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パキスタンの諸言語資源をめぐる現状と課題 : アジア情報室通報第4巻第4号

アジア情報室通報 第4巻第4号(2006年12月)
萬宮健策(大阪外国語大学外国語学部講師)

 

1.はじめに

本稿では、パキスタンの諸言語資源の状況を公文書館や図書館の状況を織り交ぜつつ概説するとともに、それに関連する課題を指摘し、パキスタンの言語問題を考察する。諸言語の中でも国語ウルドゥー語の状況を中心として考えることとする。

2.南アジアの言語事情概観

パキスタン、その隣国インドをはじめとする南アジア地域では、しばしば「言語のるつぼ」と言われるほど、多種多様な言語が話されている。インドの連邦公用語であるヒンディー語(Hindi)やパキスタンの国語ウルドゥー語(Urdu)に代表されるインド・アーリヤ諸語以外にも、タミル語(Tamil)やテルグー語(Telugu)などの南インド各州を中心とした地域のドラヴィダ諸語、ブータンのゾンカ語(Dzongkha)が属するチベット・ビルマ諸語が話されている。また、パキスタン北部に目を向けると、系統不明語とされるブルーシャスキー語(Burushaski)がある。

上記の言語を表記するための文字の種類も多様である。ヒンディー語などの表記にはデーヴァナーガリー文字が用いられるほか、それから派生したベンガル文字、南インド諸言語を表記する文字、チベット文字などが見られる。

一方、パキスタン国内のほぼすべての言語は、言語の系統に関係なく、アラビア文字を用いて表記される。ただし、28文字からなるアラビア文字では、区別できない音があるため、文字数は異なる。たとえば、ウルドゥー語には36文字、南部のスィンド語には52文字からなるアルファベットがある。

分離独立前は英領インドであったこと、また最近では、就職に有利であるなどの理由から、英語も重要な役割を担っている。都市部では英語を教育言語とする私立学校も現れている。そのため、都市部に居住するものには、自らの母語、ウルドゥー語やヒンディー語という共通語、それに英語の3言語を使い分ける生活を送っているものもいる。

3.ウルドゥー語とヒンディー語

ウルドゥー語とヒンディー語は、表記する文字の差はあるが、音韻体系や文法構造はほぼ同一と見なすことができる。たとえば、「今日私(男性)は起きて8時に学校に行った」という文は、ウルドゥー語では
画像 
一方、ヒンディー語では
आज मैं उठकर आठ बजे इसकूल गया ।
と表記されるが、どちらも発音は
/aaj maiN uT’ kar aaT’ baje iskuul gayaa/ *1
となり、この文章に限れば差異は全くない。インドで制作されるいわゆる「ヒンディー映画」をパキスタンの人々が見て楽しむことができるのは、音韻および語彙レベルではほとんど差がないこの両言語の特徴のためである。ウルドゥー語とヒンディー語の差異は何か、という問いに対する答えは容易には見つからず、現在もさまざまな議論がなされている。たとえば、アラビア文字で表記されればウルドゥー語、デーヴァナーガリー文字で表記されればヒンディー語、という考え方は一般的と言える。しかし、パキスタン国内に点在するヒンドゥー寺院の中には、説明がアラビア文字で書かれているものもある。この場合、文字の差異のみに注目すれば、この説明文はウルドゥー語であると言えるが、内容から判断するとヒンディー語であると考えることもできよう。したがって、文字の差異が両言語を区別するとは必ずしも言えない場合が、少なからずある。

4.ウルドゥー語の位置づけ

パキスタンの現行憲法*2は国語(National Language)をウルドゥー語とすると明記している。しかし、パキスタンの全人口約1億6000万人*3のうち、ウルドゥー語を母語とするものは約7%程度を占めるに過ぎず、それ以外のパキスタン人にとってウルドゥー語は母語ではない。初等教育で学ぶが、義務教育制度が確立しておらず、ウルドゥー語ができない国民もいる。

パパキスタンは、「南アジアで唯一のムスリムの国家」として1947年8月14日に独立した。人口の約97%をムスリムが占めているものの、そこに住んでいるのは、言語やその文化的背景をそれぞれ異にするパンジャーブ人であり、スィンド人であり、パシュトゥーン人であり、バローチ人である。

パパキスタンでウルドゥー語を母語とするものは、1947年の分離・独立を機に現インド側から移住してきた避難民(ムハージル)であり、その多くがカラーチー、ハイダラーバードをはじめとするスィンド州の都市部を中心とした地域に居住している。パキスタン政府は、「パキスタン人」という意識を国民に持たせようと、「国語」の制定を考えた。特定の民族に偏らないウルドゥー語を国語に規定することで、各民族からの反発を回避することを狙ったのである。しかし、各地からの反発は根強く、結局は東パキスタン(当時)のベンガル民族(多くがベンガル語を母語とする)の反発を抑えきることができなくなり、1971年にバングラデーシュの独立を招く結果となった。

現在、パキスタンの全人口の80%程度は、自らの母語に加えてウルドゥー語も理解する。国内の各民族が自らの言語を用いると他民族とのコミュニケーションに支障が出ることから、ウルドゥー語は各民族間の連接言語(link language)として機能している。しかし、憲法に明文化されたウルドゥー語の公用語化*4を巡る動きは、パキスタンで英語の重要性の増大もあり、遅々として進んでいない。

なおウルドゥー語は、パキスタンで連接言語として役割を果たしているだけでなく、インドに居住するムスリム(約1億3000万人)の連接言語、共通語としての役割をも担っている。

5.ウルドゥー語の活字、ウルドゥー語による出版

南アジアにおけるウルドゥー語の出版活動の端緒は、17世紀終盤のことである。当時、イギリスなどではすでにアラビア文字活字による出版が始まっており、聖書の翻訳出版を目的として、それを応用したものが南アジアに持ち込まれた。

その後、ウルドゥー語による本格的な出版が始まるのは、1801年にヒンドゥスターニー・プレス(Hindustani Press)がカルカッタ(現コルカタ)に設立されてからのことである。この出版社は、イギリス人官吏に対しインドの諸言語を学ばせるために設立されたフォート・ウィリアム・カレッジ(Fort William College)に併設されたもので、主にインド諸言語の教科書などが出版された。現パキスタン側に目を向けると、1840年にラーホールで石版による印刷が始まっている。

ウルドゥー語を表記する、右上から左下に向かって流れるような書体であるナスターリーク体アラビア文字は、活字化することが非常に困難であった。同一文字でも単語によってその相対的な位置が変わることが多いというのもその理由の1つである。したがって、活字では、現在もナスフ体が併用されている。オリンピアなど各社が発表したウルドゥー語タイプライターも、ナスフ体を採用していた。そのため、ナスターリーク体については、コンピュータによる処理が始まる1980年代半ばまでは、清書家(khattaat)による手書きが一般的であった。新聞も、毎日全て手書きによる版下が作成されていた。コンピュータが普及した現在でも、清書家によるナスターリーク体の美しさは超えられていないという意見があるほどである。

現在、ウルドゥー語による出版の中心となっている街として、パキスタンでは、ラーホール(パンジャーブ州)およびカラーチー(スィンド州)、インドでは、デリー、ラクナウー(ウッタル・プラデーシュ州)、ムンバイー(マハーラーシュトラ州)、ハイダラーバード(アーンドラ・プラデーシュ州)が挙げられる。また、南アジアからの移民が多いロンドンも、出版の中心地として知られている。パキスタンやインドでの出版物の特徴としては、初版の発行部数が少なく*5、再版もされにくいということが挙げられる。

6.コンピュータによる諸言語の処理

これまでに触れたとおり、パキスタンで話されている言語の多くはアラビア文字により表記される。パキスタンにおいて、コンピュータでの言語処理が普及し始めたのは1980年代半ばのことである。ウルドゥー語を入力、保存、修正するための専用ソフトウェアが開発され、出版社等が用い始めた。これは清書家にとって大きな打撃となり、コンピュータの普及と反比例して清書家は急減した。

また、日本国内にウルドゥー語処理ソフトウェアが登場したのは1988年前後である。NEC9800シリーズ向けASKA-Uというソフトウェアで、コンピュータ上で作動するタイプライターとも言える。アラビア語用のそれを改良したソフトウェアだったが、画面上に現れる文字を自由に修正できたり保存できたりしたことは、手書きかタイプライターしか選択肢がなかった当時としては画期的だった。

その後は、コンピュータの進歩とともにウルドゥー語処理も急速に普及した。マッキントッシュ向けソフトウェアの登場、ウィンドウズ向け多言語処理ソフトウェアを経て、1990年代になるとナスターリーク体を表示、編集可能なソフトウェアが容易に入手できるようになった。現在パキスタンの出版社の多くが利用しているInPage(Axis Computers社(インド)が販売。現行最新版はVersion 2.9X)はその代表と言える。

2006年現在、ウィンドウズに限れば、Windows2000 Professional以降のプラットフォーム上なら、専用ソフトウェアを用いなくとも、マイクロソフト社のオフィス製品を用いて、ウルドゥー語の入力や編集が可能になっている。また、無償で配布されているフォントも種類が増え、ナスターリーク体での表示、編集も可能となっている。

しかし、キーボード配列やフォントには改良の余地が残されており、パキスタンの関係機関等が主導して統一されることが望ましい。

7.諸言語資源をめぐる課題とその解決に向けて

パキスタンには、首都イスラーマーバードに国立公文書館(National Archives of Pakistan*6)が設置されているほか、各州にも公文書館が設置され、各種書籍や資料が所蔵されている。また、上記以外では大学図書館にも多数の資料が所蔵されている。ただし、体系的な整理、分類が行われているとは言えない図書館もあり、各機関ともに正確な所蔵資料数は明確ではない。

今後、かかる書籍、資料の整理、検索にはコンピュータによる処理が不可欠となろうが、クリアすべき課題は多い。前述のとおり、ウルドゥー語を初めとするパキスタンの諸言語は個別にはコンピュータ上での処理が可能になったが、図書館など諸言語が混在する状況でそれらを体系的に処理する方法が確立されていない。各言語の処理法が異なる、正書法が確立されていない言語が残る、など課題は多岐にわたっている。

世界的にはUNICODEを用いての処理が事実上の業界標準となりつつあり、ウルドゥー語を含むアラビア文字で表記される言語の全ての文字への割り当てが完了している*7。しかしながら、先述のInPageをはじめとするウルドゥー語専用ワードプロセッサ・ソフトは固有の処理を行っており、同一ソフトウェアがないとファイルを開くことができない。汎用性という観点から、これまでに蓄積された資料の活用が困難である。今後、ウルドゥー語も含めたパキスタンの諸言語の処理は、「世界中からのアクセスがあること」を前提に考えていかなければならない。インターネットの普及により、パキスタン国内に所蔵されている資料の整理、検索という観点からも、早急な対策が待たれるところである。

また、パキスタンでは全国平均で約40%程度にとどまる識字率の低さが以前から指摘されている。出版物の種類は決して少なくないが、それを利用する人は限られている。したがって、図書館を利用する、あるいはできる人の総数も人口比では決して多くない。コンピュータ、インターネットの都市部を中心とした急速な普及が、地域間格差の一端としていわゆる「デジタル・デバイド」を加速している点も否めない。識字率やデジタル・デバイドの格差是正は、データベース構築を進める一方で、パキスタンが克服しなければならない重要な課題である。


参考文献

町田和彦,黒岩高,菅原純(共編),2004,周縁アラビア文字文化の世界 : 規範と拡張,東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所

萬宮健策. 2006. ウルドゥー語のネットワーク化―活字の観点からみた今後の課題― 「ウルドゥー語メディアによる南アジアのムスリム・ネットワークに関する研究」pp.142-156. (平成15年度~平成17年度科学研究費補助金(基盤研究費(B)(1))研究成果報告書(研究代表者:山根聡))

Ahmad, Nazir. 1985. Oriental presses in the world. Lahore : Qadiria Book Traders.

Hussain, Sarmad, Nadir Durrani, Sana Gul, n.d., Survey of language computing in Asia 2005, Lahore : National University of Computer and Emerging Sciences.

Russell, Ralph, 1999, Urdu in India since independence,
http://www.ercwilcom.net/indowindow/sad/article.php?child=14&article=5外部サイトへのリンク

saliim, profesar sayyad muhammad, 1981, urduu rasmul xatt, karaacii : muqtadira-e qaumii zabaan.

Unicode Consortium, The Unicode standard 4.0, http://www.unicode.org/外部サイトへのリンク

*1 ここでは、大文字のNは直前の母音の鼻音化を、大文字のT’は帯気音化した歯茎無声反舌音を示す。

*2 1973年に発布された。これまでに、廃案を含め17回の改正が実施されている。

*3 米国CIAの2006年央推計による。

*4 1973年憲法には、同憲法発布から15年以内に公用語をウルドゥー語に切り替えるべく努力すると明記されている。国立言語局(National Language Authority)などの機関が中心となり活動は続いているが、低調である。

*5  一般的に、初版の部数は1,000部程度であることが多い。

*6 ホームページは、http://www.pakistan.gov.pk/divisions/ContentInfo.jsp?DivID=13&cPath=118_124_250&ContentID=462外部サイトへのリンクを参照。

*7 詳細は、http://www.unicode.org/charts/外部サイトへのリンクを参照。

(すべてのURLのlast access:2006.11.10)

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