あれもこれも雛人形
古今東西、雛人形は色々な型が作られてきました。ここで紹介する雛人形は、『雛百種』に収録されたもので、日本画家の西澤笛畝が古今の雛人形の優品を地方別に、また変わり雛も含めて描き紹介したものです。ここで少し紹介してみましょう。
雛人形は、上巳節に災難や厄を人の身代わり人形に托して川に流す行事と、宮中に伝わる人形遊びが結びついたことに始まるといわれています。




上の画像の人形は左から羽二重縫ぐるみの御伽這子、羽二重製の天児裸体、羽二重製の裸体天児、衣装附の天児です。這子は平安時代の小児の遊び人形で、首と胴は綿詰めの白絹、頭髪は黒髪で、這う子どもをかたどって作成されました。天児は形代の一種で、室町時代に広まり、幼児のお守りとして枕元に置きました。この這子と天児が、雛祭りが広まると天児を男雛、這子を女雛に見立ててまつるようになり、雛人形の原型となったようです。
江戸時代の雛人形


泰平の世の中になって、雛人形にも一種の型式が出現しました。寛永雛と呼ばれる雛人形もその一つです。大体は室町の雛を継承していますが、顔だちがやや長形になっています。男雛は束帯に似た装束で、両足を前に合わせています。女雛は五つ衣に似た衣装を着て冠をかぶっています。


江戸中期頃から江戸日本橋には雛市が立つようになり、享保期(1716-36)には町人が好むような人形が生まれました。面長の顔に切れ長の目、金襴や錦の華やかな装いの享保雛です。男雛は束帯に似た装束で袖を張って太刀を差しています。女雛は唐衣に似た衣装をまとっています。


宝暦期(1751-64)に生まれた有職雛は、京都の公家衆等が人形師に特別注文した人形です。公家装束を有職故実に基づいて雛に仕立てています。画像の杜園有職雛は、幕末の名工、森川杜園の木製彩色の作品です。


平安王朝時代の美女を写したような引き目鉤鼻の面差しをたたえた次郎左衛門雛です。雛屋次郎左衛門が考案したことから名づけられたといわれています。
変わり雛









土佐糸雛は古趣の変わり雛です。冠を表すような棒に紅白、黒の糸を巻き、長いほうが女雛、短いほうが男雛です。うしろの金紙の屏風様に松と鶴の泥絵風の画が描かれているのも変わっています。
ここで紹介した雛人形はほんの一部ですが、『雛百種』の中にはたくさんの雛人形が描かれています。立雛や座雛、素材も紙製、木製、土製等の様々な雛が登場します。描かれた雛人形を見ると、それぞれの地方の歴史、文化、風習等に合った人形が飾られたようです。
参考文献
- 西沢笛畝「雛百種解説」『雛百種』芸艸堂 1979所収【W162-48】
- 「明治生れの日本画家西沢笛畝が蒐め、描いた雛百種」『季刊銀花』129 2000春【Z6-623】