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日本におけるアジア研究と史資料: アジア情報室通報第2巻第1号

アジア情報室通報 第2巻第1号(2004年3月)
藤井 毅(東京外国語大学教授)

 

1 はじめに

本邦のアジア研究は、近年、とみに活況を呈しつつある。日本を主たる活動の場とする研究者の著作が、英語を始めとする日本語以外の言語でも数多く刊行されるようになり、さらに今年からは、アジア研究を主題とする英文国際研究誌の刊行も予定されている。日本は、従来の東洋学の枠組みにとどまらない、アジア研究の中心となっていることは、疑いもない事実である。一方、社会に目を向ければ、アジア諸地域との関係は、単に政治や経済の分野にとどまらず、海外旅行をはじめとする人々の自由な往来においても濃密さの度合いを高めていっている。それと比例するように、アジアに関わる情報も、かつてなかったほどに流通すようになった。書店においてアジアに関わる様々な分野の図書を入手するのは、もはや困難でも何でもなく、その粗密を問いさえしなければ、種々の情報もネット上で容易に入手できるようになっている。図書館の蔵書構成も、おそらく、その例外ではないのであろう。

こうした環境にある現在の日本において、本稿の表題のように、改めてアジア研究を、それも史資料との関係において語ることの必然性は、はたして、どこにあるのであろうか。

2 アジア研究をめぐる史資料状況:欧米と日本の現状

私は、1990年に長期にわたりヨーロッパに滞在したことがある。それは、ベルリンの壁が崩れ、当時のチェコスロヴァキアでは、ビロードの革命が起こった直後だった。ロンドンの大英博物館やイギリス国立図書館、それに帝国戦争博物館では、その過程で発行された地下出版物を含む大量のビラやパンフレットが収集され、ベルリンの壁の塊と一緒に、あるいは、革命時のプラハの街角を写した写真とともに展示され、公開されていたのである。同時代の動きを歴史の審判に委ねるべく、そのための史資料基盤を確立するシステムが機能していることが、物静かではあるものの、圧倒的な自信をもって語られていたのだった。その暗黙のメッセージは、実際に所蔵機関を訪れたときに、明確な形をなした衝撃へと変わっていった。どのような資料でも公開を許す状況にあるものは、誰が請求しても無条件に提供するという原則が機能していたし、さらに保存して公開するだけではなく、あるべき史資料状況をめぐって常に検討が加えられ、単にヨーロッパだけでなく、大西洋を隔ててアメリカとのあいだには、協働関係が出来上がっていたのである。

わけても画期的であると思われたのは、史資料を所有する当該国とのあいだで、非収奪型の保存・共有プロジェクトが進行していたことだった。それは、植民地の旧宗主国が編み出した方法論上の洗練などという紋切り型の言葉では片付けることができないほど、徹底していたのである。事実、何よりも、それは当該国の人々に受け入れられていたのだった。

こうした事業を支えていたのは、研究者ではなく、各地域の言語に通じた専門司書の人たちであり、公文書・私文書史料を専門に扱うアーキビストたちであった。彼らは、多くの場合、博士号を有しており、史資料収集と保存、そして、共有事業については全権を委ねられ、大きな責任を果たしていた。研究者は、自ら史資料の収集に汲々とすることなく、まさに研究そのものに専念できたのである。かといって、専門司書やアーキビストが、研究者の下働きをしているわけではなく、その地位が低いわけでも決してなかった。そこにあるのは、明確な役割分担であり協力関係だったのである。

専門司書やアーキビストたちは、南アジア地域を例に採れば、南アジア図書館資料委員会Committee on South Asia Libraries and Documentation、南アジア図書館センターCenter for South Asia Libraries、南アジア図書館グループSouth Asia Library Groupといった横断的組織を立ち上げ、史資料の収集・保存事業を連携しつつ、分担して行っていた。日本との懸隔の大きさは、明らかであった。ともすれば、欧米というものは、未だに資金力にものを言わせた収奪型の史資料収集を行っているかに思われていたのだが、それは、明らかな認識不足に他ならなかった。

問い掛けねばならないのは、なぜ、日本には、こうした史資料状況が存在していないのだろうかということである。もちろん、人文社会科学研究を支える三つの柱である研究者、司書、アーキビストは、それぞれの場で、史資料基盤のあり方をめぐり議論を重ねてきたに違いない。しかしながら、その三者が本邦におけるアジア研究の将来を見据えて、史資料状況のあるべき姿をめぐり、同じ卓を囲み議論する機会は、はたして、どれほど存在したのであろうか。

この欠落は、単に皮相レベルの現象ではなく、必ずや何か深いレベルの、決して意味の小さくはない、何ものかに関わっているはずである。そうしたことの検討を看過して、戦後のアジア研究は、語られてきたのではないだろうか。それは、たとえば、日本が第二次世界大戦の敗戦国であって、戦前に収集したアジア研究の史資料が、戦火で消滅したり、アメリカやソ連に接収されたりして、根こそぎ崩壊し、散逸したということだけでは決して片付けられない、歴史そのものに対する見方、あるいは歴史のなかで蓄積されてきた資料に対する根底からする姿勢の違いに結びついているのではないだろうか。

すなわち、こうした史資料状況に関する議論が深まり、何らかのかたちでそれが改善されない限り、アジア研究と史資料については、未だ語ることが残されているのである。

3 史資料の収集・保存・共有に向けて

こうした考えのもと、1990年代は、まず、自分の専門領域である南アジア研究に関して、あるべき史資料環境の構築を模索し続けることとなった。その成果を具体化する機会が訪れたのは、1996年以降に関わった複数の科学研究費プロジェクトで、史資料収集を担当したときである。その過程で、欧米と南アジアの各地を改めて訪れ、史資料の実情をつぶさに見て回った。そこでは、90年に見た以上に状況は進捗していたのだった。

非収奪型の収集、当該国との共有といっても、その方法は、予想をはるかに超えて洗練されたものとなっていた。文献資料の現物を根こそぎに本国に持ってくるというような方法は、完全に影を潜めていた。収蔵に値するコレクションが見出されると、現地に資本を投下して財団を組織し、場合によっては図書館を建設するのである。そのうえで、技術を移転して、資料のデジタル化とマイクロフォーム化が図られていたのである。そして、その成果だけが本国に招来され、研究所蔵機関の間で共有されてゆくのである。原本は必ず現地に残ることになる。その最たる例は、インドのチェンナイに開設されたロジャ・ムティア研究図書館Roja Muthia Research Libraryと、同じくインドのハイダラーバードに開設されたウルドゥー研究図書館Urdu Research Libraryである。両者ともに、傑出した個人蔵書を散逸させないために設立された図書館である。

こうしたシステムとそれに依拠した事業が成立するには、当然、前史が存在している。良く知られているように、アメリカには、かつてPL480という法律に基づく図書収集事業が存在していた。PL480は、第二次世界大戦後の冷戦状況下、食料援助を図る法律だったのだが、アメリカ政府はインドに対しては償還金のルピー貨払いを容認し、なおかつ、そのインド国内での消費を容認したのである。そして、その一部が、インド内外で刊行される図書雑誌資料の購入に充てられたのだった。同法に基づき蓄積される援助代金は、決して小さなものではなく、収集される図書は膨大な量となっていった。そのために、アメリカ議会図書館の海外事務所がニュー・デリーに設けられ、専門司書が配属されたのである。インドで集められた本は、アメリカに送られて図書配布計画に加わる全米各地の研究型大学院大学に配布され、アメリカにおける今日のインド研究の基盤が作られたのである。大学は、このネットワークに加わりさえすれば、取り立てて自ら図書収集活動を行わずとも、良好な蔵書を構築しえたのだった。

この事業は、現在では終了してしまったが、それに代わって、対象地域ごとに史資料コンソーシアムが形成され、アメリカ議会図書館やシカゴにある研究図書館センターCenter for Research Librariesなどとの連携により、同様の機能が維持されて今日に至っている。そこでは、PL480事業の経験に立脚し、ともすれば史資料の収奪と取られかねないような要素は排除され、保存と共有を前面に打ち出した事業が展開されているのである。それを支えるのが、最新のIT技術に他ならない。

それに比べると、本邦のアジア研究は、史資料基盤の構築ということに関しては、実のところ何も語らないまま、ことによると目を閉じたまま走り続けてきたのではないかとさえ思われるほどである。それは、当然、日本における地域研究のあり方自体にも関わるはずである。確かに、研究の歴史が非常に古い中国語や朝鮮語の文献は良好に蓄積されてはいるが、東南アジア、南アジア、中央アジアの近代諸語文献となると、果たして、どうなのであろうか。アジア研究の拠点は存在するものの、史資料に限ってみれば、各大学や研究機関が、ばらばらに、または研究者の個々人の関心と力が及ぶ範囲で収集しているにすぎない。そこには、基幹的な収集所蔵機関は存在しているとは言い難いし、欧米で形成されたネットワークやコンソーシアムも存在していない。史資料の共有や保存という発想はあったとしても、組織や制度上の問題、そして、なによりも、予算執行上の制約より、なかなか、実行に移せないでいる。そして、何よりも、良好な史資料状況を作り出すに不可欠な、アジアの諸言語に通じた専門司書を養成しようとする制度上の枠組みが存在しているとは言い難いのである。そもそも、日本の大学では、司書の地位がなんと確立されていないことであろうか。アーキビストにいたっては、関心を示す人は、きわめて限られていると言わざるをえない。

4 日本におけるアジア研究の未来のために

では、日本のアジア研究を史資料面より振り返ることで顕わとなったこうした問題を解決するために、取り組まねばならない具体的な課題とは、何なのであろうか。

-1)基幹所蔵機関の特定と史資料コンソーシアムの構築

今や、個々の研究機関や図書館が、限られた予算のもとで、同じ資料を囲い込む形で集めていく時代ではない。事実、デジタル化とコンソーシアムによる史資料の共有が進む現在においては、「国立図書館」を始めとして、蔵書のみを誇る図書館の存在理由が大きく変容しようとしているのである。今、なによりも求められているのは、役割分担を明確にした上で、良好な史資料環境を実現するための連携システムを確立することである。それも、図書館の相互貸借というようなレベルにとどまらず、まずもって、言語や資料種類毎に特化した基幹図書館を選定し、そこが収集と保管に責任を持ったうえで、国内外において共有を図るような段階にまで持って行かねばならない。

我が国においてその役割は、アメリカ議会図書館やイギリス国立図書館がそうであるように、まずもって国立国会図書館によって担われるべきである。しかし、それに仮に限界があるとするならば、それに代わる機能を早急に立ち上げる要があろう。ここで参考になるのが、アメリカで機能している研究図書館センターである。この機関は、単に史資料の収集を行うだけでなく、それらをマイクロフォーム化やデジタル化し、各地の大学図書館に供給する役割を果たしているのである。

-2)専門司書の養成

しかし、予算措置を伴ったこうした機構や組織を立ち上げるだけでは、十分とは言えない。良好なアジア諸言語史資料を構築するためには、特定の言語資料や地域を専門に担当する司書の養成が、きちんとしたシステムとして成立していなければならない。また、その地位の確立も不可欠である。専門司書が、他の行政官と同じような事務対応能力を求められ、2-3年の間隔で人事異動を繰り返すシステムは、この場では不要である。専門家として、その職域での明確な身分と地位の保障が図られるべきである。たとえば、インドの諸言語資料の収集と整理に在職期間の全てを充てた司書こそが評価されるような環境が現出しない限り、本邦の史資料状況に大きな変革は訪れないであろう。研究者の関心は、自らの研究領域に限定されてしまうことで、史資料の収集を中心となって担うには限界があるのである。

-3)アーキビスト養成

次に求められるのは、文書の性格(個人文書、企業文書、行政文書等)に対応したアーキビストの養成とその地位の確立である。もちろん、本邦には文書館が存在してはいるが、その重要性が社会的に共有されるところまで至っていない。個人文書や企業文書であっても、社会の共有財産であるという発想、あるいは、いずれは歴史の審判を受けるべく資料を保存し共有しようとする発想が、極めて薄いと言わざるを得ない。官僚や政治家が、退官したり引退したりする際に、その所有文書を然るべき所蔵機関に寄贈し、公開を図るということは、絶無ではないものの、やはり寡少なのであろう。しかしながら、この数年来、こうした傾向を何とかして改善しようとする動きが、たとえば、国文学研究史料館や国立公文書館に属する研究者たちの地道な努力により具体化してきたことは、大変、喜ばしいことである。国立公文書館が開設したアジア歴史資料センターは、その努力の端的な表れと言えよう。大学においてもアーカイブ教育が開始されるようになったのも大きな成果である。それを社会全体のシステムにまで拡大してゆく必要があろう。

-4)緊急対応型収集システムの構築

史資料には、時機を逃してしまうと二度と手に入らないものが、やはり、存在する。そうした資料収集するために、緊急対応を可能とするシステムを図書館も文書館も持つ必要がある。本邦では、かつて、イラン・イスラーム革命においてそうした努力が行われたことがあったが、継続性を持ったシステムにまで高められることはなかった。研究者や研究機関が個々にこうした事業を展開するよりも、やはり、先ほど述べた研究図書館センターに類する組織を立ち上げたり、そうした機能を恒常的に担う機関を特定しなければならない。

-5)研究者、司書、アーキビストの連携構築

そして何よりも求められるのが、研究者と専門司書、そしてアーキビストの協調関係の確立であることは、言うまでもない。確かに、図書館と文書館が果たす機能には差違があることから、後二者を同列に論じることをめぐっては、異論があることは事実である。しかし、本邦のアジア研究において、三者は、未だ協働しなければならない段階にあるように思われる。高度の専門性と確立した地位を持つ者が、役割分担に基づく協調関係を取り結ばない限り、史資料状況の改善は達成しえないからである。

-6)アジア史資料学の構築

こうした史資料状況の改善を図る過程で、たとえば、日本史学の研究が史料学の蓄積と相俟って進展してきたように、アジア史資料学と呼ぶべき学問領域の創成を図る必要があろう。アジア諸地域の史資料状況は、非常に多様かつ複雑である。たとえば、文献資料が存在しない地域や、豊富な文字資料を有する社会に無文字社会が混在する地域も存在する。あるいは、文字や印刷媒体に記録を残すことの無かった人々も、多数存在する。それらを歴史意識の欠如や歴史の不在に短絡してはならないのは、言うまでもない。デジタル化や世界化が進行する今この時においてこそ、こうした固有の史資料状況に目を向け、その扱い方を体系化し、統合的に解析する手法を構築しなければならないのである。

5 まとめにかえて

現在、ここで述べた一連の課題を解決するために活動を展開しているのが、2002年度から開始された文部科学省21世紀COE(Center of Excellence)プログラムによって、2002年10月に開設された「史資料ハブ地域文化研究拠点Centre for Documentation & Area-Transcultural Studies;C-DATS」である。この拠点は、アジア・アフリカ近代諸語史資料に特化させた収集・保存・共有事業を推進し、アジア太平洋地域における基幹的史資料センターを立ち上げることを目標として掲げ、その成果に依拠して地域の生成と世界化による変容を解明する新たな地域文化研究を展開することを標榜している。

この拠点は、当初より、5年限で活動を推進しているが、その機能は、何らかのかたちで継続されねばなるまい。幸いなことに、2003年末より、本邦で地域研究を中心となって担ってきた諸機関が参集し、地域研究コンソーシアムを形成しようとする動きが開始されている。それは、本稿で繰り返し触れた史資料コンソーシアムを構築する絶好の機会となろう。その意味で、2002年後半より始まるこの数年間は、日本におけるアジア研究と史資料のあり方を考える上で、重要な意味をもつ年月となるに違いない。それが、研究者のなかだけの動きにとどまらないことを願うばかりである。また、こうした一連の試みをより高いレベルで保証するために、おそらくそれは高度の政策案件になるのであろうが、たとえば、日本の海外有償援助の返済金を当該国に取り置き、史資料の収集・保存・共有事業に充当する可能性などは、十分に検討に値する事柄のように思われる。

(附記)本稿は、2003年11月19日に国立国会図書館関西館の主催で開催されたアジア情報サービスに関する国際シンポジウムにおける報告論文をもとに、主要な論点をまとめ直したものである。

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