太陽暦の採用
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1. 法令全書 明治5年
- 『法令全書 明治5年』
(内閣官報局 明治22(1889)年 【CZ-4-1】)(国立国会図書館デジタルコレクション)
※カラー画像は掲載画像のみ
※左上から右に中扉、目次、法令1~2ページ目、法令3ページ目
※以上4点の高画質の画像データ:『法令全書(明治5年)』[ZIP:55.1MB]
現在使用されている太陽暦(グレゴリオ暦)の採用を定めた法令である明治5年太政官布告第337号が掲載されています。これにより、旧暦明治5(1872)年12月3日を新暦明治6年1月1日とすることが定められました。
この改暦は開化政策等の趣旨で行われたものと考えられますが、日常生活に密接に関連している暦の変更を社会の隅々にまで周知し、定着させるには相当の時間が必要なはずです。しかし、この布告が公布されたのが11月9日付けですから、改暦までの猶予は1か月もありませんでした。したがって、改暦は決してスムーズに実施されたわけではなく、反対運動も起こったようです。そこで、以下では、改暦を周知する当時の努力や工夫がうかがえる資料を紹介します。
なお、この太政官布告が収録されている「法令全書」とは、明治維新後の日本の法令を月別に整理して編集した法令集です。明治18(1885)年から編纂が始まったものですが、この明治5(1872)年の巻は、明治19(1886)年以降の編纂作業で発行されたものとなります。
2.太陽暦 明治6年(村上勘兵衛)
- 『太陽暦 明治6年』
(村上勘兵衛(製本) [明治5(1872)年] 【寄別12-6-28】)(国立国会図書館デジタルコレクション)
3.太陽暦 明治6年(北畠茂兵衞)
- 『太陽暦 明治6年』
(北畠茂兵衞(製本) [明治5(1872)年] 【本別15-21】)(国立国会図書館デジタルコレクション)
太陽暦への改暦を受けて作成された暦です。当時、暦は誰でも製作や配布・販売できるわけではなく、政府の許可を受けたごく限られた者のみが、それらを独占的に行うことができました。これらの暦は、そのような許可を受けて製作・販売されたものです。いずれも表紙に四角の朱印が押印されていますが、「暦局検査之印」との表記です。
なお、この暦では、庶民の生活の便宜に配慮して、旧暦(太陰太陽暦)を併記しています。このような旧暦の併記は、明治42(1909)年まで継続されました。
ところで、上記の2点は同じものですが、巻末に記載されている「製本所」として、前者には「村上勘兵衛」と、後者には「北畠茂兵衞」と表記されています。村上勘兵衛は京都で、北畠茂兵衞は江戸・東京で、それぞれ書物出版販売業を営んでいましたので、販売された地域が異なっていたと思われます。
4.〔改暦関係資料〕
- 『〔改暦関係資料〕』
([明治5(1872)年] 【本別15-21】)(国立国会図書館デジタルコレクション)
改暦を定めた太政官布告を印刷したものです。たとえば「季候」に「あつささむさ」と振り仮名をふるなど、広く庶民にまで周知しようとした意図が垣間見られます。当時の和歌山県権令であった北島秀朝(1842-1877)名義ですので、和歌山県で作成されたものと思われます。
5.〔改暦関係資料〕(遠藤庸吾)
- 遠藤庸吾『〔改暦関係資料〕』
([明治6(1873)年] 【本別15-21】)(国立国会図書館デジタルコレクション)
※左から柱暦(草稿)、文書1ページ目、文書2ページ目
これは、改暦後に作成された柱暦です。柱暦とは、簡略化した暦である「略暦」の一種で、縦長1枚摺りのもので、柱や壁に貼って使用されました。
前述のとおり、改暦までの猶予が1か月もなかったことから、正規の暦のみでは暦が広く行き渡らず、太陽暦の普及も進まないと考えられました。そこで政府は、明治6年の暦に限っては、あらかじめ草稿を付して届け出て許可を取れば、誰でも略暦を製作・販売できるようにしました。表紙に「明治6年」とあり、文書の2ページ目に「第二月九日」とあることから、改暦後約1か月経って作成されたものと思われ、この事情に合致します。なお、文書2ページ目に「青森県権参事 那須均殿」とあることから、青森県のものだと考えられます。
なお、このような略暦は、後に暦ではなく出版物の一種とみなされて、暦としての許可を受けることなく出版できるようになりました。
6.改暦辨
- 福澤諭吉『改暦辨』
(慶應義塾 明治6(1873)年 【本別15-21】)(国立国会図書館デジタルコレクション)
太陽暦は、前出の太政官布告を読んだとしても容易に理解できなかったでしょうし、そもそも旧暦に慣れ親しんだ当時の一般庶民にとって必ずしもすぐ理解できるものではありませんでした。そこで、太陽暦についてのさまざまな解説書が刊行されました。そのような解説書の中で最も有名なのが、福澤諭吉(1834-1901)の手による『改暦辨』でした。
この『改暦辨』は、当時の滋賀県令であり、後に東京府知事に就任した松田道之(1839-1882)名義で県内の各町村に配布された旨が記載された文書が付されています。
関連文献
- 岡田芳朗『日本の暦』
(新人物往来社 1996年 【MB96-G5】)
- 岡田芳朗『明治改暦』
(大修館書店 1994年 【MB95-E17】)
- 広瀬秀雄『日本史小百科 暦』
(東京堂出版 1993年 【MB95-E13】)
- 渡辺敏夫『日本の暦』
(雄山閣 1976年 【MB95-11】)
- 福沢諭吉『福沢全集 苐三卷』
(国民図書 1925-1926年 【081.8-H826h-Z】)(国立国会図書館デジタルコレクション)
「改暦辨」を翻刻したものが、204コマ目から209コマ目までに収録されています。
関連する当館ウェブページ
- 日本法令索引〔明治前期編〕
慶応3(1867)年10月の大政奉還から明治19(1886)年2月までに制定された法令の索引情報を検索できるデータベースです。 - 電子展示会 日本の暦
「第1章 暦の歴史」に明治の改暦に関する記述があります。
関連するウェブページ
- e-Gov法令検索
(総務省)(elaws.e-gov.go.jp)
明治5年太政官布告第337号を、現在も効力を持っている法令として検索できます。 - 国立天文台 天文情報センター 暦計算室
(国立天文台)
暦に関する解説やデータを見ることができます。「こよみの基礎知識・話題」の「暦Wiki」では、暦にまつわる様々な用語を解説しています。