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第121回常設展示 コン・ティキ号の冒険

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第121回常設展示 コン・ティキ号の冒険

キーワード:マルケサス諸島;コンティキ号;トール・ヘイエルダール;筏  カテゴリ:歴史・地理・哲学・宗教 件名(NDLSH):南太平洋--紀行;Heyerdahl,Thor  分類(NDC):299.3

 

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平成14年8月1日(木)~9月30日(月)

 

人類は太古の昔から、海を越え、山を越え、未知なるものを求め続けてきました。
1940年代、すでにさまざまな移動手段が発達したその時代に、自らの学説を証明するため、あえて木の筏で太平洋に漕ぎ出した一人の学者がいます。
その名もトール・ヘイエルダール。
筏の名はコン・ティキ号。
—南太平洋の島々に住む人々は、ペルーから海流に乗り、小さな筏でやってきた—
果たして彼の学説は、正しかったのでしょうか。そして彼の冒険が、世界中の人々にもたらしたものは、何だったのでしょうか。
今回の展示では、その冒険を資料によって追体験してゆきます。

トール・ヘイエルダール略年譜
1914.10 
ノルウェーのラルビクに生まれる。
1933 オスロ大学に入学。動物学を専攻。自然な暮らしに憧れる。
1937 タヒチ、そしてファツ・ヒヴァで、原住民たちと生活。島の伝説の英雄ティキの起源に興味を持ち、人類学に転向
1938 ノルウェーに帰国。島での生活を描いた『ファツ・ヒバ 楽園を求めて』を出版。
1939 北米と南洋の文化の類似性に惹かれ、カナダへ。
1940 ノルウェーにドイツが侵攻。帰国が難しくなり、失職。カナダで苦しい生活を送る。
1945.5 ドイツ降伏。
1947.4 コン・ティキ号でペルーを出発
1947.8 マルケサス諸島に到着
1947.9 サンフランシスコ入港
1948 『コンティキ号探検記』を出版。
1949 スウェーデン語に翻訳されたのち、大ヒット。各国で翻訳される。
1952 『太平洋のアメリカ・インディアン』を発表。国際アメリカ学会議で、自説を講演。
1957 ノルウェーのオスロに博物館が開館。
1961 太平洋学術会議で、太平洋諸島に住民と文化を供給した主な源泉地域は、東南アジアと南アメリカであるという説が支持される。
1964 スウェーデン人類学地理学協会から金メダルを授与される。
…… 大西洋、モルディブ諸島、イースター島など様々な場所を探検し、著作を発表。
2002.4 イタリアにて亡くなる。


展示資料一覧

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【 】の前に*印あるものは国際子ども図書館所蔵資料です。

航海前夜

「老人は答えて、太陽の昇る水平線のほう、つまり南米以外には陸地のない方角に向かって顎をしゃくった。」

(「ファツ・ヒバ」 ヘイエルダール著 社会思想社 1976 p180)

南太平洋の古代文明を研究していたヘイエルダールは、その石像や植物相から、南米にルーツがあるのではないかと考えるようになりました。当時、そうした学説はすでにありましたが、主流ではなく、どのように文化が伝播したのかという手段も問題になっていました。そのためヘイエルダールは、南米から南太平洋への航海が可能であることを証明するため、自ら、筏の旅を計画しました。

1)南太平洋・南米の石造美術
木村重信〔ほか〕著  大阪大学  1989.2
【GJ44-E1】
2)略奪された文明
ニュートンプレス  1999.6
【GH314-H5】
3)巨石人像を追って 南太平洋調査の旅
木村重信著  NHKブックス  1986.12
【GJ44-4】
4)南太平洋のロマン ポリネシア伝説と民謡
早津敏彦著  白馬出版  1971
【G189-12】
5)ペル−
地球の歩き方編集室  ダイヤモンド・ビッグ社  2000
【Y77−G5736】
6)ファツ・ヒバ 楽園を求めて 下
T.ヘイエルダール著 山田晃訳  社会思想社  1976
【GJ136-7】
筏作り

「長くぎやくぎや針金は一本も使わなかった。九本の大きな丸太は、しっかりしばりつけられる前に、全部自由に転がって自然に浮かぶ位置をとるように、はじめは水の中へ並べて放置された」

(「コン・ティキ号探検記」T.ヘイエルダール著 筑摩書房 1996.8 p92)

ヘイエルダールは、仲間集めと資金集めに奔走し、準備を整えると、今度は自ら、南米に渡って、バルサ材を調達し、筏作りを始めました。

7)ガラパゴス諸島 「進化論」のふるさと
伊藤秀三著  中央公論社  1983.4
【RA172-3】
ヘイエルダールは、バルサ材を調達する為、自らペルーに渡り、ジャングルに入りました。
1947年2月1日のNew York Timesには「ヘイエルダールというノルウェーの人類学者が、ポリネシア島の祖先は南米の古代インカの白人であるという理論を証明するため、コン・ティキ号というバルサ材の筏で、太平洋を横断しようとしている」という記事が掲載されています。その記事には、この時点ですでに、ジャングルでのバルサ材選びが終わっており、丸太を川に流して港まで運ぶ途上にあること、4ヶ月後にはタヒチに到着する予定であることなども書かれています。
8)コンチキ号漂流記
ハイエルダール著 白木茂訳 小野田俊等絵  講談社  昭和41年
*【Y14-15-[5]】
9)コンチキ号漂流記
ハイエルダール著 池田宣政訳 依光隆絵  あかね書房  昭和36年
* 【児080-Sy957-[3]】
10)海洋の人類誌
トール・ヘイエルダール著 国分直一 木村伸義訳  法政大学出版局  1990.10
【GA39-E5】
11)コンティキ号漂流記
トール・ヘイエルダール著 水口志計夫訳  月曜書房  1951
【949.6-cH61k-M】
1947年4月29日のNew York Timesに、コン・ティキ号出航の様子が掲載されました。
彼らは、28日午後、ペルー海軍の牽引船に牽かれ、カヤオの港の湾外に出ました。記事によると、筏は、長さ50フィート(約15メートル)幅20フィート(約6メートル)で、太平洋のほぼ真中にあるマルケサス諸島まで、およそ4000マイル(約6400キロメートル)を横断する予定でした。出発に際して、多くの人々が見送りに出たようです。
さらに記事には、この冒険がヘイエルダールの学説を証明するために行われること、そのため、筏は古代インカの手法に忠実にバルサ材と竹とロープで作られていること、筏はまず北向きの海流に乗り、途中で西向きの海流に合流するはずであること、マルケサス諸島には、5〜6週間後、8月半ばに到着する予定であること、筏の名前が太陽の神を意味することなどを述べ、併せて冒険のメンバーである六人の略歴を載せるなど、かなり大きな記事になっています。
当時は第二次世界大戦の直後だったため、記事には戦争への言及も多く、この冒険でも海洋データを収集することなどが期待されていたようです。
出発—航海—上陸

「朝起きたときの炊事当番の最初の務めは、甲板の上に出ていって、夜の間に筏の上に落ちたトビウオを全部集めることだった。」

(「コン・ティキ号探検記」T.ヘイエルダール著 筑摩書房 1996.8 p129)

1947年4月28日、ヘイエルダール達は、いよいよペルーを出発しました。
南太平洋へと流れる潮流に乗り、順調な航海を続けたようです。途中で魚を捕まえて食べたり、今まで見たこともないような生き物と慣れ親しんだり、楽しい航海の様子が「コン・ティキ号探検記」に記されています。その様子は、アメリカの新聞New York Timesにも、随時、リポートされていました。
そして、出発からおよそ100日後の8月7日、予定通りに島に到着することが出来ました。

12)Grand atlas 東南アジア・南太平洋
Grand atlas編纂委員会  東陽出版  1975
【YP7-59】
13)神秘の島ガラパゴス
八杉龍一訳・解説  小学館  1983.10
【RA172-4】
14)コン・ティキ号探検記
ハイエルダール著 水口志計夫訳  筑摩書房  1978.2
【GA91-19】
15)コン・ティキ号探検記 筏による南海横断
ハイエルダール著 水口志計夫訳  筑摩書房  1964
【949.6-cH61k-Mt(s)】
16)コンティキ号探検記
ハイヤダール著 水口志計夫訳  筑摩書房  1956
【949.6-cH61k-Mt】
1947年8月12日のNew York Timesに、コン・ティキ号到着の記事が掲載されました。その記事には、6人が前週の木曜日に上陸していたこと、上陸後、連絡をとるために無線機を設置し、やっと連絡が出来たこと、彼らの無線がロサンゼルスの二人のアマチュア無線家によって受信されたこと、ヘイエルダールのコメントなどが載っていました。
彼らの辿りついたツアモツ群島には多くの暗礁があり、非常に危険な場所だったため、筏は到着時に座礁し、ひどく破損しました。しかし、メンバーに大した怪我はなかったようです。記事によれば、全員元気で、背の高い椰子の木の下でキャンプをし、ノルウェーの国旗とニューヨーク冒険者クラブの旗を掲げたとあります。
17)南太平洋
藤森秀郎著  小学館  1977.7
【GJ91-2】
18)秘境マルケサス諸島
佐藤秀明写真 篠遠喜彦文  平凡社  1996.4
【GJ136-G2】
19)図説探検の世界史 14 太平洋の航跡
ジョン・ギルバ−ト著 日下実男訳  集英社  1976
【GA39-11】
冒険を終えて

「財政の見とおしは決して明るくない。唯一の望みは、この年の夏彼が書いた本が年内に出版されて好評を受けることだけだった。それはオスロのユルデンダール・ノールスク出版社から発行されるはずで、題名は『コンティキ号漂流記』になる予定だった。」

(「キャプテン・コンティキ」アルノルド・ヤコービー著
木村忠雄訳 社会思想社 1976 p81)

冒険から戻ったヘイエルダールは、この冒険に費やした借金を返済するため、各地で講演会を行い、「コン・ティキ号の冒険」を執筆しました。学者らしからぬ緩急に富んだこの冒険物語は、世界中で大ヒットし、多くの国で翻訳され、人々に愛読されました。
この大ヒットを受けて、ヘイエルダールの伝記を初め多くの関連書籍が発行され、記録映画が公開され、ノルウェーにはコン・ティキ博物館も開館しました。今でもノルウェーの観光地として多くの人々が訪れています。

20)Kon-Tiki and I
Hesselberg, Erik  Allen & Unwin  1950
【KS516-A7】
21)コン・チキ号とわたし
エリク・ヘッセルベルグ絵・文 松下裕訳  文化出版局  1980.5
*【Y2-437】
22)The Kon-Tiki expedition by raft across the south seas
Heyerdahl, Thor.   George Allen & Unwin  1950
【GA95-A2】
23)コンチキ号の漂流
柴野民三文 横内襄絵  岩崎書店  1977.2
* 【Y2-314】
24)コン・ティキ号探検記
ヘイエルダール著 水口志計夫訳  筑摩書房  1969
【GA95-10】
25)世界探検全集 14 コン・ティキ号探検記
ヘイエルダール著 水口志計夫訳  河出書房新社  1978.4
【GA39-18】
26)The Kon-Tiki man: Thor Heyerdahl
Ralling, Christopher. BBC 1990
【GK443-A18】
27)キャプテン・コンティキ
アルノルド・ヤコービー著 木村忠雄訳  社会思想社  1976
【GK443-11】
28)コンチキ号探検記
ハイエルダール  主婦の友社  1979.10
*【Y2-415】
学説の証明

「インカ族が風にさからってどのように筏を走らせる事が出来たか、その秘密がそのときにあますところなく解けた」

(「海洋の道 考古学的冒険」トール・ヘイエルダール著 白水社 1976 p202)

「ヘイエルダールは、『コン・ティキ』号の航海を行った結果、ペルーのインディアンが同じような筏に乗ってポリネシアに到達し得ることを実証したであろうか? 答えは、はっきりとノーである。」

(「ポリネシアの島文明」ロバート・C.サッグス著 大陸書房 1973 p339)

「ヘイエルダールの理論は間違っていたとしても、大衆の関心を高め、学問全体を大いに刺激し、進歩させたことは間違いない。」

(「ポリネシアン・トライアングル」ミロスラフ・スティングル著 1998.1 p111)

帰国から5年、ヘイエルダールは、この冒険を元に論文を発表しましたが、批判的な意見が相次ぎました。今日の学界では、ヘイエルダールの学説は、あまり支持されていません。しかし、彼の冒険があったからこそ研究が前進したと、高く評価する見方も存在しています。
なお、本年4月18日、ヘイエルダール氏は、イタリアにて87歳の生涯を閉じられました。心より、ご冥福をお祈り致します。

<ヘイエルダールの論文>

29)海洋の道 考古学的冒険
トール・ヘイエルダール著 カール・イエトマル編 関楠生訳  白水社  1976
【GA41-34】

<ヘイエルダールへの評価>

30)クック艦長は何を見たか 十八世紀の南太平洋
石川栄吉著  力富書房  1986.8
【GJ91-17】
31)イースター島 写真でわかる謎への旅
柳谷杞一郎〔著〕  王様出版  1998.8
【GJ136-G7】
32)ポリネシアの島文明
ロバート・C.サッグス著 早津敏彦,服部研二共訳  大陸書房  1973
【GJ121-5】
33)ポリネシアン・トライアングル
ミロスラフ・スティングル著 坂本明美訳  アリアドネ企画  1998.1
【GJ121-G1】
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