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第11回本の万華鏡 はやり病あれこれ 第5章

2012年11月21日
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第5章 瘧(おこり)/マラリア

三日熱マラリア原虫
(国立感染症研究所ホームページより)

三日熱マラリア原虫

  マラリアは、熱帯熱マラリア原虫、三日熱マラリア原虫、卵形マラリア原虫、四日熱マラリア原虫という4種のマラリア原虫によって引き起こされる病気です。マラリア原虫はハマダラカによって媒介され、人から人へと感染します。マラリアの症状の特徴は、規則的な間隔で発熱の発作が起こることです。マラリア原虫に対するワクチンはありませんが、キニーネ、クロロキンなどの治療薬が存在します。
  現在、日本国内でマラリアに感染する機会はほぼないと言ってよいでしょう。ただし、WHOの推計によれば、2010年に全世界では約2億1600万人が新たにマラリアを発症し、約65万5千人が死亡しており、強い感染力を持った感染症であり続けています。マラリアが蔓延している地域に行き、そこでマラリアに罹患した人が国内にマラリアを持ち帰る、輸入感染症と呼ばれる問題は他人事ではありません。

 

日本古典文学の中のマラリア

  現代の日本においては、マラリアはさほど身近な病気ではありません。しかし古典文学の世界では、瘧はしばしば現れます。

1) [北山の聖のもとへ赴く光源氏] ([源氏物語 3] / [寛文頃] 【856-9】 [国立国会図書館デジタルコレクション])

 

源氏物語挿絵

  『源氏物語』第5帖「若紫」は、源氏が「わらはやみにわづらひたまひて」北山の聖のもとに平癒祈願にいくところから始まっています。そこで源氏がかかったとされる「わらはやみ」は、瘧の別名です。

2) 平清盛炎焼病之図 / 月岡芳年 : 秋山武右衛門, 1883 【本別15-22】 [国立国会図書館デジタルコレクション]

熱に苦しむ清盛

  平家物語で記される平清盛の最期も、「身の内の熱き事、火を焚くが如し」と熱さに苦しむ様が描写されています。病名がはっきり記されているわけではありませんが、この病状から、清盛もまた瘧にかかったと考えられています。

 

第二次世界大戦とマラリア

  明治から昭和初期にかけて、国内においてもマラリアが流行することはありましたが、昭和10年までに沖縄や滋賀(特に湖東の湿地帯が多い地域)など一部の地域を除き、流行状況は見られなくなります。その後、第二次世界大戦後に東南アジア等から復員した兵士により、再びマラリアの脅威にさらされることになりました。

3) 俘虜記 / 大岡昇平著  東京 : 創元社, 1949 【a913-1237】

  作者自身の体験を基にした、第二次世界大戦に従軍した兵士を主人公とする小説です。フィリピンのミンドロ島に移動した部隊に、マラリアが襲いかかります。小説の主人公もマラリアに罹り、隊から離れ、単身米兵と茂み越しに直面する事態に陥ります。

 

4) 再発マラリヤの予後及び治療 / 小田俊郎著  東京 : 日本医書出版, 1947 【493.88-O219s】

5) 戦後マラリアの流行学的研究 / 大鶴正満 (日本医事新報 1470号 1952.6 p.2109-2113 【Z19-212】)

資料5より

マラリア患者数の変遷

  第二次世界大戦後、多くのマラリア罹患者が国内に引揚者として帰って来ました。資料4は、引揚者自身が罹っているマラリアへの対処法について記されたものです。この本が出版された1947年には、このような内容の図書への需要があったということでしょう。一方、資料5は1952年に、当時までの引揚者由来のマラリアの流行状況について回顧したものです。結果的には「戦時中からあれほど心配されていた莫大な外地帰還者のもたらす輸入マラリアは、終戦後五年もたたない中に全く影をひそめてしまった」と述べられているように、早い時点で引揚者由来のマラリアは終息に向かったようです。

 

八重山におけるマラリアとの戦い

  沖縄の特に八重山諸島においては、現地で「フーキ」と呼ばれたマラリアが長きにわたり猛威をふるいました。明治以来、八重山のマラリアに対する調査や、マラリア撲滅に向けた取り組みが行われましたが、根絶には至りませんでした。戦時中には、沖縄戦に備えて住民が軍命で山岳地帯に避難し、非衛生的な環境におかれ雑居状態で過ごしたため、新たに大量のマラリア罹患者が出て、これは「戦争マラリア」と呼ばれています。戦後の米軍統治下において、アメリカ406医学総合研究所のウィラー博士の指導のもと、DDT屋内残留噴霧を行ったことで、1960年代に八重山の土着マラリアは根絶されます。

6) 八重山群島風土病研究調査報告 / 三浦守治, 三角恂 (官報 第3556号-第3574号 1895年5月10日-1895年5月31日 【YC-1】[国立国会図書館デジタルコレクション])

  明治27年、帝国大学医科大学教授の三浦守治は、文部省の命をうけて、助手の三角恂とともに八重山の風土病調査を行いました。明治政府が行った、始めての本格的な調査でした。その時の調査報告が翌1895年5月の官報に掲載されました。風土病感染者の統計や病状についての報告や予防策の案などが記されています。その報告は、官報だけでなく多くの医学雑誌に掲載されるとともに、同年7月に医科大学病理学教室から『八重山群島風土病研究調査報告』(1895 【40-195】[国立国会図書館デジタルコレクション])として出版されてもいます。また、この時点では「本項ニ就キテハ他日更ニ報告スヘシ」とされていた病原については、同年11月の『官報』第3706号で追加報告がなされています。

 

7) 八重山のマラリア撲滅 : 随筆あの日あの頃 / 大浜信賢著  石垣 : 大浜信賢, 1968 【US41-283】

  戦後沖縄の八重山民政府衛生部長となり、マラリア撲滅を推進した大浜信賢の著した回想記です。マラリアの歴史や八重山におけるマラリア研究の歴史について述べた文章や講演録、マラリア撲滅機構の実績を記すもの、と内容は多岐にわたります。実際にマラリア撲滅に尽力した人物の記録として興味深いものがあります。また、定価が1.7ドルと記されており、出版年の1968年時点において、いまだ沖縄が本土復帰していないということを意識させられます。

 

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