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第11回本の万華鏡 はやり病あれこれ 第3章

2012年11月21日
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第3章 虎狼痢(コロリ)/コレラ

コレラ菌(画像提供:国立感染症研究所)

これらきん

  コレラは古くから世界で流行を繰り返している病気で、日本でも江戸時代以降、何度も流行しています。かつて日本では「虎列刺」などの当て字の他、激しい下痢や嘔吐といった症状から「鉄砲」「見急」、また死に至るまでの早さから「虎狼痢(コロリ)」などとも呼ばれました。予防の啓発が進んだため国内での感染は少なくなりましたが、7回目の世界的流行は今も続いており、現在でも各地でコレラが発生しています。

 

日本でのコレラの治療 

  安政5(1858)年、日本は2回目のコレラ流行上陸にみまわれました。5月に長崎に入港した米国船から発生したコレラは長崎、広島、大阪と伝染していき、7月には江戸へ侵入しました。そのような混乱の中、医師である緒方洪庵はコレラに関する外国人医師の書物を翻訳し、一冊の本にまとめました。

1) 虎狼痢治準 / 緒方洪庵訳 (病学通論 : 3巻 / [19--] 複製W415-34】 [国立国会図書館デジタルコレクション])

 

ころりちじゅん

  『虎狼痢治準』は、当時コレラについてオランダ軍医ポンぺが口授した内容を筆記し、さらにモスト、カンスタット、コンラジという3人の医師が書いたコレラについての書物を訳しまとめられたものです。洪庵自身の経験則も交えながら、症状や治療法が詳しく解説されています。コレラ流行の真っ最中に、他の医師たちに配布してコレラ対策に役立ててもらうことを目的としていたため、編集期間はわずか4~5日という短さだったそうです。 

 

2) 虎列刺豫防諭解 / 内務省社寺局・衞生局編  東京 : 内務省社寺局, 1880.6 Y994-J12188

 

  前年の1879年にコレラが流行し、感染者約16万人、死者約10万人を出したことを受け、コレラ予防及び征伏を目的として内務省が刊行した冊子です。コレラが伝染する原因として(1)空気、(2)水、(3)飲食物、(4)他人との交通、の4点を挙げ、それぞれ注意すべき点が述べられています。井戸は便所と離して作ること、濁った水や傷んだ食物は口にしないこと、暑い時期には生ものを避けること、コレラ流行の時期は新鮮なものであっても食べすぎないように注意することなどが書かれています。


コレラと食物

  コレラ菌は、1884年にドイツの細菌学者ロベルト・コッホによって発見されました。しかし、それ以前から、生ものや水などによって感染するということは経験上わかっていたようです。コレラは数ある感染症の中でも特に飲食と関係が深い病気といえます。

3) 青物魚軍勢大合戦 / 広景画  辻岡屋, 安政6(1859) 【寄別2-5-1-1[国立国会図書館デジタルコレクション]

 

アオモノサカナグンゼイオオカッセンノズ

 

  安政6(1859)年10月、歌川広景によるものです。人間以外のものを擬人化させて戦わせるという構図は「異類合戦物」といい、錦絵の人気ジャンルのひとつとして室町時代から現れはじめました。青物と魚類が戦うこの図の主題にはいくつかの説がありますが、そのうちの一つに、安政のコレラ流行を受けて描かれたというものがあります。コレラに罹りにくい野菜類とコレラに罹りやすい魚介類を戦わせ、青物が勝利するという構図になっています。この絵が描かれた前年はコレラが流行し、江戸では生もの、特に魚が全く売れず、野菜類は逆に高騰しました。

 

  治療法が確立していなかった時代、さまざまな民間療法や加持祈祷が行われました。
  幕末にはコルクを焼いて粉にしたものを飲むとコレラに効くということが民間薬法として新聞に取り上げられ、また、コレラの原因を瘴気と考えていたり、疫病退散のために鐘や太鼓をたたいたり狼煙をあげて疫病神を追い出そうとしたりなどもしていたようです。
  明治時代にはラムネがコレラ予防や症状緩和に効くという話が広まりました。生水よりも炭酸入りの飲料が安全だということで、ラムネの人気が上昇したようです。

4) 業界回顧史 / 東京飲料清涼水同業組合編  東京 : 東京清涼飲料水同業組合, 1935  【特220-525】

 

  清涼飲料業界の歴史について書かれた資料です。ラムネ製造業者の辻新太郎氏によると、1886年はラムネ屋にとっては忘れられない年であるということです。猛暑だったこの年の夏は通常よりもラムネがよく売れていたのですが、東京付近でコレラが流行し、『東京横浜毎日新聞』に「ガスを含有している飲料を用いると、恐るべきコレラ病に犯されることがない」という記事が掲載されたため、ラムネの売れ行きが一層盛んになって品薄になったということが書かれています。


  昭和に入ってからも、コレラは何度か日本に被害をもたらしています。
  1962年、台湾でのコレラ流行を受け、厚生省は台湾からのバナナ輸入を禁止しました。当時、バナナと言えば台湾産が主流でした。

5) 台湾バナナ 当分の間、輸入禁止 (朝日新聞 1962.8.1朝刊 p.11 YB-2】)

 

  台湾のコレラが日本に侵入する危険が高まったため、台湾からのバナナを当面の間輸入禁止にし、入荷途中のバナナについても廃棄処分という緊急措置が取られたと書かれています。日本バナナ輸入団体協議会長の談話も載っており、「業界としてもコレラの発生を心配していたのでむしろほっとした」とあります。台湾産バナナの輸入禁止は、コレラ流行が収まる同年11月まで続きました。

 

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