江戸期の文学

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1.道中膝栗毛

東海道中膝栗毛第1冊表紙 東海道中膝栗毛 帝国図書館時代に付された表紙

東海道中膝栗毛序文 東海道中膝栗毛第2冊 五右衛門風呂の挿絵

※左上から右に第1冊表紙、帝国図書館時代に付された表紙、序文、第2冊五右衛門風呂の挿絵

江戸時代・化政文化期の滑稽本の代表的な作家である十返舎一九(1765-1831)の出世作・代表作として有名で、挿絵も十返舎一九本人の手によるものです。

本書は、弥次郎兵衛と喜多八が、江戸から京都・大坂へ東海道を旅する道中を描いた8編18冊の『東海道中膝栗毛』と、大坂から金毘羅や安芸宮島、善光寺、草津温泉を経て江戸に戻る道中を描いた12編25冊の『続膝栗毛』とで構成されています。前者が享和2(1802)年から文化6(1809)年にかけて(ただし、「発端」は文化11(1814)年に追加されたもの。)、後者が文化7(1810)年から文政5(1822)年に刊行されたので、約20年間かけて書き継がれたことになります。

なお、明治9(1876)年までに成立した『西洋道中膝栗毛』(『萬国航海西洋膝栗毛』)全30冊が刊行されている旨の広告が18冊目と41冊目の巻末にあることから、本書は元の版木を用いて明治時代に刊行されたものと推測されます。

日本史の教科書などでしばしば紹介される挿絵は、小田原の宿で五右衛門風呂の入り方を知らずに喜多八が風呂底を下駄で踏み抜いてしまうシーンです。現在では「五右衛門風呂」というと鉄釜やドラム缶のような湯船が連想されますが、実は、あれはもともと「長州風呂」と呼ばれる別のお風呂で、この挿絵のような木製の湯船が本来の五右衛門風呂と言われています。

2.柳多留

  • 『柳多留』国立国会図書館の所蔵情報へのリンク(石井佐太郎ほか 天保頃 【209-304】)(掲載画像のみ)

柳多留第1編表紙 柳多留第1編序文 柳多留 川柳

柳多留第24編表紙 柳多留第24編序文

箭内川柳肖像

※左上から右に第1編表紙、序文、川柳、第24編表紙、序文、柄井川柳肖像

※6点の高画質の画像:『柳多留』(ZIP:32.5MB)

本書は、『誹風柳多留』とも呼ばれる川柳集です。第24編には「川柳」の名称のもとになった初代柄井川柳(1718-1790)の肖像画が掲載されており、日本史の教科書等で紹介されることがあります。

そもそも川柳とは、お題となる七・七の前句に付けた五・七・五の付句が独立したもので、たとえば「ていねいな事ていねいな事」という前句に付けた「道問へば一度にうごく田植笠」という付句がその例です。

明和2(1765)年の第1編から天保11(1840)年の第167編までがあり、第1編から第24編までは、初代柄井川柳の評した句の中から優れたものを、呉陵軒可有(?-1788)などが選んで収録しています。第25編以降は、編者や時代によって収録される句に変化が見られ、時代が下ると文芸的な水準が落ちるとも評されますが、川柳文学を確立したものとして、また、江戸風俗や江戸風俗語の研究資料としても評価されています。

3.南総里見八犬伝

南総里見八犬伝表紙 南総里見八犬伝挿絵と書き込み 南総里見八犬伝第9輯巻1冒頭

里見家を舞台に、「犬」の名前を持つ八犬士の活躍を描いた物語です。執筆に29年もの歳月を費やした作品で、途中馬琴が失明してからは、息子の妻である路が馬琴の口述を代筆して完成させました。これは馬琴自筆の稿本であり、ところどころに朱で修正をしている様子も見られます。

馬琴は稿料のみで生計を立てた最初の著述家と言われ、この作品のほかにも『椿説弓張月』や『近世説美少年録』(未完のうちに死去)など数多くの作品を残しました。

関連文献

  • 十返舎一九『東海道中膝栗毛 国立国会図書館の所蔵情報へのリンク国立国会図書館の所蔵情報へのリンク』(岩波書店 1973年 【KG237-5】)
    『東海道中膝栗毛』8編18冊を翻刻したものです。
  • 伊馬春部訳『現代語訳東海道中膝栗毛 国立国会図書館の所蔵情報へのリンク国立国会図書館の所蔵情報へのリンク』(岩波書店 2014年 【KG237-L2】【KG237-L3】)
    『東海道中膝栗毛』8編18冊を現代語訳したものです。
  • 岡田甫校訂『誹風柳多留全集』国立国会図書館の所蔵情報へのリンク(新装版 三省堂 1999年 【KG276-G68】)
    第1編から第167編まで全編を翻刻したもので、全12巻です。収録された川柳を五十音順に整理した索引編も付いています。

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