電子展示会 本の万華鏡

第11回本の万華鏡 はやり病あれこれ 第4章

2012年11月21日
リサーチ・ナビ本の万華鏡第11回 はやり病あれこれ>第4章

第4章 労咳(ろうがい)/肺結核 

 

結核菌(画像提供:国立感染症研究所)

けっかくきん

  結核は結核菌による感染症で、主に空気感染します。結核菌は体中に病巣を作りますが、特に多いのが肺結核で、近代日本で大流行し猛威をふるいました。結核菌が発見されたのは1882年ですが、1944年にストレプトマイシンが発見されるまで、本当に有効といえる治療法はありませんでした。近年では予防法や治療法が発達したことにより、以前に比べれば結核患者は著しく減りました。しかし現在でも度々発症が報告されており、未だ注意が必要な病気といえます。 

 

国民病としての実態

  結核は古くからある病気で、『源氏物語』や『枕草子』などにも結核と思われる病状の描写があります。しかし、結核が大きく問題となり「国民病」とまで呼ばれるようになったのは明治以降のことでした。紡績産業が発達し、農村から集められた女性労働者(女工)は、不衛生な環境と過酷な労働により結核を発病することが多かったといいます。また、働けなくなり郷里に戻った女工が周りの人々に結核を感染させてしまうなど、これまで結核が存在しなかった地域に結核を蔓延させる一因となりました。

1) 衛生学上ヨリ見タル女工之現況 / 石原修著  東京 : 國家醫學会, 1913 EL187-G165

(表)疾患帰郷志望者及其ノ死因比較(女)

 

しいんとそのわりあい

  著者である石原修は、農商務省の嘱託職員として各地の鉱工業衛生調査を担当していました。従来は事業主に依頼していた調査ですが、石原は自分の足で全国を回り、これまで明らかになっていなかった女工の健康問題の実態について記録し発表しました。巻末には「女工と結核」と題して1913年に行った講演の記録も付されています。過酷な労働に加え、一組の寝具を何人もの女工がかわるがわる使うことや、狭い部屋で足を伸ばして寝ることも難しい環境の中、十分に休養できないことなどが結核の蔓延の一因であると述べられています。また、帰郷してから死亡した女工の約7割が結核、または結核の疑いのある疾患が原因であるとのことです。

 

  1890年、コッホが結核の治療薬としてツベルクリンを発表しました。しかしツベルクリンは副作用も強く、また結核菌自体を弱らせるものではなく、治療薬としては失敗に終わりました。結核に有効な最初の治療法であるストレプトマイシンが発見されたのは1944年で、それまでは患者を隔離して大気療法や栄養療法を行うという対症療法が主な対策でした。
   また、現在予防接種に使われているBCGワクチンは、1921年にパリで投与されたのが始まりです。日本では1924年に初めて菌株が持ち込まれました。

 2) 絶対的結核予防法 / 有馬頼吉著  東京 : 社会教育協会, 1936 (社会教育パンフレット 第239輯) 【275.6-29】

 

  著者は、従来の隔離予防では結核を根絶することはできないと訴えています。結核菌に感染した人には、急性の結核・慢性の結核・結核免疫の三種類があると述べ、「一旦結核免疫となりたる身体は、その後は如何に強力なる結核菌に遭遇するとも、これに感染し若くは発病することは滅多にない」としています。そして、結核免疫の身体を作るために予防接種を推奨しています。

 

結核と文学

  結核に感染した著名人も多く、また他の感染症に比べて病気の進行が遅いことから、結核体験記や結核を題材にした文学などが数多く生まれています。

3) 不如帰 / 徳富蘆花著 29版  東京 : 民友社, 1903 【96-86】 [国立国会図書館デジタルコレクション]

 

黒田清輝による挿絵

ほととぎす

  明治31(1898)年に『国民新聞』に連載し、後に一冊にまとめて出版されました。主人公浪子のモデルとなった人(大山信子)の知人から話を聞き、それをもとに書かれた小説です。継母の愛情を十分受けることができずに育った浪子が、結婚することで幸せをつかんだと思ったのもつかの間、結核のために離縁され、死に至るまでを描いた物語は、明治42(1909)年には100版が刊行されるほどの人気を博しました。悲恋のストーリーとも相まって、結核という病気にロマンチックなイメージを与える大きな要因となりました。この小説が発表された当時はすでに結核菌は発見されていましたが、小説の中で結核は伝染病とも遺伝病とも捉えられており、当時の人々の結核に対する認識が窺えます。


4)
風立ちぬ / 堀辰雄著  (堀辰雄作品集 3  東京 : 角川書店, 昭和21-23 【F13-H87-2ウ】 [国立国会図書館デジタルコレクション])

 

  主人公が、重い結核にかかった恋人に付き添って行った高原のサナトリウムがこの小説の主な舞台です。迫りくる死の影におびえながらも、残された時間を共に分かち合い過ごす日々が描かれています。作者の堀辰雄は自身も結核に侵されていました。より病状の重い婚約者に付き添って信州のサナトリウムに滞在した経験がもとになっています。当時はまだ治療薬は存在せず、大気療法、安静療法、栄養療法などが主な治療方法でした。

 

  このような人気文学の影響もあってか、結核はロマンチックに美化されていた部分もありますが、実際には辛い闘病生活を強いられるものでした。

5) 病牀六尺 / 正岡子規【WB12-42】 [国立国会図書館デジタルコレクション]

 

正岡子規肖像
(電子展示会「近代日本人の肖像」より)

 

まさおかしき

  1902年5月5日から、死の2日前の9月17日まで、新聞『日本』で連載された正岡子規の随筆です。この資料は新聞を切抜貼付して子規自身が持っていたもので、直筆の書き込みなども見られます。正岡子規は長年結核を患っており、喀血した自分を、血を吐くまで鳴き続けると言われるホトトギスになぞらえて、子規という号を用いていました。晩年には結核菌が脊椎を冒して脊椎カリエスを発症し、やがて背中や臀部に大きな穴が空き膿が流れ出るようになりました。起き上がることもできない状態でも、子規は俳句や短歌、随筆を書き続けていました。『病牀六尺』には文学論や絵画論など病気とは関係のない話題が多く書かれていますが、中には子規の病苦の激しさを見てとることができる文章もあります。

 

 

第11回扉ページ | 第1章 | 第2章 | 第3章 | 第4章 | 第5章 | 第6章

 

  • 国立国会図書館
  • NDL-OPAC 国立国会図書館蔵書検索・申込システム
  • 国立国会図書館サーチ
  • 国立国会図書館デジタルコレクション
  • ひなぎく
  • レファレンス協同データベース
  • 本の万華鏡