口語体による翻訳へ(翻訳文学)

このページでは、企画展示「知識を世界に求めて―明治維新前後の翻訳事情―」の「第4章 翻訳文学の歩み」「第5節 口語体による翻訳へ」から資料を紹介します。

解説本文

明治20年代前半には、話し言葉と書き言葉の統一を目指す「言文一致運動」の盛り上がりを背景に口語体の翻訳が登場します。その先駆となったのが、明治21(1888)年の二葉亭四迷訳の『あひゞき』(ツルゲーネフ原作『猟人日記』の部分訳)と、明治22年の益田克徳の口述訳を速記した『夜と朝』でした。柔らかみのある口語体の作品は、翻訳文学の間口を一層広げ、より広い読者層に受け入れられました。

また、新聞・雑誌などの媒体が発達し、若松賤子の『小公子』や黒岩涙香の『噫無情』をはじめとする翻訳作品がこうした媒体に掲載されるようになったことは、翻訳文学の大衆化を後押ししました。さらに、個々の新聞・雑誌ごとに異なる読者層に合わせて、児童文学や探偵小説、SF・冒険小説などのジャンルの広がりが生まれました。

原著に忠実な口語訳が主流となる一方で、翻訳態度の多様化も見られます。森鴎外は口語体と文語体を作品ごとに自在に使い分け、黒岩涙香は大衆を意識してあえて翻案作品を生み出しました。ここに至って我が国の翻訳文学は、原著を尊重した上で作品にあった翻訳手法を選び、質の高い作品に昇華させていく段階へと発展を遂げました。

二葉亭四迷の翻訳

二葉亭四迷(1864-1909)は東京外国語学校(後の東京外国語大学)でロシア語を学んだ後、明治21(1888)年、ツルゲーネフ原作の『あひゞき』や『めぐりあひ』を翻訳しました。思軒の愛読者でもあった四迷は『繋思談』や思軒の翻訳態度を受け継ぎ、ロシア語からの極めて厳密な直訳を目指し、原文の語数やコンマ、ピリオドの数、語順までも再現しようとしました。

明治20年頃から文学界においても、西洋の写実的な小説を日本語で生み出すための新しい文体の創出を目指し、言文一致運動が起こります。四迷の新鮮な口語訳には、田山花袋柳田国男などの文化人をはじめ、当時の多くの読者が衝撃を受けたと言われます。明治の翻訳に劇的な変化をもたらしたとされる、翻訳文学を代表する訳文をご覧ください。

「あひゞき」(展示資料191)はツルゲーネフの『猟人日記』の部分訳。四迷は原著の句読点だけでなく、ダッシュやリーダーも忠実に再現しようとこだわった。展示箇所は、当時の読者が強烈な新鮮さを感じたという冒頭部分。ロシア語の持つ美しい音調をそのまま味わうことができる名訳とされる。 本書は同じくツルゲーネフの『三回の奇遇』の翻訳。雑誌『都の花』に掲載された。文章を書き換えて、明治29(1896)年刊の翻訳集『片恋』に「奇遇」(展示資料193)と改題して収録。この改訳版では、漢語や文語が減少し、より平易でこなれた訳になっている。

罪と罰

ドストエフスキーの『罪と罰』の英訳からの重訳。訳者の内田魯庵は翻訳する際に二葉亭四迷に協力を仰いでおり、二人の手による協同訳とも言われる。四迷の『あひゞき』や『めぐりあひ』の流れを受けた本書は、言文一致体をさらに発展させた質の高い翻訳とされる。我が国初のドストエフスキー翻訳としても名高い。出版後の衝撃は大きく北村透谷が「魔力」という言葉を用いて批評しており、島崎藤村、田山花袋といった文学者達にも大きな影響を与えた。魯庵は、英米文学の他にロシア、フランス、ドイツ、ポーランド、スペインなど多岐にわたる外国文学を翻訳し、我が国に紹介した。

夜と朝

原著はロード・リットンのNight and Morning。全編、言文一致体で丁寧に原文を写しとった本書は、『あひゞき』とともに口語体のモデルを示し、翻訳文学の質を高めたとされる。序文によれば、益田が年老いた両親に西洋の小説を聞かせるため、友人の若林に口述を速記してもらって出来上がった作品である。今日とほぼ変わらない口語体にご注目いただきたい。

『夜と朝』に寄せた森田思軒の序文

森田思軒による『夜と朝』の序文は、明治前期の翻訳文学の変遷を記述したものとして貴重な資料とされます。

嚢ニ我邦小説ノ趨向将ニ一変セムトスルヤ。織田氏訳スル所ノ『花柳春話』之カ嚆矢ヲナセリ。...而後西洋小説ノ我邦ニ訳サルヽモノ紛然群起セリ。...未タ生面ヲ其間ニ開クモノアラズ。藤田氏ノ『繋思談』ヲ訳スルニ及テ。造句措辞別ニ一機軸ヲ出タシ。或ハ艱奥ニシテ通シ難キモノ無キニ非スト雖モ。其ノ原本ヲ臨スル謹厳精微。今日無数ノ周密文体ハ其ノ紀元ヲ此二遡求セサルヲ得ス。...益田氏カ此ヲ口訳シ。若林氏カ此ヲ筆記スルモノ。乃チ亦タ我邦文学世界ニ一変ヲ生スルノ朕兆ナルコト母ラムヤ。

大意

我が国の小説の流れを一変させた最初の作品は、織田氏が訳した『花柳春話』であった。以降、西洋小説の翻訳がブームとなったが、文体・文章において新生面を開くのは藤田氏の『繋思談』の登場を待たなければならなかった。本作は小説の文章表現に新機軸を打ち出した。なかには意味の通じにくいところもあるが、訳文を原文と比べてみてきわめて精緻な翻訳である。今日多く目にする「周密文体」はすべてこの作品に端を発するといっても過言ではない。その後、益田氏が訳し、若林氏が筆記した『夜と朝』が刊行され、日本の文学界には更なる変化の兆しがみえてきた。

若松賤子の翻訳と『小公子』

若松賤子(1864-1896)は母校フェリス女学校の英語教師を務めたのち、紀行文や物語詩の翻訳などを発表し、女性作家として活動しました。敬虔なキリスト教徒であり、海外のキリスト信者向けのPR誌The Japan Evangelist(日本伝道新報)に英文で寄稿しています。

彼女の代表作『小公子』はフランシス・ホジソン・バーネット作Little Lord Fauntleroy の翻訳であり、明治23(1890)年に『女学雑誌』で連載されました。『女学雑誌』は明治期の代表的な婦人啓蒙雑誌であり、『小公子』もまた読者層である女性を意識した語り口になっています。

理想的な家庭像を提示した本作は、多くの女性に支持されました。子どもでも理解しやすい物語口調の口語体で翻訳され、児童文学の先駆でもあります。そのなめらかで美しい口語体は、森田思軒や坪内逍遥といった当時活躍する作家からも称賛されました。

原作をこまやかに写しとった柔らかみのある文体をご覧ください。

『小公子』の口語体

原文

Cedric himself knew nothing whatever about it. It had never been even mentioned to him.
He knew that his papa had been an Englishman, because his mamma had told him so; but then his papa had died when he was so little a boy that he could not remember very much about him, except
that he was big, and had blue eyes and a long mustache, and that it was a splendid thing to be carried around the room on his shoulder.
Since his papa's death, Cedric had found out that it was best not to talk to his mamma about him.

翻訳文

セドリツクには、誰も云ふて聞かせる人が有ませんかつたから、何も知らないでゐたのでした。
おとつさんは、イギリス人だつたと云ふこと丈は、おつかさんに聞ゐて、知つてゐましたが、おとつさんの没したのは、極く少さいうちでしたから、よく記臆して居ませんで、たゞ大きな人で、眼が浅黄色で、頬髯が長くつて、時々肩へ乗せて坐敷中を連れ廻られたことの面白かつたこと丈しか、ハツキリとは記臆てゐませんかつた。
おとつさんがおなくなりなさつてからは、おつかさんに余りおとつさんのことを云ぬ方が好と云ことは子供ごヽろにも分りました。

森鴎外の翻訳

森鴎外(1862-1922)は明治17(1884)年から21(1888)年までドイツに留学し、帰国後、評論雑誌『しがらみ草紙』を創刊して啓蒙的な文筆活動を開始しました。創作、翻訳、評論などその活動は多岐にわたり、日本近代文学の形成に貢献しました。

翻訳家としての鴎外は、逐語訳にこだわらず、作品の持つ芸術性を伝えることを重視しました。『水沫集』では、西洋の多種多様な作品をこなれた口語体や漢文直訳体を使い分けて翻訳しており、そのロマンティックな雰囲気に、当時の若い人々は魅了されました。その中の「調高矣洋絃一曲」では、明治22(1889)年という早い時期に大胆な口語訳を試みています。また、漢語や雅語を駆使してアンデルセンの長編小説を翻訳した『即興詩人』は明治浪漫主義の代表的作品であり、出来栄えは原作以上と評されました。

探偵小説の父 黒岩涙香

黒岩涙香(1862-1920)は明治期に活躍したジャーナリスト。明治21(1888)年にイギリスのミステリー小説 Dark Daysを「法庭の美人」として『都新聞』に連載し、成功を収めました。以後、海外の小説を次々と翻訳し、自身の創刊した大衆紙『萬朝報』に掲載して発行部数を伸ばしました。

涙香は、大衆が興味を持ちやすいよう、原作のセンセーショナルで面白い部分を抜き出して大胆なアレンジを加え、平易な言葉で翻案するという独特の手法をとりました。我が国にまだ本格的なミステリー小説がなく翻訳もほとんどされていなかった当時、劇的な恐怖や怪奇を盛り込んだ涙香流の翻訳ミステリー小説は多くの読者に歓迎され、ブームを巻き起こしました。

後に涙香は翻訳対象を他のジャンルへと広げ始めます。アレクサンドル・デュマ作Le Comte de Monte-Cristoの翻訳『巌窟王』や、ヴィクトル・ユーゴー作Les misérablesの翻訳『噫無情』など幅広い作品を手掛け、今日でも色あせない名作を世に送り出しました。

噫無情

ヴィクトル・ユーゴーの小説Les misérablesの翻訳。『噫無情』と題された本書は、涙香自身が創刊した『萬朝報』に連載され(明治35(1902)~ 36(1903)年)、大好評を博した。本書の翻訳を志しながらも道半ばで亡くなった親友森田思軒の遺志を受け継ぎ、翻訳に着手したと言われる。日本人向けにジャン・バルジャンを「戎亙戎」、コゼットを「小雪」として登場人物の名前を漢字で表すなど、読みやすさを重視した翻案小説の代表作。


関連する人物

電子展示会「近代日本人の肖像」にリンクします。


実際の展示資料

展示ケースの画像 展示ケースの画像 展示ケースの画像 展示ケースの画像 展示ケースの画像

191. 二葉亭四迷訳「あひゞき」

民友社 編 『国民小説』第 2 民友社 明治 23 (1890)~29(1896)年【17-281】

192. 二葉亭四迷訳「めぐりあひ」

『都の花』1(1) 明治 21(1888)年 10 月 金港堂書籍【雑 8-9】

193. 奇遇

ツルゲーネフ 著・二葉亭四迷 訳 『片恋』 春陽堂 明治 29(1896)年【74-9】

194. 罪と罰 : 小説

ドストイエフスキー 著・内田魯庵 訳 内田老鶴圃 明治 25(1892)年【68-355】

195. 夜と朝

リットン 著・益田克徳 訳・若林玵蔵 記 博文館 明治 26(1893)年【44-114】

196. Night and morning

Edward Bulwer Lytton Routledge 1897【111-103】

197. 小公子

バアネット 著・若松賤子(岩本嘉志子) 訳 明治24(1891)年【特 28-634】

198. Little Lord Fauntleroy

Frances Hodgson Burnett Charles Scribner's Sons 1886【54-44】

199. 調高矣洋絃一曲

森鴎外(林太郎) 訳 『水沫集』 春陽堂 明治 25(1892)年【28-126】

200. L'alcade de Zalaméa

Pedro Calderón de la Barca Théâtre de Calderon Charpentier 1869【81-268】

201 即興詩人

ハンス・クリスチアン・アンデルセン 作・森林太郎 訳 春陽堂 明治 35(1902)年【KS496-9】

202. The improvisatore. Translated from the Danish by Mary Howitt

Hans Christian Andersen Houghton, Mifflin [18--?]【189-32】

203 法庭の美人

フレデリキ・ジョン・フルガス 著・黒岩涙香 訳述 小説館ほか 明治 22(1889)年【特 13-596】

204. 鉄仮面 : 正史実歴

ボアスゴベ 著・黒岩涙香 訳 扶桑堂 明治 26(1893)年【特 9-901】

205. 巌窟王 : 史外史伝

ヂュマ 著・黒岩涙香 訳 扶桑堂 明治 38(1905)・39(1906)年【99-105】

206. 噫無情

ユゴー 著・黒岩涙香 訳 扶桑堂 明治 39(1906)年【26-371】

207. Les misérables

Victor Hugo Société d'éditions littéraires et artistiques 1862【KR158-2】


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