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第130回常設展示 市川団十郎の系譜

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第130回常設展示 市川団十郎の系譜

キーワード:新製品;カレー;電話;洗濯機   カテゴリ:歴史・地理・哲学・宗教 件名(NDLSH):家庭科学;食生活--日本--歴史;家庭用品;家庭電化--歴史;電話  分類(NDC):590 


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平成16年3月1日(月)〜4月30日(金)

 

昨年、阿国歌舞伎から400年の節目を迎えた歌舞伎。その歌舞伎において、今日まで常に特別な地位を占め、最も大きな名前とされてきたのが「市川団十郎」の名跡である。元禄時代の初代から、十二代目を数える現在の団十郎に至るまで、それぞれの時代を代表する名優がこの名を受け継いでいる。団十郎の歴史はそのまま歌舞伎の歴史といっても過言ではないだろう。
2004年5月、七代目市川新之助が十一代目市川海老蔵を襲名する。未来の十三代目団十郎が約束されている新之助の海老蔵襲名は、歌舞伎史の新たな1ページである。この機に当館が所蔵する様々な資料から「市川団十郎」の系譜をさぐっていきたい。

ご覧になる上でのご注意

  • 【 】内の記号は、当館請求記号です。
  • 一部の資料については、資料保存の関係上マイクロフィルム等からの複製を展示しております。
  • 請求記号が「YA」「YB」「YD」「YDA」「YDM」で始まる資料をご利用の際は、マイクロフィルムでの閲覧となります(展示期間中のご利用も可能です)。
  • ☆印の付いた資料(2.「団十郎舞台似顔絵」8.「八代目団十郎死絵」13.「歌舞伎十八番」)は当館のホームページ内「国立国会図書館デジタルコレクション」で画像をご覧になれます。
    (URL:http://dl.ndl.go.jp/#classic

※8「八代目団十郎死絵」を「国立国会図書館デジタルコレクション」でご覧になる場合は、タイトルに「猿白院成清日田信士」と入力して検索してください。

江戸時代の市川団十郎 初代〜八代

荒事の創始者、初代団十郎。「暫(しばらく)」「助六」等今に伝わる人気狂言を確立した二代目。「木場の親玉」として庶民に親しまれ、侠客や文人とも親交の深かった四代目。江戸歌舞伎の絶頂期に劇界に君臨した五代目。歌舞伎十八番を制定した七代目。美貌を謳われ、幕末歌舞伎を華やかに彩った八代目。団十郎をぬきにしては、江戸歌舞伎は語れない。

1)『当世小国歌舞伎』[マイクロ複製]
【YDA1753】
元禄12年(1699)森田座興行。初代市川団十郎作、正本屋小兵衛開版、狂言本。荒事の創始者といわれる初代団十郎作の狂言本である。当時の団十郎の舞台姿を彷彿とさせる。初代団十郎は演技に才能を示しただけでなく、自分が演じるための狂言を創作する才能にもめぐまれた。現在の歌舞伎でも演じられている鳴神上人(なるかみしょうにん)や荒獅子男之助(あらじしおとこのすけ)の原型を作ったのも初代団十郎である。

2) 団十郎舞台似顔絵[複製]
【寄別3-3-2-2】
歌川豊国画。元祖から七代目までの団十郎の舞台姿摺物をまとめて貼りこんだ画帳。各絵には狂歌が添えられている。このシリーズにはこの7枚の他に、七代目の筆跡で「八代目」としるされた子供の外郎売(ういろううり)の舞台図が加わるらしい。八代目の襲名に関係する摺物だったのだろうか。
3)『役者全書』[マイクロ複製]
八文字屋自笑編 安永3年(1774)刊
【YDA4206】
役者に関する様々な事象を扱った書物。役者にちなんだ様々な商品が並ぶ中に「団十郎煎餅」の名がみえる。形は丸く、団十郎の名前と団十郎家の紋「三升」が刻印された煎餅だったらしい。好きな役者のグッズを集めるファン心理は、今も昔もかわらないものなのか。この他に「団十郎艾(もぐさ)」なども売り出された。
4)『市川団十郎代々』
服部幸雄著 講談社 2002.2
【KD487-G65】
役者は江戸時代の流行発信源。団十郎家の定紋「三升(みます)」や「市川格子(いちかわごうし)」「鎌○ぬ(かまわぬ)」等、様々なデザインが考案され、巷間に流布した。
5)『六代目団十郎追善稗史 東発名皐月落際(えどのはなさつきのちりぎは)』[マイクロ複製]
曲亭馬琴作 歌川豊国画 寛政11年(1799)刊
【YDA5172】
22歳で夭折した六代目団十郎の地獄巡りを題材にした黄表紙。『助六』『暫』等、団十郎のお家芸が、盛り込まれている。この他多くの出版物で、団十郎は取り扱われており、いかに団十郎が庶民に愛されたかが窺える。
6)『三座役者給金取調書』[マイクロ複製]
曲亭馬琴作 歌川豊国画 寛政11年(1799)刊
【YDA5754】
天保13年(1842)、江戸三座の代表があつまり給金を協定した記録。当時の人気役者達の給金と、役者間の序列が窺えて興味深い。あまりの給金の高騰ぶりに、しばしば幕府から取り締まりがあったが、人気役者の給金はどんどん跳ね上がった。

【千両役者】千両というのは、現代のお金にして約6000〜8000万円。貨幣価値が下がった幕末には、千両役者は沢山でたようだが、江戸も初期の頃には、数えるほどしかいなかったようだ。

7)『資料集成二世市川団十郎』
立教大学近世文学研究会編 和泉書院 1988.3
【KD487-E6】
享保20年(1735)3月17日の二代目市川団十郎の日記に、「朝10時ごろに芝居見物の女性20人ほどがお手洗いを借りるという口実で二代目の家を見物しに来た」というエピソードが記されている。ファンの熱狂ぶりは現代と変わりない様子。二代目にしてみれば迷惑な話だが、このことからもその人気のほどがうかがえる。

8)八代目団十郎死絵[複製]
【寄別2-5-1-1】
その美貌で絶大な人気を誇った八代目は、32才で自殺する。とりわけ女性の人気をあつめた八代目であっただけに、人間の女性だけではなく、雌猫までがその死を嘆き悲しんだと言われた。展示資料の中にも、泣いている猫が描かれており、どことなく微笑ましい。八代目の劇的な死は伝説となり、この他にも三百種を超える膨大な死絵が出版された。

【死絵(しにえ)】人気役者が亡くなった時にその死を惜しみ、追悼する目的で販売された錦絵の一種。特に八代目の死絵は事件後争って出版され、刊行を急ぐあまりいい加減な内容のものも多かった。現代の週刊誌のスキャンダル記事の競争ともよく似ている。
※8「八代目団十郎死絵」を「国立国会図書館デジタルコレクション」でご覧になる場合は、タイトルに「猿白院成清日田信士」と入力して検索してください。

9)『世事見聞録』
武陽隠士著 青蛙房 2001.9(原本は文化年間頃刊)
【GB349-G13】
幕末の世相や風俗を記録した資料。芝居が流行の発信源となり、特に女性からは熱狂的に支持されていた。「一度芝居を見たる女は、三度の食事に替へても懇望いたし、殊に年若の女などは芝居にいけば親の事も夫の事も忘れ果て・・・」。歌舞伎は江戸時代における最大の娯楽だった。

10)『役者花実論』 江戸編[マイクロ複製]
「役者評判記」リールNo.68 雄松堂出版
【YD-436】
天明年間に五代目団十郎の評価は飛躍的に上昇した。天明2年(1782)刊行の役者評判記「役者花実論」では極上上吉に格付けされ、「花といえば桜、役者といえば団十郎のこと」と賞賛されている。この頃団十郎が江戸に誕生してからちょうど100年が経過し、代々続いた団十郎という役者そのものが尊ぶべき特別な存在だと認識されるようになる。

【役者評判記】役者の芸評、芸の位付けその他の品評を、好劇家の対談形式で記した書物。横本三冊で京都・江戸・大坂に分けるのが通常。

11)『かわら版・新聞 江戸・明治三百事件:第1巻』
平凡社 1978.2
【GB341-56】
病気で舞台を休んでいた団十郎が、成田の不動明王のご利益によって回復したことを報じたかわら版。役者の病気回復がこれほど世間を騒がせたのも団十郎の人気ゆえのことだろう。
12)『絵本夢の江戸歌舞伎』
服部幸雄著 岩波書店 2001.4
【KD484-G32】
江戸時代に行われていた歌舞伎は大衆娯楽の王様であった。当時の人たちにとって歌舞伎を見に行くのは、何日も前から当日着ていく衣服を調(ととの)えたり、前の晩嬉しくて眠れず明け方に起きて化粧をしたりするほど楽しみなものだった。歌舞伎が今よりももっと人々にとって身近な娯楽だった時代の様子が生き生きと描かれている。

13)歌舞伎十八番[複製]

三世歌川豊国画 恵比寿屋庄七 嘉永5年(1852)刊
【寄別2-7-2-1】
七代目団十郎が選定した歌舞伎十八番の舞台図。歌舞伎十八番は団十郎家の得意芸の集大成でもあり、また、いかに団十郎家が古くからつづく名門かということを世に示すための権威付けの役目もはたした。

助六】図の手前:揚巻の助六 奥:髭の意休
吉原へ毎日通い遊客に喧嘩を売っては刀を抜かせる侠客、それが助六(すけろく)である。強い上に男前で気風がよい人気者だ。実は彼は源氏の宝刀友切丸(ともきりまる)を探すために喧嘩をしていたのであった。友切丸の持主意休(いきゅう)と対決し、刀を取り戻すという物語。助六の小気味よい啖呵は、江戸っ子たちを大いに喜ばせた。
矢之根】曽我五郎時宗
赤穂浪士に限らず、仇討というテーマは人気が高い。「矢之根」は曽我五郎・十郎兄弟の仇討が題材である。初夢に兄の十郎が敵に捕らわれている姿を見た五郎は通りかかった馬子(まご)の馬を奪い、馬につけてあった大根(!)を鞭(むち)にして、兄を救うために飛び出していく。正月気分いっぱいの芝居だ。

 

明治から平成の団十郎 九代〜十二代

江戸から明治への過渡期、歌舞伎の近代化を目指し、役者の地位向上を果たした九代目。颯爽とした美男ぶりと、魅力的な芸風で「海老さま」ブームをまきおこした十一代目。現在の劇壇で重きをなしつつある現十二代目団十郎。そして、様々なメディアで活躍し、未来の十三代目団十郎として嘱目されている現新之助。江戸時代初期に誕生した「市川団十郎」という名が、今も確実に息づいていることを彼らが証明してくれる。

14)『市川家秘伝隈取図巻』
七世市川団十郎著 演芸珍書刊行会 大正3年
【340-30】
15)『明治役者絵版画帖』
明治初期刊行
【YDM74900】
九代目団十郎等、明治を代表する役者達の錦絵帳。明治期浮世絵の特徴である「赤」が印象的。
16)「団菊回想録」『演芸画報』
明治42年7月臨時増刊号
【YA5-1262】
明治36年(1903)9月に没した九代目団十郎と、同じ年の2月に没した五代目菊五郎を追悼した特集記事。二人は明治の歌舞伎の黄金時代を築いた立役者であった。福地桜痴(ふくちおうち)、伊原青々園(いはらせいせいえん)、関根只誠(せきねしせい)など、当時を代表する芝居通が執筆している。
17)『歌舞伎十八番助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』
神田国蔵編 万字屋錫太郎 明治17年5月
【YDM88616】
歌舞伎十八番の演目のあらすじや、主要な台詞を記した絵入筋書本。
18)『歌舞伎十八番 : 市川団十郎お家狂言』
久保田彦作 紅英堂 明治16年
【YDM74797】
19)「演劇御覧の事」『東京日日新聞』[マイクロ複製]
明治20年4月28日
【YB-6】
明治20年(1887)4月26日から29日の4日間にわたって、当時の外相井上馨の邸宅で明治天皇・皇后らを主賓に招いての天覧劇が催された。その様子を詳細に記したこの記事は、福地桜痴(ふくちおうち)の筆によるものであろう。また、この天覧劇は電灯による照明が用いられた最初の演劇であることでも有名である。
20)「特集 団十郎襲名興行をみる」『演劇界』
昭和37年5月
【Z11-81】
十一代目襲名興行の舞台記録。「海老さま」ブームを巻き起こした九代目海老蔵は、「団十郎」という名跡があまりに大きいため、襲名を長い間躊躇していた。54歳にしてようやく十一代目団十郎を襲名する。九代目団十郎没後59年間にわたって空白だった団十郎が、ここにようやく復活した。
21)『松助芸談』
尾上松助 邦枝完二著 青々堂出版部 1947
【KD487-12】
明治20年(1887)に井上馨邸で行われた天覧劇の模様を回想した記事。明治の中頃はまだ封建社会の名残が色濃く、歌舞伎役者も河原者などといわれその地位は決して高いものではなかった。そんな時代に行われた天覧劇は、歌舞伎役者にとって破天荒の快挙であり、歌舞伎の社会的地位の向上のきっかけとなった。九代目団十郎は天覧劇にそなえて水垢離(みずごり)などを行ったが、前日には食事も喉を通らなくなり、4日間の公演を終えた後には体重が3貫目(約11kg)も減っていたという。
22)『原色日本切手図鑑:1970年版』
図鑑編集委員会編 日本郵趣協会 1969
【693.8-G29】
昭和25年(1950)に、日本の文化発展に尽力した明治以降の偉人を描いた「文化人切手」シリーズが発売された。野口英世や福沢諭吉に並んで九代目団十郎も選ばれている。新時代に相応しい歌舞伎のあり方を模索し、役者の地位向上に努めたことが評価された。
23)「サザエさん」『朝日新聞』[マイクロ複製]
昭和28年9月12日
【YB-2】
十一代目団十郎がまだ海老蔵を名乗っていた頃、源氏物語で光源氏を演じて大評判を得、世間では「海老さまブーム」がまきおこった。そんな人気絶頂のさなか、それまで秘密にされていた妻子の存在が公になり、新聞等でも話題になった。サザエさんにも取り上げられている。
24)『歌舞伎源氏物語:十一代目市川団十郎・十二代目市川団十郎・新之助-三代の光源氏
平凡社 2001.12 (別冊太陽)
【KD481-G100】
25)『市川新之助論』
犬丸治著 講談社 2003.3 (講談社現代新書)
【KD487-H4】
昨年、大河ドラマ「宮本武蔵」で話題となった新之助。様々なメディアに登場し、その名は歌舞伎ファン以外にも広く知られるようになった。今年5月、新之助は海老蔵になる。十三代目団十郎への道を、一歩を踏み出した。団十郎12代の歴史の上に、これから彼がどんな足跡を残していくのだろうか。
26)『十一世市川団十郎』
石井雅子著 朝日ソノラマ 1981.6
【KD487-55】
石井雅子撮影の写真集。
27)『海老蔵から団十郎へ 十二代目市川団十郎襲名』
薄井賢三写真 集英社 1985.4
【KD487-76】
薄井賢三撮影。十二代目襲名時の写真集。

KABUKI 海外からみた歌舞伎

明治以降、日本を訪れる外国人の増加とともに歌舞伎は世界に広がっていく。1928年のソビエト公演を皮切りに、海外での歌舞伎上演も盛んに行われている。今回の新之助襲名興行も、アメリカ巡業を行った現十二代目団十郎襲名興行に続き、パリでも行われる予定。KABUKIは世界の人々の目にどのように映っているのだろうか。

28)Kabuki Drama (Tourist library;23)
Syutaro Miyake Board of Tourist Industry, Japanese Govt. Railways,1938
【KD481-A7】
旅行者向けに日本の文化や伝統芸能を紹介したシリーズ。本書では歌舞伎の成り立ち、劇場や舞台装置、演技や演出の特徴などが簡単に説明されている。「歌舞伎十八番」の一つである「助六」が有名な演目として紹介されている。
29)『歌舞伎海外公演の記録』
荒木千佳史著 松竹 1992.8
【KD484-E21】
松竹株式会社創業百年を記念して出版された歌舞伎海外公演の記録。写真はニューヨークのメトロポリタンオペラハウスで行われた十二代目団十郎襲名公演の時のもの。
30)Le theatre japonais.
A. Iacovleff & S.Elisseeff, Paris,1933
【Sd-98】
東京帝国大学に留学し、吉右衛門のファンだったという日本通の著者の歌舞伎概論。挿絵が興味深い。演技に重点を置いた研究書である。ヤコフレフの描いた役者のリアルな挿絵は躍動感にあふれ、浮世絵に描かれた歌舞伎を見慣れた目にはとても新鮮に映る。

【挿絵解説】残念ながら、この本が刊行された時期は九代目は既に故人で、団十郎不在の空白期間であった。左頁は市村右左衛門、右頁は「沓水鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)」(大阪城落城の際、主家豊臣家を救おうとする片桐且元(かつもと)の苦悩を描いた芝居)の一場面が描かれている。

31)小泉八雲新輯:第2巻
ラフカディオ・ハーン著 田部隆次編 大日本雄弁会講談社 1949
【YD5-H-a930-50】
小泉八雲はアメリカで新聞記者をしていたころ日本の芝居を随分いろいろ観に行ったらしい。来日後は人込みが苦手なため、あまり観劇には出かけなかったが、団十郎(九代目)の芝居は良いから是非見に行くようにと節子夫人に勧めている。

32)Grand Kabuki overseas tours 1928−1993.
Shochiku Co. 1994
【KD484-A6】
歌舞伎の海外公演は昭和3年(1928)市川左団次一行のソビエト公演が最初である。戦前における本格的な海外公演はこの1回きり。特に第二モスクワ芸術専門劇場での公演は連日満員の盛況ぶりだった。積極的に海外で公演活動が行われるようになったのは昭和30年(1955)以降のこと。

【演目】

「仮名手本忠臣蔵」
「娘道成寺」
「番町皿屋敷」
「操三番叟」
「鳴神」
「だんまり」
「鷺娘」
「修善寺物語」
「花見踊」
「鳥辺山心中」

33)Kabuki,the popular stage of Japan
Zoe Kincaid,London, 1925
【Ea-26】
海外で初めて出版された本格的な歌舞伎概論。序文からは筆者が伊原青々園(いはらせいせいえん)や劇場関係者のほか、中村歌右衛門、尾上梅幸といった役者ら多数の日本人から助言を得ていたことがわかる。
34)Japanese plays and play-fellows
Osman Edwards,London, 1901
【D-17】
イギリスで出版された歌舞伎、能などの舞台見物記。小泉八雲に献じられている。

主要参考文献

『市川団十郎代々』
服部幸雄著 講談社 2002.2
【KD487-G65】
『市川団十郎研究文献集成』
中山幹雄著 高文堂 2002.4
【KD1-G34】
『歌舞伎』
国立国会図書館/松竹株式会社編 松竹株式会社 1952
【774-Ko548k】
『江戸後期歌舞伎資料展目録』
国立国会図書館編 1981.10
【KD1-44】
『歌舞伎人名事典新訂増補
野島寿三郎著 日外アソシエーツ 2002.6
【KD2-G67】
『歌舞伎名作事典新訂増補
演劇出版社 1996.8
【KD481-G11】

 

 

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