鉄道の誕生
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1.東京汐留鉄道舘蒸汽車待合之圖
- 立斎広重『東京汐留鉄道舘蒸汽車待合之圖』
(伊勢屋喜三郎 明治6(1873)年 【寄別7-1-2-6】)(国立国会図書館デジタルコレクション)
明治5(1872)年10月14日に開業した、新橋(汐留)と横浜(桜木町)を結ぶ日本初の鉄道を描いた錦絵で、作者の「立斎広重」は3代目歌川広重の別称です。
左上には料金表と時刻表が描かれ、「小児四才迄ハ無賃十二才迄ハ半賃金ノ事」とあり、現在と同じように子ども料金が設定されていたこともわかります。
運賃は3等級にわかれており、上等は1両2朱、中等は3分、下等は1分2朱とあります。当時は「1両=4分=16朱」だったため、上等は下等の3倍、中等は下等の2倍の運賃ということになります。一方、この錦絵が描かれる2年前の明治4(1871)年、明治政府は全国で貨幣を統一するため、新たに「1円=100銭」「1銭=10厘」という貨幣単位を定めていました。交換を容易にするために「1両=1円」とされたため、この運賃を円に直すと上等は1円12銭5厘、中等は75銭、下等は37銭5厘となります。これは、下等料金でも米10kgを購入できるほどの値段であり、鉄道運賃は高額なものだったことがわかります。
なお、開業日である10月14日は、1922年に鉄道記念日に制定され、1994年に「鉄道の日」に改称された現在でも、全国の鉄道会社が多くのイベントを開催しています。
2.新橋ステンシヨン蒸気車鉄道圖
- 廣重『新橋ステンシヨン蒸気車鉄道圖(東京名所之内)』
(萬屋孫兵衛 [18--]年 【寄別7-2-2-1】)(国立国会図書館デジタルコレクション)
こちらは「東京汐留鉄道舘蒸汽車待合之圖」の構図とはおそらく反対、駅の外側から、貨車や貨物も描いた作品です。
汽車の先頭車両には「ヒロシゲ」と読める黄色いマークが描かれており、作者である広重の遊び心がうかがえます。残念ながら当館所蔵分では「シゲ」がやや読みにくいのですが、慶應義塾大学が所蔵し、慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクションで公開されている同資料では鮮明に「ヒロシゲ」と読むことができます。
なお、貨物を運ぶ丸通マークの服装の人物が描かれていますが、彼らは現在の日本通運株式会社へとつながる内国通運会社という貨物輸送業者と思われます。
3.高輪の海岸
- 広重『高輪の海岸(東京名所図会)』
(いせ喜 [18--]年 【寄別7-1-2-3】)(国立国会図書館デジタルコレクション)
新橋~横浜間の全線約30kmのうち一部は海上路線となり、田町から品川までの約2.7kmの区間は、沖合に堤防を築いてその上に線路を敷く方法が採られました(高輪築堤)。これは、高輪付近には薩摩藩邸や海軍用地があることから、西郷隆盛らの反対を受けて、兵部省が用地の測量や引渡しを拒んだことにより採られた方法と言われています。
この地域は明治から昭和にかけて埋め立てが進み、正確な位置は長らく不明のままでしたが、平成31(2019)年以降、JR東日本による品川駅改良工事や、高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発工事の中で当時の築堤の一部が発見されました。わが国最初の鉄道構造物、そして世界史上稀に見る19世紀の海上鉄道構造物として、研究者を中心にその歴史的価値が非常に高く評価されています。
関連文献
- 日本国有鉄道『日本国有鉄道百年史 通史』
(日本国有鉄道 1974年 【DK53-5】)
- 鉄道省『日本鉄道史』
(清文堂出版 1972年 【DK53-56】)
大正10(1921)年に鉄道省が発行したものを復刻したものです。 - 森永卓郎監修『物価の文化史事典:明治・大正・昭和・平成』
(展望社 2008年 【D2-J74】)
関連するウェブページ
- 「鉄道の日」について
(国土交通省)
- 旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
(東日本鉄道文化財団)
- 東京名所之内新橋ステンシヨン蒸汽車鉄道図
(物流博物館)
- 東京名所之内新橋ステイション蒸気車鉄道図
(慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクション)
- 高輪築堤遺跡
(港区)