新華書店の始まりである。続いて同年9月1日には、上海地区の発行業務の責任を負う華東新華書店総分店上海分店として営業を開始した。上海新華書店は、経済的にも文化的にも豊かなエリアである華東地域を担当し、1950年代から1990年代にかけて中国の発行事業において重要な拠点になった。
Ⅱ.新華コレクションの概要と分析
1. 新華コレクションの概要
新華コレクションは、上海新華書店が保管していた見本書の集合体である。見本書とは、販売に先駆けて各出版社から納品されるサンプルのことであり、発行業務を統括した新華書店にはほぼすべての見本書が納品されていると推測される。上海新華書店も華東地域で出版されたサンプルをほぼ保管していると考えられ、それを引き継いだ国立国会図書館関西館の新華コレクションは、1950年代から1990年代初頭を中心とする見本書約17万冊(1930年代から1940年代の中華民国期のものも含む)で構成されている。平成8年度から9年度にかけて国立国会図書館が購入し、 そのうち平成13年度から18年度にかけて書誌データ入力が行われた約15万冊が関西館において利用可能となっている[5]。
図1 新華コレクションの一例
2. 出版年代からの分析
この新華コレクションについて、年代ごとに書誌数を集計した結果が表1である。まず目につくのは、全体の約半数という圧倒的な分量が1951年から1960年までの10年間に集中していることである。これは、新華コレクションの顕著な特徴である。
表1 出版年代ごとの書誌数(新華コレクション)
年代 | 書誌数(件) | 割合(%) |
-1930 | 601 | 0.4 |
1931-1940 | 7,059 | 5.1 |
1941-1950 | 5,984 | 4.3 |
1951-1960 | 65,346 | 47.4 |
1961-1970 | 18,245 | 13.2 |
1971-1980 | 15,068 | 10.9 |
1981-1990 | 21,392 | 15.5 |
1991- | 4,310 | 3.1 |
1960年代以降書誌数が大きく減っている理由は、やはり「大躍進」政策[6]による経済及び社会の混乱である。ただ、その直後の1960年代前半、中国共産党による思想統制がいったん緩められた時期があった。その結果として1962年に、それまで批判的な紹介すら許されなかった西側諸国の政治思想の翻訳や分析レポート、あるいはそれらの思想を取り入れて発展してきた20世紀前半の中華民国期を彷彿させるような書籍が出版された。
その後、1966年から始まった文化大革命によって、 中国の出版事業は壊滅的な状況に陥った。 それでも中国は、文革期の1970年代前半にアメリカや日本に接近したこと[7]から、 改革開放へと向かう水脈を当時から少しずつ拡大していたというのが、近年の定説である。 したがって、当時の出版物のなかにも、そういった改革開放の兆しを予感させる文献・資料が含まれていることがあり、 新華コレクションをつぶさに調査すれば何らかの手がかりを得られる可能性がある。
3. 出版社からの分析
次に、書誌数の多い出版社順に並べたのが表2である。
表2 出版社ごとの書誌数(新華コレクション)
出版社 | 所在地 | 書誌数(件) |
上海人民出版社 | 上海 | 8,535 |
商務印書館 | 上海 | 7,303 |
上海科学技術出版社 | 上海 | 6,386 |
上海文芸出版社 | 上海 | 3,894 |
上海人民美術出版社 | 上海 | 3,135 |
人民出版社 | 北京 | 3,061 |
中華書局 | 北京 | 2,943 |
上海教育出版社 | 上海 | 2,726 |
上海新華書店とつながりの深い上海人民出版社の件数が多いこと、中国共産党系列の出版社の件数が上位にあることは、当然である。そのなかにあって、上海科学技術出版社の件数がかなり多いことに注目したい。後述するが、新華コレクションには経済史、科学技術史に関する文献・資料が数多く含まれており、それが表2の結果としても表れている。上海科学技術出版社の文献・資料は他機関でも所蔵されており、それらの一つ一つが貴重だとは言えないが、これだけの分量をまとめて調査できるのは新華コレクションをおいて他にはない。1950年代から1970年代の経済史、科学技術史を研究するのであれば、まず新華コレクションを調査して全体像を把握することが必要だろう。
また、人民出版社や中華書局といった、北京の出版社の件数が一定数含まれている。つまり、華東地域を中心とする新華書店コレクションからも、当時の全国的な状況をある程度つかめるということであり、中華人民共和国史に関心のある研究者はそれぞれの研究の入り口として活用できるだろう。
Ⅲ.新華コレクションの意義
1. 全体からみた意義
新華コレクションの意義として挙げられるべきは、一にも二にもこれだけの分量がまとまっていることである。 新華書店が発行した文献・資料自体は珍しいものではなく、むしろどこにでもある平凡なものである。 しかし、日本でも、そして台湾や香港でも、見本書コレクションをこれほどの規模で所蔵している機関は他にない[8]。 本店である北京新華書店にも同様の見本書コレクションがあるものの、これは非公開であり、コネクションのない研究者が利用することは困難である。そのため、日本で自由に利用できる新華コレクションは、海外の研究者にとっても大変に貴重なものだろう。
2. 個別研究からみた意義
新華書店コレクションは、個別研究を深める上でも有用性が高い。経済史、科学技術史、教育史、文化史、メディア史など多くの研究分野での活用が期待される。
(1)経済史、科学技術史
先述のとおり、新華コレクションの特色の一つは、経済および科学技術関連の文献・資料を多く含むことである。これは華東地域が経済的にも技術的にも当時の中国において最先端を走っていたからであり、これらの文献・資料は、中国が社会主義を建設する上でどのように技術力を蓄えようとしていたのかを読み取る際に有益である。たとえば、上海市科学技術編訳館が1964年から1965年に刊行した『电声学(電気音響学)』【XP-C-2025, 1380】や『化学热处理(化学熱処理)』【XP-C-1400, 1401】は、科学技術の発展過程を読み取る際の参考になる。研究者は、これらの文献・資料から、当時の中国の科学技術レベルがどの程度だったのかを客観的に把握できるだろう。また、『我国过渡时期国民经济的分析(我が国の過渡期における国民経済の分析)』【XP-B-2571】、『上海解放前后物价资料汇编(上海解放前後の物価資料彙編)』【XP-B-2588】などは、当時の経済状況を知る一つの手がかりになるかもしれない
(2)教育史、文化史
現在、教育史は、中国研究者の間で注目されている研究領域である。 人びとはどのように教育をうけながら「中国」というアイデンティティを形成しようとしたのか、 しかし、それにもかかわらず、なぜ民族間の言語や文化をめぐる多様性は残り続けるのかといった問題は研究に値する[9]。 その際に、教科書や教師用指導書は重要な手がかりになり、新華コレクションに含まれる関連文献・資料は役立つだろう。
また、『裁剪与缝纫(裁断と縫製)』【XP-D-553】など当時の日常生活を映し出す文献・資料は、社会史や文化史の発掘に貢献できる、と考えられる。これらの文献・資料は検索ではなかなか見つからないことから、関西館に直接足を運んで調べる必要があるだろう[10]。
(3)メディア史
メディアに関連する文献・資料は、党の宣伝政策にも関係することから、一般には、研究者にとっても入手しづらい。 たとえば、連環画は、約4,000タイトルも所蔵されており、これほどの分量をまとめて調査できる研究機関は他にはない[11]。
メディア史に関する主要な領域のうち、出版政策や出版状況を手堅く分析するには、現在のところ、『中国出版史料』【UE21-C36】が最も有効である。これは、1940年代から1970年代までの出版に関する主要な公的文書をほぼ網羅している。とはいえ、政治判断から収録されていない文書もあり、加えて1980年代以降についてはまだ刊行されていない。このような実状を前提とすれば、1980年代以降の文献・資料を含む新華コレクションは、『中国出版史料』がカバーしていない領域、とりわけ華東地域の出版状況について復元できる可能性を秘めている。
さらに、もしメディア史研究を外国の思想や政治体制をどう認識しどう伝えたのかを探る翻訳史研究や概念史研究にまで拡大するならば、新華コレクションはこれらの研究領域でも威力を発揮し得る。
たとえば、ソビエト連邦(以下、「ソ連」)の思想的影響力という点を考えてみよう。一般には、中国が社会主義を選択した以上、ソ連の影響力が強かったはずだ、と考えられている。それは確かにそのとおりではあるが、その影響力は時期や分野によって異なっていた。
試しに、新華コレクションのタイトルに含まれる国名を調査してみよう。結果は、図2のとおりである。ソ連が圧倒的に多数を占めているのは予想どおりだが、注目すべきは図3の結果である。つまり、ソ連がタイトルに含まれる書誌数を出版年ごとに分類すると、ソ連からの学知の導入に傾斜した1950年代半ばはとりわけ多かったが、その後は急速に減少した。最近の幾つかの研究によれば、「中ソ対立」が表面化する以前の1950年代後半から中ソの溝は徐々に深まっていたとされ、この調査結果も同様の傾向を示している。新華コレクションは、こうした面での実証研究にも応用できるだろう。
図2 タイトルに登場する主要国数
図3 ソ連をタイトルに含む書誌数
(4)憲政史
清朝末期に萌芽した憲政思想は、中華民国期を経て、中華人民共和国においても、変容を繰り返しながら残り続けた。実際、中華人民共和国憲法が1954年に制定され、社会主義憲政の時代が始まった。
そこで、憲法と憲政をキーワードに新華コレクションを検索すると[12]、図4のような結果になる。 関連する文献・資料が最も多く出版されていたのが1954年であり、 憲法の制定とあわせて宣伝活動が強化されていたことが分かる。次に多い時期が1960年代である。このころの中ソ関係は対立状態にあり、憲政モデルとしてのソ連の重要度が低くなったことから、中国独自のモデルを構築しなければならないと考えられるようになった。そうした動向が、少なからず反映されている。第3の波は1975年前後である。1975年は文革末期に憲法改正を行った年に当たり、1978年の憲法改正につながった転換の年である。第4の波は1982年前後である。この時期は改革開放が徐々に軌道に乗り始め、現行憲法が施行された年でもあった。つまり、新華コレクションは、華東地域を中心とするとはいえ、憲政史という全国レベルの出来事においても、全体の傾向をある程度表しているわけである。
図4 憲法、憲政をタイトルに含む書誌数
(5)内部資料
新華コレクションには、内部出版されたものも含まれている。たとえば、『六大以来(中国共産党第六回全国代表大会[13]以来)』【XP-C-308、309】は、1950年代半ばまでの中国政治史を紐解くうえで貴重な資料の一つになるだろう。他機関にも所蔵されており、珍しいものとは言えないが、新華コレクションに含まれている上海の政治事情に詳しい文献・資料と併用すれば、政治の実態をより効率よくつかめる可能性もある。
また、1961年刊の『纳粹德国的谍报工作(ナチスドイツの諜報活動)』【XP-B-43938】はナチスの諜報活動を調査したものである。1950年代後半の「反右派」闘争とよばれた思想弾圧を経験した人びとが密告に関心を払っていたのかもしれないが、それにしても、ナチスを分析対象とする文献が発行されていたことはやや意外でもある。
なお、内部資料は、香港中文大学中国研究サービスセンター[14]である程度まとめて確認できる。新華コレクションに内部資料がどの程度含まれているのかを調査しながら、2013年に刊行された『中共中央文件选集 : 1949年10月-1966年5月(中国共産党中央文書選集)』【A56-C9-C371】を分析できれば、日本の中華人民共和国史研究はもう少し前進するだろう。
(6)中華民国期の文献・資料
理由は不明ながら、新華コレクションには中華民国期(1912-1949年)の貴重な原本の一部が含まれている。上海新華書店が、中華民国から中華人民共和国に移行する際に、貴重だと判断したものを収集した可能性がある。たとえば、孫文の息子である孫科が著した『宪政要义(憲政要義)』【XP-A-87741】は、中国憲政史を研究するうえで不可欠の文献である。同書は、孫科の憲政に関する12の講演録で構成されている。私は博士論文執筆時に『憲政要義』の原本を確認するためだけに、南京、重慶、台北に調査に行ったが、今回新華コレクションに含まれているのを発見して大いに驚いた。新華コレクションには、この種の発見がまだ残されているかもしれない。
IV.おわりに
新華コレクションに含まれる文献・資料の多くは、他の研究機関でも閲覧できる。しかし、関西館にしかない貴重な文献・資料があるのも事実である。やはり、関西館で新華コレクションを集中して閲覧できることのメリットは大きい。
このメリットを生かすためにも、関西館には、研究者が継続的に書庫内で資料を閲覧できる仕組みを構築して欲しい。仮にそれが難しいのであれば、新華コレクションの利用価値を研究者の間に広めるためにも、研究会の企画を定期的に開催して欲しい。こうすることで、新華コレクションを利用する研究者が増え、様々な研究成果が生み出されるはずである。そうなれば、関西館はますます活性化されるだろう。
(なかむら もとや)
[1] 店舗数及び職員数については、『新华书店五十年 : 1937-1987(新華書店五十年 : 1937-1987)』(新华书店总店, 1987)【UE111-C1】「新华书店五十年纪事」p.6に記載がある。また、出版点数および総発行部数も含めた数値は『迅速发展的中国印刷业. 新中国的图书发行与图书宣传. 辉煌的一页 : 著名出版社历程回顾(迅速に発展した中国の印刷業. 新中国の図書の発行と宣伝. 輝かしき一ページ : 著名出版社の歴史を振り返る)』(中国当代出版史料:1949-1999 ; 4)(大象出版社, 1999.9)【UE21-C77】p.122にも記載されている。(ただし、出版点数および総発行部数については不完全な統計に基づくとの但し書きが付されている。)
[2] 宋原放主编『中国出版史料』现代部分第3卷上册(山东教育出版社, 2001.4)【UE21-C36】p.70
[3] 中国最大の出版グループで、38の著名な出版機関によって構成されている。
http://www.cnpubg.com/
[4] 第二次世界大戦終戦後に再開した国共内戦により、1949年5月、人民解放軍が上海を「解放」した。この戦闘結果は、国民党からみれば上海「淪陥」となる。
[5] 残りの約2万冊には、国際子ども図書館で利用可能な児童書約2,000冊(コレクションとしての括りは設けていない)のほか、未整理の綫装本約4,000冊、逐次刊行物約5,000冊、中国語以外の図書約600冊、児童書約6,000冊などが含まれる。
[6]人民公社を実行単位として行われた急進的な社会主義建設運動である。鉄鋼を始めとする各種産業の生産目標が過度に高く設定されたことで、粗悪品の氾濫や虚偽の達成報告が蔓延し、経済の混乱や食糧不足による大量の餓死者が発生した。
[7] 1971年の米中接近(ニクソンショック)、1972年の日中国交正常化が顕著な例である。
[8]香港浸会大学には、1950年から1970年代に中国大陸で出版された文献や新聞・雑誌の切り抜きなどから成る友聯研究所旧蔵資料がある。これを核とするのが、The Contemporary China Research Collection(図書・雑誌約6,500冊、切り抜き約14,000ファイル、マイクロフィルム約4,000リール)である。
https://library.hkbu.edu.hk/collections/special-collections-archives/contemporary-china-research-collection/
[9]園田茂人・新保敦子著「教育は不平等を克服できるか」『叢書★中国的問題群. 8』(岩波書店, 2010.6)【GE196-J8】など。
[10]2020年2月28日より国立国会図書館ウェブサイト内で、新華コレクションの書誌情報のオープンデータセットを公開している。 これによって、検索では見つけにくい文献・資料も、より探しやすくなった。
https://www.ndl.go.jp/jp/dlib/standards/opendataset/index.html#collection/
[11]中野徹「上海新華書店旧蔵書と中国の連環画」『アジア情報室通報』10(1), 2012.3
https://rnavi.ndl.go.jp/asia/entry/bulletin10-1-1.php
[12]国立国会図書館オンラインで、出版年欄に該当年を、請求記号欄に「XP-*」を、タイトル欄に「憲法」もしくは「憲政」を入力し、検索結果から重複書誌を排除した。
[13]中国共産党全国代表大会は、5年に1回開催される党の最高意思決定機関である。第6回大会は、1928年に開催された。
[14]香港中文大学中國研究服務中心。
http://www.usc.cuhk.edu.hk/