自由民権運動と翻訳

このページでは、企画展示「知識を世界に求めて―明治維新前後の翻訳事情―」の「第3章 西洋知識の受容と近代化」「第4節 近代国家の形成に向けて」から資料を紹介します。

解説本文

太政官制と藩閥政治に基づく明治政府に対して、国会開設を強く求め、憲法制定にも大きな役割を果たしたのが自由民権運動です。

その幕開けは、明治7(1874)年、板垣退助らによる民撰議院設立建白書の提出とされます。この建白書の基礎となった「天賦人権説」は、自由と平等について、天が全ての人に与えた生来の権利として捉える西洋起源の思想です。自由と平等を説く政治思想書は当時盛んに翻訳され、知識人を中心に積極的に受け入れられました。

自由民権運動に影響を与えた代表的な翻訳書として、中村正直の『自由之理』、中江兆民の『民約訳解』、松島剛の『社会平権論』などが挙げられます。国会開設を掲げて愛国社を率いた河野広中も、『自由之理』を読み、自由民権運動に足を踏み入れた一人です。また、明六社による啓蒙思想の伝播も相まって、自由民権運動が高まった明治14(1881)年頃までには、「自由」や「権利」といった翻訳語も広く一般に普及するようになりました。

自由之理 第1冊

原書は、功利主義哲学で有名なイギリスの思想家ジョン・スチュアート・ミルのOn Liberty。翻訳者の中村正直は、幕府の留学生として英国留学を経験した後、明六社の一員として西洋思想の啓蒙に貢献した。libertyやfreedomには、それまで「自主」「不羈」「自在」などの訳語が使われていたが、本書によって「自由」の訳語が広く一般に定着したと言われる。

民約訳解

原書は、社会契約説を唱えたフランスの政治哲学者ジャン=ジャック・ルソーのDu contrat social。『民約訳解』は全訳ではなく、冒頭から三分の一程度の抄訳。訳者の中江兆民は、日本にルソーの政治哲学をいち早く紹介した啓蒙思想家であり、「東洋のルソー」とも評された。原書の全訳として服部徳の『民約論』があるものの、『民約訳解』は流麗な漢文訳と丁寧な注解から好評を博したと言われる。

社会平権論 巻1

原書は、社会進化論を掲げたイギリスの哲学者ハーバート・スペンサーのSocial Statics。本書は、ジェレミー・ベンサムやミルらの功利主義哲学とは異なり、社会進化の観点から自由と平等を説く点で特徴的である。本書は、社会の進歩のために国家権力を縮小して個人の自由と平等を最大限尊重することを主張したため、自由民権論者から大いに歓迎された。一方で、スペンサーが自由主義国家への急進的な変革に否定的な立場を取ったことから、明治政府に近い保守的な立場からも幅広く愛読された。

政治論略・主権論

『政治論略』は保守主義の思想家エドマンド・バークの著作の抄訳。『主権論』は現実主義の政治思想に影響を与えたトマス・ホッブズの著作の抄訳。いずれも、明治政府に近い立場から自由民権運動に対抗する文脈で翻訳された。特に『主権論』の場合、自由で平等な生来の権利を説く第1部は翻訳対象とされず、国家と主権者に対する国民の服従を唱える第2部のみが訳出されている。

進化論が自由民権思想に与えた衝撃

自由民権運動が高まるなか、明治期の社会思想に衝撃を与えたのがダーウィンらに代表される生物進化論です。我が国で初めて生物進化論を紹介したのは、明治16(1883)年、東京大学教授エドワード・モースの講義内容を翻訳した石川千代松の『動物進化論』とされます。しかし、西洋列強による帝国主義の時代において注目されたのは、生物進化論を社会や国家に適用して、「適者生存」や「優勝劣敗」の原理を説く社会進化論でした。代表的な社会進化論者として、フランスの生物学者ジャン=バティスト・ラマルクの生物進化論を取り入れたスペンサーが挙げられます。社会進化論は自由民権運動にも影響を与え、「天賦人権説」を疑問視する声につながりました。例えば、元々自由民権論者であった加藤弘之は、ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルの社会進化論に出会うと、明治15(1882)年の『人権新説』の中で急進的な自由民権派の主張を国家主義的な立場から批判するようになりました。一方で、ダーウィンのOn the Origin of Species が全訳されたのは、明治29(1896)年の立花銑三郎訳『生物始源:一名種源論』や明治38(1905)年の東京開成館訳『種之起原』など、少し後の時期になります。

人権新説

社会進化論の観点から「天賦人権説」を批判する政治思想書。著者の加藤弘之は、生来自由で平等な諸個人が社会契約によって国家を形成するという天賦人権説の主張を、歴史的に根拠のない非科学的なものと捉え、「優勝劣敗」の原理に則って、弱者を含む全ての人民の権利を認める立場に反対した。その上で、彼は、国民に対する参政権の付与と国会開設を時期尚早と説いた。


関連する人物

電子展示会「近代日本人の肖像」にリンクします。


実際の展示資料

114. On liberty

  • John Stuart Mill J.W. Parker 1859【HD24-A7】

115. 自由之理 第1冊

  • 弥爾 著・中村敬太郎 訳 木平謙一郎 明治5(1872)年【特39-274】

116. Du contrat social

J. J. Rousseau Contrat social; ou, principes du droit politique Librairie Garnier Freres 1772?【320.15-R7628】

117. 民約論

戎雅屈・蘆騒 著・服部徳 訳・田中弘義 閲 有村壮一 明治10(1877)年【31-282】

118. 民約訳解 第1巻

戎雅屈・婁騒 著・中江兆民 訳解 仏学塾出版局 明治15(1882)年【25-260】

119. Social statics

Herbert Spencer Social statics, or, The conditions essential to human happiness specified, and the first of them developed D. Appleton and company 1875【61-15】

120. 社会平権論 巻1

袍巴土・斯辺瑣 著・松島剛 訳 報告社 明治14(1881)~17(1884)年【特28-664】

121. Reflections on the Revolution in France

Edumund Burke Reflections on the Revolution in France, and on the proceedings in certain societies in London : relative to that event, in a letter, intended to have been sent to a gentleman in Paris Printed for J. Dodsley 1790【GG324-A33】

122. 政治論略

ボルク 著・金子堅太郎 訳 忠愛社 明治14(1881)年【32-90】

123. Leviathan

Thomas Hobbes Leviathan, or, The matter, forme, & power of a common-wealth ecclesiasticall and civill Printed for A. Crooke at the Green Dragon 1651【WB29-54】【WB29-55】

124. 主権論

払波士 著・文部省編輯局 訳 文部省編輯局 明治16(1883)年【2-93】

125. 動物進化論

エトワルト・モールス 著・石川千代松 訳 東生亀治郎 明治16(1883)年【25-271】

126. 人権新説

加藤弘之 著 谷山楼 明治15(1882)年【特15-595】


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