明治の経済人

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1.岩崎弥太郎書簡 渡辺国武宛

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三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎による書簡です。

岩崎弥太郎は、安政6(1859)年に高知藩に職を得、藩の長崎貿易等に従事しました。明治維新後は明治4(1871)年の廃藩置県に前後して藩の汽船運輸事業を引き継いで九十九商会をおこし、後に社名を三菱商会、郵便汽船三菱会社へと変更しました。上の書簡も汽船に関するものです。弥太郎はその後、鉱山・造船・金融・貿易など海運以外の事業にも進出を試みました。

書簡の宛先の渡辺国武(小池国武)は、明治時代の官僚・政治家で、高知県令や大蔵大臣などを歴任しました。

2.安田善次郎伝

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※「今日一日之事」掲載部分

安田財閥の創始者である安田善次郎の伝記です。安田善次郎は、元治元(1864)年に両替店を開業し、明治維新後も金融業者として活躍しました。明治13(1880)年に安田銀行を開業し、明治15(1882)年には創設された日本銀行の理事に就任しました。明治26(1893)年には帝国会場保険を設立するなど、保険業にも進出しました。

上に掲げた「今日一日之事」は、本人が残した処世訓の一つです。善次郎は、書、画、狂歌、謡、茶道等の多方面にわたる趣味でも知られていました。

伝記の著者の矢野文雄は、矢野竜渓とも称し、明治~昭和にジャーナリストや政治家として活躍しました。生前の善次郎と親交がありました。

3.論語と算盤

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明治~大正の指導的大実業家である渋沢栄一の著作です。渋沢栄一は、元治元(1864)年に一橋家の家臣となり、慶應3(1867)年にはパリ万国博覧会に出席する徳川昭武に随行しました。明治維新後は新政府に出仕しましたが、明治6(1873)年に退官し、実業界に転じました。

栄一は明治6(1873)年に第一国立銀行の総監役になり、次いで頭取を務めました。その後は他の銀行の設立を援助し、明治6(1873)年の抄紙会社(王子製紙会社)、明治12(1879)年の大阪紡績会社など、他の多数の会社の設立にも関与しました。大正5(1916)年の実業界引退後は、社会公共事業に尽力しました。

栄一は『論語』を徳育の規範とし、「道徳経済合一説」を唱えました。『論語と算盤』は、「道徳経済合一説」を出版物としてまとめたもので、本書は、大正5(1916)年に東亜堂書房から出版されたもの(当館未所蔵)に若干の改訂を施したものです。

4.東京築地舶来ぜんまい大仕かけきぬ糸を取る図

東京築地舶来ぜんまい大仕かけきぬ糸を取る図1.jpg東京築地舶来ぜんまい大仕かけきぬ糸を取る図2.jpg東京築地舶来ぜんまい大仕かけきぬ糸を取る図3.jpg

『東京築地舶来ぜんまい大仕かけきぬ糸を取る図』は、築地製糸場の様子を描いた錦絵です。築地製糸場は明治4(1871)年に小野組の製糸所として設立されたもので、古河市兵衛が支配人として経営していました。

古河市兵衛は、後に独立し、明治10(1877)年に取得した足尾銅山などの銅山を中心とした鉱山経営を行って古河財閥の基礎を築きました。

絵の作者の孟斎芳虎は、江戸時代後期~明治初期に活動した錦絵絵師で、歌川芳虎と号していた時期もあります。

5.父の抱負

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浅野財閥の創始者である浅野総一郎の講演等を、総一郎の名を継いだ長男泰治郎がまとめたものです。

浅野総一郎は、明治6(1873)年に薪炭・石炭販売店を開きました。明治8(1875)年ごろ、総一郎は横浜瓦斯局で廃棄されるコークスに着目し、払い下げを受けて工部省深川工作分局のセメント工場へ燃料として売り込みました。明治16(1883)年には、石炭の販売を通じて知遇を得た渋沢栄一のあっせんで深川セメント工場を借り受け、翌年には払い下げを受けました。その後総一郎のセメント事業は急速に発展しました。

総一郎は明治16(1883)年に磐城炭鉱を、明治29(1896)年に東洋汽船を設立するなど他の産業部門にも進出しました。明治45(1912)年には渋沢栄一・安田善次郎らの協力を得て京浜間の埋め立て事業に着手しました。埋め立て地には関係企業の工場が相次いで設立され、現在の京浜工業地帯の一部となっています。

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