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近代インドにおける女性雑誌の役割―北インドस्त्री दर्पण(Strī darpaṇa『女性の鏡』)誌を中心に : アジア情報室通報第6巻第1号

アジア情報室通報 第6巻第1号(2008年3月)
小松久恵(大阪大学非常勤講師)

1. はじめに

インド女性史において、女性たちの声が表舞台に現れ始めたのは近代に入ってからである。社会問題に対して、あるいは自らの境遇に関して、彼女らはようやく自分たちの意見を表現し始めた。その声が取り上げられたのは、主に女性向けに発行された雑誌においてであった。それらの雑誌は19世紀半ばから創刊が相次いだが、当初から女性たちの声にあふれていたわけではない。記事は男性中心に執筆され、内容もごく保守的なものであった。そのような女性向け雑誌に変化の兆しが見られるのは、20世紀に入ってからである。 本稿で主に紹介するのは、その変化の兆しが顕著にあらわれた一例、स्त्री दर्पण(Strī darpaṇa『女性の鏡』)誌(以下SD)である。1909年に創刊されたこの月刊誌は、初めて女性だけの力で発行されたものであり、約20年間北インドの女性運動の核となり続けた。保守的な論調が多いものの、SDには時代において進歩的な思想をも読み取ることができる。同時代に同地域から出版されていた有名女性雑誌गृहलक्ष्मी(Gr̥iha lakshmī 『家庭の女神』)(以下GL)を比較対象として取り上げつつ、SDの特徴を考察することを本稿の目的とする。

2.女性雑誌の登場

教育普及と女性雑誌

女性雑誌がインドに普及し始めたのは、19世紀後半からであった。当時のインド社会の特徴は、出版文化の発展とともに女子教育が盛んに論じられ発展しつつあった点にある。社会改革運動において女性問題は議論の中心であったが、その中でも女子教育問題は広く取り上げられた。 19世紀半ばまで、インドでは女子教育は政府事業計画の管轄外にあった。つまり政府からの経済援助は一切なく、宣教師団体のみが普及活動を行っていた。ゆえにその普及は遅々として進まず、世間一般の認識において女子教育は問題にすらなっていなかった。19世紀の半ばからようやく政府が女子教育問題に取り組み始め、インド人社会改革者の中でも女子教育に関心が抱かれるようになった。それを機に社会改革者並びに文学者たちによって、カリキュラムや教育施設など女子にとって適切な教育の模索が行われるようになった。19世紀の終わりには、女子教育の是非のみならずその教育内容にまで関心が向けられるようになるのである。彼らの主張する教育の特徴は、家政中心のプログラムであり、また西洋の模倣ではないインド女性特有のカリキュラムである。つまり、改革者たちは既存のジェンダーロールを強化することを女子教育の目的としたのである。それは、20世紀に入って登場した女性教育者の主張と比較することで明確となる。もちろん女性教育者たちの主張が、一様であったわけではない。既存の女性像を再強化することを目的とした女性教育者の存在も多々あった。しかし20世紀に活躍したプネーの女性教育者、パンディター・ラマーバーイーに代表される主張の新しい点は、女性の自立並びに自活を教育の目的にしたところにあった。19世紀半ばに起こり、時代と共に高まった女子教育普及の波は、各地での女性雑誌創刊を生み出した。

各地における女性雑誌

女子教育普及運動の影響下、19世紀中盤からインド各地で女性雑誌が創刊され始めた。各言語による女性雑誌を比較して見ると(付表参照)、ボンベイやベンガル1など社会改革運動の活発なところほど雑誌の創刊も早い。その多くは女子教育の普及を発刊目的としたが、これら初期の雑誌に取り上げられたのは主に家政に関する情報であり、執筆者も男性が中心であった。
様々な改革運動の波は、運動の中心地よりも20年ほど遅れをとって北インドに到来している。当地のヒンディー語による最初の女性に関する雑誌बालाबोधिनी( Bālābodhinī『目覚めた女子』)誌(以下BD)は1874年から4年間、著名な文学者バーラテンドゥ・ハリシュチャンドラによってベナレスで発行されていた。8ページからなるBDでは、家政や育児知識が中心に語られたが、やはりその執筆者に女性の名前はほとんど見られない。
1909年にプラヨーグで発行されたGLは、ヒンディー語雑誌で初めて女性編集者を擁した2。ほぼ毎号において文学者、社会運動家、各地のベーガム(藩王国の王妃)、雑誌の編集者など、社会で活躍するインド女性の写真が掲載された。GLが目指したのは、女子教育の普及と様々な因習・迷信からの女性解放であった。創刊号の発行部数は4,000部であったが、次第に減少し、後には1,000部のみとなり1924年に廃刊となった。GLでは約40ページの中に、宗教、道徳、歴史、家政、妻の心得、様々な物語、そして国内外のニュースなど女性に有益な問題が広く取り上げられた。GLに見られる記事の特徴は、「夫への献身」「貞節」「奉仕」といった言葉が多く見られる点である。執筆者並びに投稿者には女性の名前が多々見られるが、彼女らはインドの伝統的な女性像を熱心に擁護していた。GLから得られる女性の声の大半は、それらの「女性の守るべき本分」を支持するものであった。


Gr̥ihalakshmī 1915年9月号 (ヴィクラマ暦1972年āśvin月号)
写真の女性、ヴィンドゥヴァーシニー・デーヴィ(1886-1914)はデリーの女子校にて教鞭をとり、また女子教育普及協会を立ち上げるなど教育の普及に貢献した人物。

Gr̥ihalakshmī 1915年9月号

SDの誕生とその構成

GLと同じ年に、同じくプラヨーグでSDが創刊された。多くの女性雑誌は、男性中心の編集、あるいは配偶者との名目のみの共同編集であったが、SDは女性のみで作り上げられた雑誌である。14年間編集を続けたラーメーシュワリー・ネルーは、独立インド初代首相のジャワハルラールのいとこブリジュラール・ネルーの妻であり、経営を行ったのはジャワハルラールの妻カマラーであった。また、多くの記事を定期的に寄稿したウマー・ネルーはジャワハルラールのいとこシュヤームラール・ネルーの妻であり、1920年半ばにカーンプルに編集が移るまで、SDの運営はネルー家の女性たちによって行われていた。
SDは約70ページの月刊誌で、女子教育、サティー(寡婦殉死の習俗)、パルダー(女性隔離の社会慣習)、寡婦再婚、幼児婚、参政権などの女性問題をめぐる議論、教訓物語、詩や小説、各種論文、書評で構成され、全体の約4分の1を論説が占めており、イラストや写真はほとんど見られない。当時、複数の新聞にも好意的に取り上げられ、その内容だけでなく、印刷の美しさなど雑誌のスタイルに関しても高く評価された3
購読者は知的エリート層かつ富裕な家庭の男女が中心であったと思われる4。毎号平均で5名くらいの女性読者からの投稿があり、学士や修士など高学歴の女性、または女子校の教員や校長など教育に従事する女性が多かった。また投稿者の性別をみると、号によってばらつきもあるが、およそ2対1の割合で男性が多数を占める。しかしヒンディー語による初の女性雑誌BDの執筆者がほぼ男性で占められていたことから考えれば、女性の論壇への進出はGL並びにSDの時代において大きく前進したといえるだろう。


Strī darpaṇa  1925年8月号
このようにイラストが挿入されている例は珍しい。

Strī darpaṇa  1925年8月号

3.鏡がうつすもの:SD分析

創刊者ラーメーシュワリーはSDの出版目的を、「インド女性に一個人としての地位を与えること」とし、女性は女としてだけでなく、人としてまた社会の一員として存在すべきことを男女ともにアピールし続けた5。SDにはまた、従来のジェンダーロールに対する疑問の声もいくつも寄せられ、女性の向上、自立、独立などの文字をタイトルに多く見ることができる。それはGLにはほとんど見られない現象であった。
SDが目指した女性像をより明確にするために、そこで語られる女子教育並びに女性のあり方について、主要な執筆者であったラーメーシュワリーとウマーの主張を以下で具体的に紹介する。その際GLと比較してみることで、彼女らの思想の特異性、あるいは普遍性がよりよく理解されるであろう。

女子教育の理想

女子の教育普及を創刊目的にも挙げたGLであったが、理想視された教育は家政の充実に役立つものが中心であった。編者は女子教育の目的を家庭生活の幸福だと述べており、読者から支持される女子の活動領域も家庭の中でしかなかった6。またGLに寄せられる多くの投稿記事は、『ラーマーヤナ』のシーターを初めとする伝統的な貞女を理想像とし、その姿に近づくことが教育のあるべき姿だと主張した7。SDにおいても、インド特有の教育が主張され、西洋教育、文化への盲従に対して警告するとともに女子教育の理想として、シーターや『マハーバーラタ』のサーヴィトリーら伝統的な貞女の養成が挙げられている8。しかし、ラーメーシュワリーがSDにおいて理想とする教育は、家政のみならず、社会の一員としての女性にふさわしい教育であり、人間として成長するための教育であった9。この点は従来の改革者たちの意見や、同時代の他誌とも大きく異なる点であり、SDの特徴を明確に現しているといえよう。

女性のあるべき姿

1918年、女性を「履き古しの靴」にたとえたフクマーデーヴィ・グプタの記事がGL、SD両誌に掲載された。彼女はその記事の中で、簡単に脱ぎ捨てられ取替えられるようなつまらない存在でよいのか、と女性に覚醒をよびかけている。それぞれの雑誌では、女性はどうあるべきなのか、様々に理想が語られた。
GLでは個としての女性の自立や権利を奨励するよりも、むしろ既存のジェンダーロールが評価され、女性は伝統的理想を固持することで尊敬を得られるという主旨の意見が多数を占めた。他方SDにおいては、創刊の目的としても挙げられたように、女性に個として存在することが繰り返し主張された。と同時に、ラーメーシュワリーは伝統的な女性像を否定、批判することもしていない。ある種、折衷的な意見が主流であったといえよう。当然、それに批判的な意見もあった。代表的な論者ウマーは、男性のあり方や責任を問うことで伝統的な貞女理想を疑問視し、さらに女性に強いられた役割や義務を批判している。男女の平等を信条としたウマーの意見は、当時少数派であり、新しい女性のための雑誌であるはずのSDにおいても熱烈に支持されることはなく、批判、あるいは無視されるにとどまった。

4.女性雑誌が目指したものとその役割

男性によって始められた女性雑誌の多くは、男性が望む女性像を作りあげるためのものであったといえる。ヒンディー語による最初の女性雑誌BDは4年間発行されていたが、そこで女性の自立や権利に関する問題が取り上げられたことは一度もなかった。女性雑誌でありながら、女性問題が語られなかったのである。BDにおいて重視されたのは、厳格な内容統制と禁欲的なコンテンツ、様々な禁止事項―エロティックなブラジバーシャー詩10、ジョーク、軽い読み物、外出制限―で女性を縛り、尊敬を受けるにふさわしい女性を作り上げることであった。BDに見られるのは男性が女性に助言をする、という上から下への図式であり、そこから女性の声を汲み取ることはできない。
初の女性編集者を生んだとされたGLでは、教育や参政権、幼児婚、寡婦再婚問題などを取り上げ、女性の地位向上を目的として女性の権利を追及しようとした。しかし、その追及が家庭の外にまで及ぶことはなかった。女子教育の普及を創刊の目的として挙げているが、しかしその教育の目的は、既存のジェンダーロールの強化であり、提言される女性の活動領域は家庭の内に限られたものであった。掲載された女性の声には、全体を通して、インド特有の理想の女性像を支持するものが圧倒的に多く、奉仕や自己犠牲、あるいは貞節、貞女、女の本分という言葉が頻繁に語られる。尊敬を受けるにふさわしい女性であるためにGLが提言したのは、従来のジェンダー規範に忠実であることであった。
従来の女性雑誌と比較した際、SDにおいて最も特徴的なのは、女性に個としての存在を提示した点である。それまで女性は他者との関係を通してのみ、つまり娘として妻として母としてのみ語られてきた。女性は、個として、社会の一員として存在するべきであるという提言は、社会に大きな衝撃をもって迎えられたことであろう。しかし、かといってラーメーシュワリーは伝統的な理想像を完全に否定したわけではなかった。サティー慣習を明確に否定しなかった点、あるいは伝統的な女性の役割を肯定した点は、多くの読者に安心感を与え、またその一方でその折衷的な、あるいは多面的な姿勢に物足りなさを覚える読者もあったことであろう。SD内部でさえも、女性問題をめぐって意見は対立している。当代一のフェミニズム思想の持ち主であったウマーは、女性に規範をおしつける男性を批判し、そしてその規範にしがみつく女性をも批判した11。しかし、その声はマイノリティーでしかなく、かき消されるしかなかった。SDで語られた女性の姿は、単純に伝統を固守するものでもなく、また伝統を完全に否定するものでもなかった。そこでは女性問題が多様性、多重性をもって語られている。われわれはそこに、女性たちが迷いながら追うべき理想を模索していたことを読み取るのである。
近代インドで女性が世間に向かって発言するには、いくつもの障害が存在した。その中で女性雑誌に掲載された様々な女性の意見は、多くの読者女性を励ますものであったにちがいない。女性雑誌の役割は、女性たちに社会の一員であるという自覚や自信、様々な問題意識を覚醒させるものであった。そして彼女らに声を与え、その声をあらわす場を与えるものであった。近代インドに女性雑誌が登場したことにより、女性の創作活動、また社会参加の可能性が大きく拡大したのである。


1 地名は雑誌創刊時の名称に従う。

2 しかし、フランチェスカ・オルシニによればゴーパールデーヴィは名前のみの女性編集者であり、GLの本当の編集は、男性のタークル・シュリーナート・シンであった。Francesca Orsini, 2002, The Hindi Public Sphere 1920-1940: Language and Literature in the Age of Nationalism p.262.

3 1914年当時の広告:「女性の手によるヒンディー月刊誌、Strī darpaṇa はプラヨーグで毎月初めに出版されている。社会改革などの問題に関して、女性が読むにふさわしい小説や記事が掲載されている。編集ラーメーシュワリーデーヴィ・ネルー、経営カマラーデーヴィ・ネルー、毎月約72ページで構成され、美しい紙質、様々な記事、印刷も鮮やかであるにも関わらず年間購読料はわずか2ルピー4アンナ、各号は4アンナである。毎年1月と7月に巻が変わる。第5巻は1911年7月からである。手にとって女性の地位向上に協力されたし。英字紙、ヒンディー紙の各紙において好評を得ている。一番良いのは、取り寄せて一読し、確かめてみることである。」

4 オルシニの研究(2002)によれば、SDは社会改革運動の中心地であったベンガルやパンジャブ近辺では大きな関心をもたれていたが、運動普及が遅れていた連合州United Provinceでは不人気であり、その普及には地域差があった。Orsini, 2002, p.265

5 ラーメーシュワリー・ネルー「Sampādakīya(論説)」(SD1915年7月):「インド女性に一個人としての地位を与えることこそが創刊当初からの目的である。この目的を達成するためには、二つの方法があるだろう。まず女性に対する男性の意見を変化させること。第二に女性自身の覚醒。本誌は様々な記事を通してこの二つに挑戦し続けている。」

6 「Sampādakīya:Strī sikshā kā praśan(論説:女子教育問題)」(GL1928年3月):「女子教育は、家庭生活を幸福に満ちた穏やかなものにすることこそを目的とする。しかし現在普及している教育では、そのことが軽視されている。それは我々の国のエリート女性社会が、西洋の文化に染まっているからにほかならない。・・・現在必要なのは、国中の家々に貞女シーター、貞女パールヴァティの話を広めることである。それによって、我々の母達、姉妹達は臆病で内気な子を産む代わりに、強く勇敢な愛国心を持った子供を産み育てるだろう。そして国に貢献することができるだろう。」

7 スンダルデーヴィ「Strī sikshā kā mahattva(女子教育の重要性)」(GL1927年4月):「我々に必要なのは、シーター、サーヴィトリー、そしてドラウパディのような貞女、性質もよく家政に長け、学識ある女性となるための教育である。そしてその教育を受けたことで、家族を初めとする他人に喜んでもらえる、そのための教育である。」

8 ラーメーシュワリー・ネルー「Sampādakīya:Deśī aura vilāyatī nārī sikshā(論説:インドと外国の女子教育)」(SD1919年4月):「西洋教育の普及で、我々は自分たちの伝統を全て古臭く洗練されていない、ふさわしくないものだと思うようになっている。(中略)・・・女子教育に反対するものはいない。しかし我々の使命は、間違った教育から女子を救うことである。シーター、サーヴィトリー、ダマヤンティー、中世のアヒルヤーバーイー、バヴァーニー王妃など、インドの輝ける女性たちを理想とする教育が普及すれば、女子教育は永遠に立派な成果のみを生み続けるだろう。」

9 ラーメーシュワリー・ネルー「Strī sikshā kī āvśyaktā (女子教育の必要性)」(SD1917年12月):「・・・女子教育の目的は、まず人間としての成長、それから女性としての成長、に定められるべきである。女性は単に女としてのみ存在するのではない。女としてよりも以前に、人間として、つまり人間社会の一員なのである。故に女子教育は、社会の一員たる女性にふさわしいものでなくてはならない。」 ブラジバーシャーはヒンディー語群の言語のひとつであり、近代においてもっとも重要な文学語。

10 ブラジバーシャーはヒンディー語群の言語のひとつであり、近代においてもっとも重要な文学語。

11 ウマー・ネルー「Hamāre samāja sudhāraka(我らの社会改革者)」(SD1918年 3月):「シーターやサーヴィトリーのような貞女が生み出されるには、ラーマチャンドラ、クリシュナ、バーラト、そしてユディシュティルのごとき英雄が必要である。コート、ズボン、シャツにネクタイを身にまとい、西洋的な経済を理想としながら、インド女性にのみこのような理想を求めるのは、天空に咲く花を追い求めるのと同じことである。」

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