夜景の光線画に見えるもの

風景

井上安治の「東京名所」が明治14(1881)年から出版されました。安治は少年期から小林清親に師事して、習得した洋風版画の技法で東京名所の風景を製作しました。26歳の若さで生涯を終えた安治ですが、明治前期の庶民の生活と環境を、生彩ある記録画のように描いています。ここでは夜景に描かれた作品の中から、江戸から東京へと文明開化で変貌してゆく街の様子をご紹介しましょう。


最初の「海運橋」は、日本橋の海運橋から東に第一国立銀行を見て描いた夜景画です。夜景の中で大きく浮かび上がる銀行は、他の作品でもさまざまな角度から描かれています。「鎧橋夜」では、日本橋川から西に銀行を見る形で描かれ、夜景ではありませんが、「鎧橋之景」では橋の対岸に描かれています。いずれも文明開化の象徴である第一国立銀行の洋風建築を、闇の中に浮かぶ影で表現し、江戸が残る街を行き交う人々の風景をありのまま描いています。


2つ目は銀座4丁目の京屋時計塔附近を描いた夜景画です。ガス灯が灯り、建物や夜店から漏れる光が暗い銀座通りを走る鉄道馬車と対照的です。街路樹に柳が植えられているのが影からわかります。
その中でひときわ目立つように描かれているのが京屋時計塔です。銀座の洋風建築の1つで、この建物は明治9(1876)年頃に造られ、文明開化の象徴でした。時計台の前の通りを走る鉄道馬車には、闇の中、馬車の明かりでおぼろげに浮かぶ人物の影を描き、当時の銀座の夜の風景を伝えています。


3つ目は文明開化・欧化政策の外交場として、華やかな夜会が繰り広げられた鹿鳴館の夜景画です。ここは江戸時代は薩摩藩の上屋敷で、琉球使節が江戸登城前に装束を最後に整えた場所だったため「装束屋敷」と呼ばれていました。明治になって洋装の人々が集う場所となったのは不思議な縁があったのかもしれません。夜会が開かれている様子が、闇の中から漏れる光と人々の影からわかります。よく目を凝らすと、庭のベンチに1人紳士が座っています。夜会に疲れて休んでいるのでしょうか。洋風建築の中の賑わいとは対照的です。


最後は一石橋あたりから日本橋を描いた夜景図です。月が川面を照らし、橋の上を行きかう人々、橋詰の電信局の夜業の明かりなどを描き、また橋の上には人々だけでなく、鉄道馬車も描かれています。

川舟が行き交う江戸からの風景と文明開化の象徴である電信局の洋風建築が自然のままに描かれています。

井上安治の夜景の光線画を少し紹介しましたが、安治は小林清親のぼかしの技法を使う方法ではなく、繊細な感覚での線描写の方法を使用しました。夜景であっても、闇の中でうっすらと浮かぶ風景、樹木や人物の影が、線描を施したことによって鮮明となります。安治は線描によって描いたありのままの東京の風景を版画に残そうとしました。

参考文献

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