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第123回常設展示 百人一首

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第123回常設展示 百人一首

キーワード:百人一首;短歌;和歌  カテゴリ:芸術・言語・文学 件名(NDLSH):百人一首  分類(NDC):911.147

 

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平成14年12月2日(月)~平成15年1月31日(金)

 

5・7・5・7・7の三十一文字(みそひともじ)を基本とした短歌は、日本固有の形式による詩です。少ないとも思える文字数ですが、その中には古来より様々な人々の様々な想いが込められてきました。その短歌を集めて編まれた歌集は数多くありますが、なかでも一番広く世に知られてきたのは「百人一首」ではないでしょうか。現代においても、新年になると百人一首のかるた競技が華やかに行われ、また一方では、学生がその暗記に頭を悩ましているという話も聞かれます。
かるたのイメージが強い「百人一首」ですが、百人一首のかるたが作られたのは17世紀初めだと考えられています。では、それまでの「百人一首」はどのようなものだったのでしょうか。また、「百人一首」と聞いてすぐに連想される「小倉百人一首」のほかに、時代の流れに伴い、どのような「百人一首」が登場したのでしょうか。
本展示では、かるただけではない、多様な「百人一首」の魅力をご紹介いたします。

展示資料一覧

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小倉百人一首

「百人一首」と言うと、通例として「小倉百人一首」を指すことが多いのですが、実は歌集の一種であり、"100人の歌人の和歌からそれぞれ1首ずつ撰んで100首とした"ものを指します。藤原定家(1162-1241)撰の「百人一首」は、嘉禎元(1235)年5月、知人の求めにより、京都・小倉山の山荘の障子に飾る色紙のために撰んだという説から、「小倉(椋)山庄(荘)色紙和歌」や「嵯峨山荘色紙和歌」と呼ばれていました。後に、同じ形式による「百人一首」が数多く出版されるようになると、それらと区別するために「小倉百人一首」と呼ばれるようになりました。

1)百人一首
東京 桜風社 1981.10
【YN1-7】
陽明文庫(近衛家)旧蔵のかるたの複製。筆者、絵師ともに不明。寛文年間頃(1661-1673)の作だと推定されています。かるたは16世紀末ポルトガルの宣教師によって伝えられました。現存の最も古い百人一首のかるたは17世紀初頭に作られています。
2)明月記抄
〔藤原定家著〕 東京 今川文雄編訳 河出書房新社 1986.9
【GB221-61】
定家の日記「明月記」の嘉禎元年5月27日の項に、定家の知人である宇都宮頼綱(1172-1259)の求めにより、古来からの歌人の和歌各1首を書写したとの記述があります。ただ、この文章には歌人の数が100であったとは書いてないので、この日に小倉百人一首が成立したとは断定できないとの説もあります。
3)百人秀歌
京極黄門撰 東京 笠間書院 1971.12
【KG135-110】
宮内庁書陵部等に所蔵されている秀歌撰。内題には「百人秀歌 嵯峨山庄色紙形 京極黄門撰」とあります。「京極」は定家の住居のあった「一条京極」を、「黄門」は「中納言」の唐名を指すことから、藤原定家によるものとされています。歌の総数は101首で、そのうち97首は小倉百人一首と共通していますが、歌の配列は異なっています。また99、100番目の後鳥羽院と順徳院の2人は入らず、一条皇后宮等の別の3人の歌が撰ばれていること等、小倉百人一首といくつか違いがあることから、小倉百人一首の草稿と考えられています。
4)三部抄 (百人一首展図録)
跡見学園短期大学図書館編 東京 跡見学園短期大学図書館 1990.9
【KG135-E26】
百人秀歌成立後、その配列には変化がないものの、後鳥羽院、順徳院の2人と一条皇后宮等の3人が差し替えられた歌集が登場しました。「異本百人一首」と呼ばれるもので、百人秀歌から小倉百人一首に移行する中間形態だと考えられています。本資料は筆者不明、江戸初期に書写されたものと推定されています。
5)小倉色紙 (定家様:特別展)
東京 五島美術館 1987
【KC637-E5】
伝承では定家の嵯峨山荘に張られていた色紙だと言われています。室町時代後期から記録に存在するようになりましたが、織田信長・豊臣秀吉・徳川家などが競って手に入れたり、江戸時代以降、茶道家や書家にもてはやされるようになると、値段が高騰したため贋作が多く世に出るようになりました。
異種百人一首ともじり百人一首

「小倉百人一首」の後、定家の子孫やその門流が中世・近世の歌壇で指導的地位を占めたことから、後世においても、定家の影響力は大変大きく、「小倉百人一首」に倣った、実に多種多様な類書が出てきました。その編集方式を踏襲・模倣し、別テーマに基づいて新たに100種の歌を撰び直した「異種百人一首」や、時代背景を織り込み、「小倉百人一首」の句をもじって編纂された「もじり百人一首」があります。

異種百人一首

「異種百人一首」は、「小倉百人一首」の影響下に成りましたが、基本的に「小倉百人一首」に載せられている歌は撰ばれていません。「変わり百人一首」「変態百人一首」とも呼ばれています。

6) 新百人一首
加藤千蔭書 名古屋 大盛堂 明治28年7月
【YDM71223】
文明15(1483)年の序文を有したもの。足利9代将軍義尚(1465-1489)によって編纂されました。和歌史的に著名であるにも関わらず、小倉百人一首に採られなかった歌人を対象としたようですが、儀同三司母(従二位成忠女の別称。小倉百人一首には"忘れじの〜"の歌が収載)だけが重複しています。異種百人一首の最初のものと言われています。
7) 後撰百人一首 (標註七種百人一首)
佐佐木信綱編 東京 大橋新太郎 1893
【YDM300745】
別名「続百人一首」。二条良基(1320-1388)が小倉百人一首に倣って100首撰定しましたが、その後不明歌が6首生じたので、子孫が補って作られたもの、という説があります。本当であるならば、「新百人一首」よりも早い時期に撰定されたということになりますが、信憑性は薄く、後世の偽撰とも考えられています。
8)武家百人一首
富田良穂編 豊橋 富田良穂 明治43年1月
【YDM4957】
近世初期成立。姫路城城主榊原忠次(1605-1666)の撰だと考えられています。従来の公家を中心とした百人一首に対して、武家を中心とした百人一首が編纂されました。源氏祖の経基王から足利第11代将軍義澄までの100人が掲載されています。版を重ねるにつれ、後の方の歌が別の武士のものに変わっているものもみられます。
本書以後、武家中心の異種百人一首が数多く出版されるようになりました。
9)源氏百人一首
黒沢翁満著 管宗次解説 大阪 和泉書院 1999.6
【KG244-G45】
天保10(1839)年刊。桐壷帝から小野尼までの登場人物123人の歌を収載したもの。上欄には人物の略伝、歌の略註が書かれています。
10)烈女百人一首 (近世女子教育思想 第1)
東京 日本図書センター 1980.5
【FA5-90】
弘化4(1847)年刊。緑亭川柳編。貞女や烈婦と呼ばれる女性の中で、和歌の道に志ある女性の歌を撰んでいます。
11) 女百人一首 (江戸時代女性文庫 90)
東京 大空社 1998.6
【GB391-E89】
嘉永4(1851)年刊。撰者は不明。平安・鎌倉時代の女性歌人による歌100首を収めています。小倉百人一首と共通する歌人も登場しますが、撰歌は異なっています。

女性啓蒙書にみる百人一首

江戸時代になると「小倉百人一首」は女子教育、特に和歌が必須文学教養とされる良家の子女教育に、往来物として活用されるようになりました。それまでの女訓書や手習い書と合冊されたり、絵本仕立てになると出版数も増加するようになりました。

12) 蔵笥(ぞうし)百首 (江戸時代女性文庫 67)
東京 大空社 1997.5
【GB391-E89】
元文元(1736)年刊。藤井懶斎(1626-1706)作。主に小倉百人一首と「八代集」から歌を撰出し、その各歌についてそれぞれ、婦女子のための教訓話に仕立てたものになっています。作者が娘の教育のために撰んだと考えられています。
13)絵本小倉錦
〔奥村政信〕〔画〕 吉田幸一編 東京 古典文庫 2000.10
【KG135-G75】
元文5(1740)年成立。当世風に描かれた見立絵に小倉百人一首の和歌をもじった歌を付しています。途中から源氏物語からの見立になっています。

明治以降の異種百人一首

14)新撰百人一首
西村茂樹編 西阪成一解 白石千別閲 東京 中外堂〔ほか〕 明治16年9月
【YDM86142】
小倉百人一首は恋歌が多く、非常に猥褻で風化を害するので、恋歌に代えて文雅にして教育の補助となるべき歌を採用した、と前書きにあります。19首は歌人をも代えられ、29首は歌のみが差し替えられています。
15)愛国百人一首 (読売新聞〔東京〕〔マイクロ資料〕)
昭和17年11月21日(4面)
【YB-41】
昭和17(1942)年11月20日、制定・発表。小倉百人一首は恋の歌が多いので自粛され、代わりに提唱されたものです。国民の士気昂揚のために、国家的文化事業として「日本文学報国会」を中心に編纂されました。万葉集から明治元年以前の物故者のなかから愛国の歌100首が撰ばれています。
16)愛国百人一首:厚生舞踊
東京 印牧すえを著 大正書院 昭和19年
【特253-300】
「愛国百人一首」の中から撰ばれた数首に曲と振りがつけられ舞踊となっています。

もじり百人一首

「小倉百人一首」をもじってパロディ化したものが「もじり百人一首」です。こちらも「小倉百人一首」の影響下に成っています。「小倉百人一首」の上の句や下の句をもじっているので「本うたなおし」と表記されることが多々あります。江戸時代以降の狂歌、川柳の中にこのような傾向を見ることができます。

17) 犬百人一首 (近世文学資料類従 仮名草子編 26)
近世文学書誌研究会編 東京 勉誠社 1977.6
【KH5-1】
幽双庵作。寛文9(1669)年刊。犬とは、よく似ているが実は異なるものという意味です。小倉百人一首から離れ、語呂を合わせただけではなく、作者名までもじっています。その作趣に合わせた絵が下に描かれています。
18) 芝居百人一首
〔童戯堂四囀,恋雀亭四染著〕 〔鳥居清信画〕 演芸珍書刊行会〔編〕 東京 演芸珍書刊行会 大正3年
【340-30】
別名「古今四場居色競争(ここんしばいいろくらべ)百人一首」。元禄6(1693)年刊。中村勘三郎から森田勘弥までの京・大阪・伊勢・江戸に在住の歌舞伎役者100人を挙げ、上段にほめ言葉風の標文を付し、中央にその絵姿と小倉百人一首の歌をもじった狂歌を載せています。
19) 江戸名所百人一首 (神社仏閣江戸名所百人一首)
近藤清春筆 稀書複製会〔編〕 東京 米山堂 大正7年
【15-365】
享保年間(1716-1735)頃に刊行。江戸時代に起きた観光ブームや地誌類の流行と相成ってもてはやされました。上句は小倉百人一首の歌の一部を襲用し、下句に江戸の神社仏閣や名所の名を入れて案内した狂歌になっています。
20) 狂歌百人一首 (蜀山人全集 巻第2)
大田南畝著 東京 吉川弘文館 1907
【YDM84913】
江戸中期の狂歌師である大田南畝(1749-1823)の作。彼の死後の天保14(1843)年に刊行。同名のものは享保末年ごろから幕末までに10数種も刊行されています。
21) 童戯百人一首,開化教訓道戯百人一首,地口絵手本 (もじり百人一首三種)
武藤禎夫編 東京 太平書屋 1996.1
【KH9-G44】
見開き2ページに、3点の資料の歌を2首ずつ収めています。
「童戯百人一首」は、明治6(1973)年刊。総生寛作。小倉百人一首の上の句だけをもじっています。明治初年の文明開化期の事象や流行語を詠み込んであるので当時の世相を知る上で興味深いですが、原歌の下の句とうまくつながらない歌も多々あります。
「開化教訓道戯百人一首」は、明治16(1983)年刊。前島和橋(1835-1904)が狂歌を受け持ち、戯作者として名高い仮名垣魯文(1829-1894)が序を書いています。「童戯百人一首」と同様に小倉百人一首の上の句だけをもじっています。
「地口絵手本」は、明治元・2(1868・9)年頃の刊。梅亭樵父作。前記2書とは異なり、小倉百人一首の下の句のみをもじっており、言葉遊び的な意味合いを持っています。地口とは、よく知られている成語に語呂を合わせる言葉の洒落のことです。
そのほかに見る百人一首

現代でも、著名な日本文学のひとつとして海外で紹介されていることはもちろんのこと、いろいろなところで「百人一首」をみることができます。

22) Frederick Victor Dickins : Japanese Odes, translated
Chinese and Japanese Repository of Facts and Events in Science, History, and Art, Relating to Eastern Asia) 3(20) 1865.3 pp.137-139
【Z52-B493】
* 国立国会図書館関西館 所蔵
Frederick Victor Dickins(1838-1915)は、ロンドン大学で医学を専攻し、1863年に来日しました。ちょうどその頃、中国・日本に関する紹介記事や作品の翻訳を掲載する本誌がロンドンで刊行され、その1865年の3月号から9回連載で小倉百人一首の英訳を投稿しました。これが最初の英訳百人一首だと言われています。
23) O suta de poeti de la Muntele Ogura (Hyakunin Isshu) :antologie de poezie japoneza veche / Fuziwara Teika ; traducere si commentarii de Iulia Waniek.
Bucuresti Editura Eminescu 2000
【KG135-A13】
ルーマニア語版。タイトルは「小倉山の詩人100:日本の古詩選集」という意味。
24) 秀玉百人一首小倉栞 = Sto basni : stara japonska poezie / [preklad a doslov, Helena Honcoopova ; redakce, Lenka Zapletalova]
Praha Narodni galerie v Praze  c1997
【KG135-A10】
天保7(1836)年に刊行された「秀玉百人一首小倉栞」(渓斎英泉画)をチェコ語に翻訳しています。
25) Sangen fran Ogura : den japanska lyrikantologin Ogura hyakunin isshu : en dikt vardera av hundra poeter i svensk version / av Shozo Matsushita och Per Erik Wahlund ; med hundra kalligrafier av Hiroko Kimura
Hoganas Bra Brocker 1988
【KG135-A11】
スウェーデン語版。
26) 百人一首歌占鈔
花淵松濤著 野中春水校注 大阪 和泉書院 1997.6
【KG135-G33】
江戸末期に刊行。謡曲「歌占」にヒントを得て、小倉百人一首の各歌に陰陽思想に基づく易の各卦を割り当てています。卦は64種なので、1つの卦に2種以上の歌があるものもあります。
27) レヴュウ座談会(6) (都新聞〔マイクロ資料〕)
昭和6年10月27日(7面)
【YB-131】
宝塚歌劇団の初期の劇団員の芸名は、創始者である阪急グループの小林一三(1873-1957)によって、ほとんど小倉百人一首の歌句や歌人名から命名されました。本資料では初期の劇団員が芸名の由来等について記者から質問を受け、答えています。
28) 「尾花沢方言『小倉百人一首』(上)」(山形方言 28号)
原田伝六著 山形 山形県方言研究会 1996.3 pp.22-31
【Z13-734】
小倉百人一首を山形の尾花沢地方の方言に訳しています。
29) 小倉擬百人一首 (別冊太陽 1号)
東京 平凡社 1972.11
【Z23-238】
創刊号で小倉百人一首を取り上げています。表紙には「百人一首は王朝文化の粋であり、絢爛たるみやびのふるさとである」と書かれてあり、特別付録として、天保14-弘化3(1843-1846)年に刊行された、歌川国芳(1797-1861)画の「小倉擬百人一首」のグラビアを収載しています。「小倉擬百人一首」は小倉百人一首の歌とともに歌意に見立てた画を描いたものです。なお、「小倉擬百人一首」は当館ホームページの国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/#classic)でもご覧になれます。
30) 現代学生百人一首:学生短歌傑作500選
東洋大学現代学生百人一首編纂実行委員会編 東京 学生社 1989.8
【KH9-E194】
同大学では1988年以来、高校生を中心とした学生が詠んだ短歌をまとめた百人一首を刊行しています。朝シャン、コンパ等のカタカナ語が多く見受けられます。
31) 新々百人一首
丸谷才一著 東京 新潮社 1999.6
【KG712-G45】
小倉百人一首、「新百人一首」で撰ばれている200人を敬遠することはせず、歌は重複しないように撰出しています。
32) 記念日の本
東京 日本ヴォーグ社 1988.5
【GH131-E36】
本書では5月27日を「百人一首の日」として紹介しています。

参考文献

百人一首:定家とカルタの文学史
松村雄二著 東京 平凡社 1995.9
【KG135-G2】
小倉百人一首を学ぶ人のために
糸井通浩編 京都 世界思想社 1998.10
【KG135-G42】
百人一首への招待
吉海直人著 東京 筑摩書房 1998.12
【KG135-G44】
百人一首の文化史
東洋大学井上円了記念学術センター編 東京 すずさわ書店 1998.12
【KG135-G48】

請求記号に【YDM】【YB】がついている資料は、展示中でもマイクロでご利用できます。

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