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時代を率いた館長―任継愈館長と中国国家図書館: アジア情報室通報 第7巻第3号

アジア情報室通報 第7巻第3号(2009年9月)
岡村志嘉子(国立国会図書館アジア情報課)

2009年9月9日、中国国家図書館は創立100周年を祝った。その約2か月前のこと、2009年7月11日、中国国家図書館の歴史に大きな足跡を残した人物がこの世を去った。

任継愈、享年93歳。1987年から2005年まで18年間、中国国家図書館の館長を務め、退任後も名誉館長として、亡くなるまで中国国家図書館を代表する存在だった。名誉館長の時期まで含め22年に及ぶ在任期間は、中国国家図書館の歴史全体の5分の1を超え、歴代館長の中でも突出した長さである。

任館長の在任中、中国国家図書館は飛躍的な発展を遂げた。改革開放政策の下、国の政策に従い、社会環境の変化に対応しながら、試行錯誤を繰り返し今日の中国国家図書館が築き上げられてきた。職員も相当大きな意識変革を求められる中で、高名な学者でもある任館長は職員の精神的支柱であり続けた。

私は20年以上にわたり、中国国家図書館のさまざまな人々と接触してきた。彼らは誰もが任館長を敬愛し、任継愈という傑出した人物を館長に戴いていることに誇りを持っていた。任館長について語るときの彼らは、常に敬慕の念と穏やかな安心感に満ち溢れていた。そして私自身も、彼らと話しながら、彼らと同じ感情を共有できる幸せを感じないときはなかった。

任館長の在任期間は、国立国会図書館(以下、「当館」という。)と中国国家図書館との交流の進展した時期でもあった。当館と中国国家図書館は1981年から毎年、代表団の相互訪問という形で業務交流を実施している1。中国国家図書館の訪日代表団には、任館長も団長として2回参加している。私は中国語通訳として両館の業務交流などに関わる中で、任館長と接する機会を何度か持った。任館長は私だけでなく、当館側の多くの関係者にも鮮烈な印象を残していたのを記憶している。

「任継愈逝去」の報は、中国のマスメディアで極めて大きく取り上げられた。胡錦濤国家主席、温家宝首相以下、国民全体がその死を悼み、中国国家図書館のホームページも、トップページから全面的に「任継愈名誉館長追悼」の特別画面に切り替えられた。私が直接知る中国国家図書館は任館長時代とほぼ重なる。追悼記事に目を通しながら、この二十数年間の中国国家図書館の変化を振り返り、私は任館長がいかに大きな存在であったかということを思わずにはいられなかった。それは中国国家図書館にとっての意味の大きさに止まらない。中国で国立図書館の長を任継愈という人物が務めてきたことの意味の大きさである。中国の図書館事業の発展を牽引する中国国家図書館、その中心にあって任館長の果たしてきた有形無形の役割を今改めて思うのである。

中国国家図書館の沿革と歴代館長

中国国家図書館の前身は、清朝末期に創設が決まった京師図書館である。1909年(宣統元年)9月9日、宣統帝によって京師図書館設立の裁可が下された。翌1910年(宣統二年)には、中国で初めての図書館法規となる「京師及各省図書館通行章程」も制定された。京師図書館は広化寺を館舎と定め開館準備を進めたが、完成を見ぬうちに清朝は滅亡する。正式に開館するのは、辛亥革命を経て中華民国に移管された後、1912年8月27日のことであった。1916年には正式に国内出版物の納本を受け入れるようになり、国立図書館としての機能を拡充していく。1928年には館名が国立北平図書館と変更された。所在地も幾度か変遷した。1931年になって文津街館舎が完成し、当時の中国国内で最大規模の、最も先進的な図書館となった。

中華人民共和国成立後、1950年3月6日、国立北平図書館は国立北京図書館と名を改め、1951年6月12日には北京図書館と改称された。文津街の館舎は増築を重ねたが、蔵書の増加と業務の拡大に伴い手狭となり、周恩来首相の指示の下、1975年3月、北京図書館新館の建設が決まった。新館が落成したのは1987年、所在地は北京市西部の白石橋である。1998年12月12日、北京図書館は国家図書館と改称され、対外的には中国国家図書館と称されることになった。2004年12月からは、国家図書館第2期プロジェクトとして国家デジタル図書館の建設が進められた。国家デジタル図書館は2008年9月9日に開館し、中国国家図書館はまた新たな段階に入った2。

館名については、上述のように幾度か変更があったが、本稿では以下すべて、中国国家図書館と表記する。また、任継愈氏についてもすべて任館長と記すことにする。

中国国家図書館の館長は、初代から現在まで合わせて25代を数える。そのうち第20代までが中華人民共和国成立以前、第21代以降の5代が中華人民共和国成立後である。初代館長は翰林院編修の地位にあった繆荃孫。初期の館長はわずか1年足らずで交代することが多かったが、夏曽佑、馬叙倫、梁啓超など中国近代史上の著名な学者が名を連ねている。1929年から1940年までは蔡元培が館長の任にあった。

中華人民共和国成立直後しばらく、館長は空席だった。1953年から1981年まで3代、著名な学者などが館長を務めたが、その後再び空席となっていた。中国国家図書館新館の開館を間近に控えた1987年5月、第24代館長として任館長が就任した。そのとき任館長は71歳だった3。

任館長とはどのような人物か。中国国家図書館ホームページで紹介されているその経歴は以下のとおりである(一部省略)。


任継愈(1916.4.15-2009.7.11) 山東省平原県生まれ。著名な哲学者、宗教学者、歴史学者、中国国家図書館名誉館長。

1934年、北京大学哲学系入学、1938年卒業。1939年西南連合大学北京大学文科研究所大学院入学、中国哲学史と仏教史を湯用彤、賀麟両教授に学ぶ。1941年修士学位を取得。1942-1964年、北京大学哲学系の講師、副教授、教授を歴任。その間北京大学で中国哲学史、宋明理学、中国哲学問題、朱子哲学、華厳宗研究、仏教著作講読、隋唐仏教、論理学を、北京師範大学で中国哲学史を講義。1955-1966年、『北京大学学報(人文科学版)』編集者。1956年より中国科学院哲学研究所研究員を兼務。1964年、中国科学院世界宗教研究所(筆者注:後に中国社会科学院所属となる)を設立し、所長に就任。宗教学専攻の大学院生、学部学生の指導に従事。1999年、国際欧亜科学院会員に選出。1987-2005年、中国国家図書館館長。2009年1月15日、国務院により中央文史研究館館員に任命。

1978年以降、中国社会科学院大学院教授・博士課程指導教官、国務院学位委員会学科評議員・哲学部会長、国家古典籍出版計画検討班員、中国宗教学会会長、中国無神論学会理事長、中国チベット仏教研究会会長、中国哲学史学会会長、社会科学基金宗教部会長、中国社会科学院世界宗教研究所名誉所長などを歴任。学術界の代表として、全国人民代表大会の第4-8期代表に選出4。


任館長が中国国家図書館の館長に任命された理由は詳らかではない。社会的影響力の大きい学者が務めることの多かったその地位に、新館開館という節目の時期に就任する人物として、任館長ほどの適任者はいないと考えられたのは確かだろう。実際、任館長はまさしく適任者であった。長期にわたる在任期間はその証明に他ならない。

日中業務交流と任館長

1987年10月、当館の業務交流代表団の一員として訪中したとき、私は初めて任館長に会った。

なんと頭の良い人だろう―それが、高名な学者だと事前に教えられ、緊張しながら館長表敬の通訳に臨んだ私の第一印象だった。通訳で咄嗟に意を尽くせなかった部分、訳し足りなかった部分があっても、その言わんとするところを完璧に汲み取って話の流れを理想的な方向に導いてくれる。通訳の場で、私は任館長に何度助けられたかわからない。任館長の発する言葉は極めて論理的で一切無駄がない。が、決して冷たさはなく、むしろ暖かく含蓄に富んでいた。その格調高い中国語は、それ以来私の究極の手本となった。

私が任館長に最後に会ったのは、やはり業務交流代表団の一員として訪中した2001年9月のことだった。当時、他の仕事も多く中国国家図書館には週1~2回しか出勤しない任館長だったが、当館の業務交流代表団が訪問すると必ず表敬のための時間を作ってくれた。このとき任館長は85歳。いつものステッキも持たず、ますます矍鑠とした様子だった。

「職員同士の交流はとても大切で、今後もっと拡大していくとよいと思う」
   今後の両館の職員交流に話が及んだとき、任館長はこう言いながら私を振り返った。
   「・・・この人もね、中国語がうまくなったし」

任館長に会うのは7回目になるが、そんなことを直接言われるとは思ってもみなかったので、私は一瞬言葉に詰まった。通訳した後で、思わず問い返していた。

「本当ですか・・・最初の頃を覚えていらっしゃるのですか・・・あの頃は全然できなかった」
   任館長はそれには答えず、にっこりとしてこう言ったのだった。
   「実践が大事。やればやるほど上達する」

背筋をピンと伸ばした品のよい物腰は、超然としていながら全く威圧感はなく、どこか飄飄として周囲を魅了する。常に人を暖かく包み込んでくれる優しさと同時に、怠惰なるもの、安易なるものを決して許さない厳しさがある。何よりも、深い学識に裏付けられた極めて合理的で柔軟な考え方の持ち主。それが、私の直接知る任館長であった。

任館長が中国国家図書館業務交流代表団の団長として当館を訪問したのは、1988年5月と1994年10月の2回である。図書館の実務に携わっているわけではないので、会議で自ら報告を担当することはなかったが、実務レベルの意見交換の場にも必ず出席し、会議冒頭の挨拶、締め括りの発言は常に簡にして要を得た見事なものだった。宴席は好まない人だったが、団長としての責務をないがしろにすることはなかった。

1994年の日中業務交流では、私は来日した中国国家図書館代表団の全日程に通訳として同行した。任館長と行動を共にし、通訳という立場を離れて任館長と話ができる機会も少なくなかった。代表団の団員も皆、任館長と話すのが楽しくてならない様子で、代わる代わるいろいろなことを質問していた。質問攻めに近いようなこともあった。任館長はどんな質問にも一つ一つ丁寧に答える。質問に的確に答えてくれるだけでなく、その受け答えにどこかユーモアが感じられ、座はいつも和やかになった。団員は中国国家図書館の部・課長級の人達だが、任館長と長時間行動を共にできる機会は、彼らにとっても貴重なものだったに違いない。

任館長は毎朝4時に起床、直ちに研究や原稿執筆に取りかかるのが日課だった。この日課は旅行中でも守られていた。決められた日程を完璧にこなしながら、少しでも自由時間ができるとホテルの自室に戻り、机に向かった。1950年代、毛沢東に招かれ宗教について進講したとき、毛沢東が賞賛を惜しまなかったという逸話の持ち主は、飽くなき学究の徒であった。

この頃、当館では日中業務交流のあり方を見直すべきではないかという声が強まりつつあった。定例の日中業務交流は、1994年に第14回を迎えていた。長く継続しているにも関わらず、その成果がはっきりとした形で現れてこないことが、一部で批判的に受け止められていたようである。「より実務的な協力を」「次のステップへ見直しを」などという意見が業務交流の席上でも表明された。ただ、より実務的にとは言うものの、この時点で具体的なテーマが当館側から示されることはなかった。中国側からは、それに対して明確な反応はなかった。

東京での業務交流の日程を終えた後、代表団は関西、九州などの図書館・関係機関を視察して帰国した。帰国前の任館長に私は、「業務交流の見直し」について意見を聞こうとした。見直し論の背景には、当館側がこの機会を十分活用できていない状況がある、と私は考えていた。今後のために中国側の本音が聞きたかった。

「現在の業務交流のあり方をどう思うか」
   「当館側の受け入れ態勢に問題はないか」
   「今後どういう形の交流が望ましいか」
   「何か気が付いたことがあれば指摘してほしい」

結果はというと、完全に無視されてしまった。全く聞こえなかったふりである。後から思えば、任館長が私などを相手にこのような議論をするはずはなかったのだが、一切この話題に取り合おうとしなかった任館長の態度は強く印象に残った。

中国国家図書館が「業務交流の見直し」に無関心であったわけでは決してない。実際、後日私は、中国国家図書館で日本語通訳に携わる人から、日本側は業務交流を縮小したいと考えているのか、その理由は何か、と単刀直入に尋ねられた。

これまでの経緯を振り返ってみると、当館よりも中国国家図書館の方が、業務交流を自館の業務の発展にうまく役立ててきたように思われる。例えば、中国国家図書館で1998年から本格実施された立法・政策決定部門に対するサービス、1999年から始まった中央省庁への分館設置は、当館の国会サービスや支部図書館制度が参考にされている。思い起こせば、いずれも業務交流の場で中国側が大きな関心を示していたものであった。

初期は日中間の経済格差も大きく、図書館サービスの水準にも隔たりがあった。しかし今日、国家デジタル図書館をはじめ、中国国家図書館の図書館サービスの進展ぶりは著しい。各国の国立図書館との相互協力も、当館以上に積極的に推進している。「聞こえなかったふり」で性急な評価を戒めた任館長には、今日の状況が見えていたのかもしれない。

任館長と大規模古典籍編纂事業

「この20年の中国国家図書館の発展をとても喜ばしく思っています。特に、以前は資料の保存や整理に重点が置かれ、利用はあまり考えられていませんでした。稀少な資料であればあるほど、広く公開しなければならないのです。今では、保存偏重・利用軽視の傾向は改められました。蔵書利用のため最大限のサービスを行うことが、我々の業務の出発点となっています5」

任館長はインタビューで、この20年間の中国国家図書館の変化をどう評価するかという問いに、このように答えている。同じインタビューで、「蔵書と職員の状況を完全に把握することが館長の責務です6」と述べた任館長は、職員の資質向上や利用者サービスの拡大を重視し、その実現に向けて指導力を発揮した。一方で、電気料金やバス停新設をめぐって問題が起きれば、北京市長と交渉して有利に解決し7、歩道橋の新設などにも大きな役割を果たした8。このようにさまざまな館内事務に携わりながら、任館長が一貫して取り組んでいたもう一つの大きな事業がある。

任館長は1980年代以降、古典籍の整理と公開という事業に大きな力を注いでいた。これは、蔵書の公開と利用の促進という中国国家図書館の重点目標とも一致するものだが、任館長の視野にあるのは中国国家図書館の蔵書のみではなかった。国内の古典籍全体を包含する大規模な整理編纂事業を任館長は構想し、それらは国家事業として推進されていく。任館長はいくつもの編集責任者を兼務し、使命感を持って事業全体を統括した。どれ一つとして、名目だけの責任者だったものはない。『国家図書館蔵敦煌遺書』『文津閣四庫全書』など中国国家図書館の蔵書を対象としたものから、『中華大蔵経』『中華大典』などの全国的な巨大プロジェクトまで、任館長は事業の指揮を執りつつ自ら作業を分担した。厖大な量の文献が整理、校勘を経て続々と複製・刊行されていった。

『中華大蔵経』は中国国家図書館所蔵の『趙城金蔵』を底本とし、他の8種類の代表的な経典を参照して編纂される経典の集大成である。16年の歳月をかけて107冊、1億余字に及ぶ「漢語の部・正編」が完成し、引き続き、「漢語の部・続編」の編纂が始まった。2億6000万字に上る「続編」の編纂は多大な経費を要するため難航した。そこで、任館長は2007年、温家宝首相に援助を求める手紙を出した。それを読んだ温首相はすぐに財政当局に予算措置を指示した。「これほど早く首相の指示が出るとは思わなかった」と任館長はとても喜んだという。必要な予算措置のおかげで、「続編」は予定通り5年以内に完成する見込みである9。

1989年から始まった『中華大典』編纂事業は規模がさらに大きい。中国歴代の漢語による古典籍を現代の学術分野別に24に分類し、さらに小分類して2万点以上の文献を抄録する。7億字を超える総字数は、『永楽大典』の2倍、『古今図書集成』の4倍に相当する10。この事業も、今世紀に入って資金不足に陥った。2004年3月、任館長以下数名の学者が連名で温家宝首相に宛て、『中華大典』編纂の意義と苦境の実態を訴える手紙を出した。このときも温首相は直ちに対応し、編纂作業は再開されたという11。

小学生のとき『四書』を読み終え、中国の伝統的知識人としての完璧な教養を身に付けていた任館長は、戦乱の中に青年期を過ごした。任館長の在学中、北京大学は日本の占領地域を脱して湖南省の長沙へ、さらに雲南省の昆明へと移転した。任館長もそれに従った。長沙から昆明へは1300キロメートル余りを2か月かけて徒歩で移動した。その際、農村の疲弊と農民の貧困を目の当たりにした任館長は、学問研究は決して中国の現実から切り離されたものであってはならないと確信した12。長い歴史の蓄積の上に中国の現実があり、学問研究はその蓄積を知ることから始まる。任館長が強い使命感を持って大規模な古典籍編纂事業に取り組んだのは、文化的蓄積として古典籍が将来にわたって果たし続けるであろう役割を、誰よりも重視していたからではないだろうか。

中国国家図書館は現在、国家デジタル図書館に代表されるように、最先端の技術を駆使した新しい図書館サービスを積極的に推進している。その一方で、古典籍の価値をこれまで以上に重視し、その価値を広く伝えることによって自館の価値をさらに高めようとしている。中国国家図書館はもともと、質的にも量的にも中国国内有数の古典籍所蔵館であった。現在はそれに止まらず、中国全土の古典籍を視野に入れ、大規模古典籍編纂事業でも中心的役割を果たしている。大規模古典籍編纂事業を率いる任館長が館長であったことが、中国国家図書館の役割強化を促した。国家デジタル図書館によって中国の電子図書館事業全体を牽引する中国国家図書館は、古典籍に関する図書館事業においても中国全体を牽引している。両方向への発展、それを可能にする層の厚さが、今日の中国国家図書館に対する評価をより一層高めているのは確かだ。

任館長は大工仕事や自転車修理が趣味だったという13。プラスチックケースの廃物利用で名刺入れを手作りしてしまう、創意工夫の人でもあった。私もその洒落た名刺入れを見せてもらったことがある。最近は、教育政策について温家宝首相に進言していた14。任館長に対しては、温首相も全幅の信頼を寄せていたようである。稀有な知性と独創性を持ち、常に国家百年の大計を考えていた任館長が中国国家図書館に残したものは計り知れない。


1 当館と中国国家図書館との業務交流の概要については、当館ホームページ(トップ>国立国会図書館について>国際協力活動>各国図書館との交流)<http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/cooperation_operating.html#china>参照。

2 中国国家図書館の沿革は、陈源蒸ほか編『中国图书馆百年纪事(1840-2000)』北京图书馆出版社 2004 p.2、李致忠編『中国国家图书馆』 [中国国家图书馆] 1999 pp.6-8、「关于国图  历史沿革」中国国家図書館ホームページ<http://www.nlc.gov.cn/service/gygt_lsyg.htm>の記述による。

3 歴代館長は、「关于国图  馆领导」中国国家図書館ホームページ<http://www.nlc.gov.cn/service/gygt.htm>による。

4 「任继愈先生生平」中国国家図書館ホームページ<http://www.nlc.gov.cn/rjy/sp.html>

5「国家图书馆名誉馆长任继愈先生专访」『国家图书馆学刊』2008(1) p.5.

6 同上

7 同上

8 「国家图书馆举行追思会纪念任继愈先生」中国国家図書館ホームページ<http://www.nlc.gov.cn/syzt/2009/0716/article_313.htm>

9「为了弘扬中华民族优秀文化的共同目标-温家宝总理与任继愈先生交往纪事[3]」中国国家図書館ホームページ<http://www.nlc.gov.cn/syzt/2009/0716/article_312_3.htm>

10 前掲注5参照。

11 前掲注9参照。

12 任继愈「自传」『任继愈学术论著自选集』北京师范学院出版社 1991 pp.549-550.

13 「任继愈  抱憾的"大师"」『南方人物周刊』<http://www2.nanfangdaily.com.cn/nfrwzk/200907310231.asp>

14 「为了弘扬中华民族优秀文化的共同目标-温家宝总理与任继愈先生交往纪事[4]」中国国家図書館ホームページ<http://www.nlc.gov.cn/syzt/2009/0716/article_312_4.htm>

(URLの最終アクセスはすべて2009.9.9)

(おかむら しがこ)

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