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第138回常設展示 明治の越境者たち −近代デジタルライブラリー収録資料に見る日本人の海外体験−

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第138回常設展示 明治の越境者たち-近代デジタルライブラリー収録資料に見る日本人の海外体験-

キーワード:明治時代;旅行記;海外旅行;紀行;外国関係  カテゴリ:歴史・地理・哲学・宗教 件名(NDLSH):紀行;日本--外国関係  分類(NDC):290.9


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平成17年7月21日(木)~9月20日(火)

 

はじめに地球

「余は平生旅行を好むの癖あり、何事も目新しき境遇に出逢ひては、陳腐なる脳底の想像も何時となく革新せられて、勇壮の気分を養ひ成すものなり」

外務省御用掛であった吉田正春は、官命を帯びて赴いたペルシャへの旅行記(『波斯之旅 回彊探検』)を、このように書き出しています。いつの時代も海外への旅は、その道中がいかに困難に満ちたものでも、刺激的で好奇心をそそるものです。

今回の展示では、明治期の文献から、日本人の海外体験について書かれたものをご紹介します。
明治時代、鎖国体制から解き放たれた日本人は、積極的に異国へと出て行きました。まだ限られた人しか海外へは渡れなかったとはいえ、江戸時代とは比べ物にならないくらいに渡航人数は増え、渡航先も広がりました。
また旅人も、その目的・旅程も、個人の思いだけでなく、その時々の国際情勢などに応じて様々です。政治家や実業家の視察旅行であったり、庶民の団体旅行であったり、軍人の情報収集の旅であったり、若者の冒険旅行であったり、海外での成功を夢見た移民の旅であったり。
彼らが残した、または彼らについて書かれた記録は様々ですが、冒頭に掲げた吉田の言葉は、すべてに共通するものです。限られた情報しかなかった時代に、船で、馬で、自転車で、数々の驚きに出会いながら旅した彼らの言葉は、インターネットと飛行機による旅の時代に生きる私たちに、あらためて旅の面白さを思い起こさせてくれるかもしれません。



国立国会図書館は、明治期に刊行された日本の図書のうち、著作権保護期間満了の確認ができたものや、文化庁裁定により提供が可能になったもの約55,000冊を、インターネット上で公開しています。「近代デジタルライブラリー」と名づけられたこのサービスでは、人文・自然科学・社会科学といった分野を問わず、あらゆる種類の本を、家にいながらにして全文ご覧いただけるようになっています。
今回の常設展示は、展示資料を「近代デジタルライブラリー」から選びました。これにより、専ら来館者を対象とし、資料の一部の紹介に留まっていた従来の展示の枠を越え、タイトルにはられたリンクから展示資料及び関連資料の全文のデジタル画像を、いつでもどこからでも、インターネット経由でご覧いただくことができるようになっています。

資料をご覧になる場合のご注意

  • 【 】は国立国会図書館の請求記号です。
  • 今回展示されている資料は、すべてマイクロフィッシュでの閲覧となります。ご利用の際は、YDMで始まる請求記号でお申し込みください。展示期間中の利用も可能です。
    ※( )内の請求記号は、原本資料の請求記号です。閲覧を希望される場合は、別途利用申請をしていただく必要があります。

1.世界へ広がる視野

鎖国からの開放は、海外から知識を得るチャンスを劇的に増加させた。幕末の頃から、欧米へ日本人留学生が派遣されるようになり、明治に入ると、政府は積極的に欧米の知識を取り入れようと、政治家や官僚を派遣した。また、民間の実業家や一般庶民も、様々な形で欧米諸国を見聞している。
一方で、好奇心に任せてアジアやアフリカ、南米など世界各地に「無銭旅行」を試みる若者や、海外での成功を夢見て、アメリカ大陸などへ移民として渡航する人々もいた。
鎖国が解かれて間もない明治年間には、現在見られるものとそう変わらない種類の旅行者・旅行形態が現れており、様々な記録が残されている。

福沢諭吉

旅行者:福沢諭吉(1835-1901) 
渡航先:アメリカ、ヨーロッパ諸国
渡航時期:1860年(安政7)、1861年(文久2)、1867年(慶応3)

◆1) 『西洋旅案内』
第1冊
第2冊
福沢諭吉著、東京、慶応義塾出版局、明治6.5、 2冊(第2版)
【YDM22032】(特31-672)
福沢が、江戸幕府の遣外使節団に参加し、1860年から67年にかけて、三度欧米に旅行した経験をまとめた、船賃・為替・保険(文中では「災難請合」)等まで紹介する欧米旅行の実用的なガイドブック。初版は慶応3年発行。なお、本書の続編とも言うべき英会話帳を含んだ『西洋旅案内外篇』(吉田賢輔編纂、尚古堂、1869年)も出版されている。
復刻:『近代欧米渡航案内記集成 第1巻』東京、ゆまに書房、2000(初版を収録)【GG176-G100】など
岩倉使節団

旅行者:岩倉使節団(団長岩倉具視大久保利通木戸孝允東久世通禧等)
渡航先:アメリカ、ヨーロッパ諸国
渡航時期:明治4年(1871)-6年(1873)

◆2) 『特命全権大使米欧回覧実記』
第1篇 米利堅合衆国ノ部
第2篇 英吉利国ノ部
第3篇 欧羅巴大洲ノ部 上
第4篇 欧羅巴大洲ノ部 中
第5篇 欧羅巴大洲ノ部 下
久米邦武編、東京、博聞社、明治11.10、5冊100巻
【YDM22194】(34-88)
使節団に随行した太政官少書記久米邦武の編輯による、公的な実況報告書。関係各機関のみならず国民の耳目に触れさせるために、御用出版社であった博聞社から刊行された。訪問各国の事情や、近代国家の制度・文化を詳細に観察・調査しており、また、当時開催中であったウィーン万国博覧会にも立ち寄っている。なお、風景等の銅版図も多数収録するが、これらは現地で収集した絵図や地図を、帰国後に銅版画にしたもの。
復刻:田中彰校注『特命全権大使米欧回覧実記』全5巻、東京、岩波書店、1977-1982【A99-Z-84】など
世界一周団体旅行

旅行者:ツアー客56名、特派員2名ほか
渡航先:アメリカ、イギリス、ロシア、フランス、ドイツ、イタリア、スイスなど
渡航時期:明治41年(1908)

◆3) 『世界一周画報
石川周行、東京、朝日新聞社、明治41.9、320p
【YDM22040】(63-208)
明治41年3月18日から6月21日にかけてイギリスのトーマス・クック社の協力の下に行われた、朝日新聞社世界一周会主催ツアー旅行の一部始終を記録したもの。長らくの鎖国のため「引込思案が多」い日本人に、「成るべく手軽に、成るべく時日と費用とを少くして、世界の要所を見せようとした」という。随時朝日新聞に掲載された特派員による短信をまとめたものに、大幅に加筆している。挿絵や写真(参加者の肖像写真も含む)も多い。
複製:『明治欧米見聞録集成 第30巻』東京、ゆまに書房、1989【GG147-16】
実業家団体旅行

旅行者:渡米実業団(56名に通訳・婦人等を加える)
渡航先:アメリカ
渡航時期:明治42年(1909)

◆4) 『米国見物
正岡猶一(藝陽)著、東京、昭文堂、明治43、688p
【YDM26943】(29-322)
アメリカ太平洋沿岸の商工会議所の招待に応じて日本の商工会議所から派遣された、渋沢栄一をはじめとする実業家たちの団体(「渡米実業団体」と呼ばれた)の、明治42年8月19日から12月17日にかけての滞米記録。一行がアメリカ大陸を横断し、各都市や産業、ベースボールなど市民の娯楽についてを詳しく記す一方で、海外慣れしていないために文化の違いに戸惑う参加者の様子を描写し、こき下ろしている。なお、著者は随行したやまと新聞特派員。
大庭柯公

旅行者:大庭影秋(柯公)(1872-1924)
渡航先:中国、ヨーロッパ、南アメリカ、中近東など
渡航時期:明治40(1907)-43年(1910)頃

◆5) 『南北四万哩
大庭影秋(柯公)著、東京、政教社、明治44.6、344p+図版+地図
【YDM22201】(334-84)
明治40年から43年にかけて大庭が、大阪毎日新聞の海外特派員として取材で赴いた土地の旅行記をまとめたもの。渡航先の各地の事情や地理、歴史をまとめているが、内容の半分以上を、中央アジアとペルシャに充てている。大庭は、ロシア通の記者としても知られたが、革命後のソビエトに赴いた際にスパイの嫌疑を受けて粛正されたという。
複製:『柯公全集 第4巻』東京、大空社、1995【US21-G7】(大正14年刊の複製)
中村直吉

旅行者:中村直吉(1865-1932)
渡航先:世界一周(アジア、中近東、ヨーロッパ、南北アメリカ、オーストラリア等)
渡航時期:明治34年(1901)-40年(1907)

◆6) 『五大洲探検記』
第1巻 亜細亜大陸横行
第2巻 南洋印度奇観
第3巻 鉄脚従横
第4巻 亜弗利加一周
第5巻 欧洲無銭旅行
中村直吉著、押川春浪編、東京、博文館、明治41-45、5冊
【YDM21935】(95-74)
「生来大々的の旅行狂」の「風船玉」を自認する中村が、五大陸を無銭旅行で踏破した際の旅行記。但し、南北アメリカ・オーストラリアの旅行記は、本書には収められていない(大正年間に発行された『世界探検十五万哩』、『アマゾン探検記』に収録されている)。当時売れっ子の冒険・探検小説作家であった押川春浪との共編となっており、内容が誇張・脚色された箇所もある。なお、中村はシンガポールで後述の岩本千綱に会っている。
中村春吉

旅行者:中村春吉(1872−1944)
渡航先:世界一周(中国、東南アジア、インド、中近東、ヨーロッパ、アメリカなど)
渡航時期:明治35年(1902)-36年(1903)

◆7) 『中村春吉自転車世界無銭旅行
押川春浪著、東京、博文館、明治42.8、326p
【 YDM94276】(特11-682)
「進すんで世界を踏破し、世界冒険旅行と云ふ事は、西洋人にばかり出来る離れ業では無いぞ」と意気込む中村が、自転車による世界一周の無銭旅行を果たした際の旅行談を、押川春浪が「冒険もの」に仕立てあげている。そのため、冒険・探検物語として面白いアジアでの出来事に大部分を費やし、欧米の部分には軽く触れる程度である。
複製:『中村春吉自転車世界無銭旅行』〔小田原〕、〔日本自転車史研究会〕、〔1984〕
移民

渡航先:アメリカ、ハワイ、カナダ、メキシコ、南米、中国、南洋諸島など

◆8) 『海外活動之日本人
横山源之助(有機逸郎)著、東京、松華堂、明治39、245p
【YDM41424】(30-493)
本書は、各地に移住した日本人の活躍譚や成功譚を、南米を中心として地域別に紹介しているが、横山自身は渡航経験がなく、帰国者からの伝聞により本書を著したという。農業・漁業・商業などの様々な職業に就く日本人移民の姿や、各地の日系人社会の有様を伝えている。また、当時南米旅行中であった前述の中村直吉も紹介している。なお、横山は、南米への移住案内書『南米渡航案内』(成功雑誌社、1908年)も著している。
◆ 明治時代の旅券「日本帝国海外旅券
当館憲政資料室所管日系移民関係資料
(請求記号:移(二)ペルー-3-7)
当時28歳の山口県出身の青年が、明治42年(1909)にペルー(秘露)への移民として渡航した際に持参した旅券。裏面のスタンプ等から、6月8日に神戸港を出発し、翌43年9月19日に、在リマの日本領事館で移民として登録されたことが分かる。

※画像1枚目:旅券表右側、画像2枚目:旅券表左側、画像3枚目:旅券裏面

2.ユーラシアと日本

ユーラシア、特に中央アジアは、いつの時代も政治的に緊張した地域であり、それは日本の明治時代に当たる19世紀半ばから20世紀にかけても、同様であった。
シベリア鉄道を敷設してシベリア進出を狙うロシアは、ユーラシアの東端に位置する日本にとって備えるべき相手であった。日本としては、中央アジアやシベリアの情勢を把握し、またイスラム世界との結びつきを模索する必要があった。
また、この時期の中央アジア一帯は、インドへの南下を狙うロシアとそれを阻もうとするイギリスとの争いを中心とした領土争奪のための情報戦「グレート・ゲーム」の舞台となっていた。
明治の日本人がこれらの地域を探検・旅行する場合は、否応なしに当時のユーラシアを巡る政治状況の渦に巻き込まれたが、その中にあっても様々な記録を残している。

西徳二郎

旅行者:西徳二郎
渡航先:ロシア、西トルキスタン、イリ、シベリア、蒙古、中国など
渡航時期:明治19年(1886)

◆9) 『中亜細亜紀事
西徳二郎著、東京、陸軍文庫、明治19.9、421+220p
【YDM26772】 (17-2)
サンクト・ペテルブルグ日本公使館の代理公使であった西が、当時外国人の立入りが制限されていたロシア勢力下の中央アジア経由の陸路を旅行し、帰国した際の調査結果をまとめた地誌。本書は概説書として発行されたが、一般への普及を目的としていなかったこともあり、大きな評判とならなかった(1911年にイタリアで翻訳出版されたが、当館未所蔵)。
複製:『中亜細亜紀事』東京、青史社、1987【GE671-E2】など
福島安正

旅行者:福島安正(1852-1919)
渡航先:ドイツ、シベリア、蒙古など
渡航時期:明治25年(1892)-26年(1893)

◆10) 『単騎遠征録
西村時彦(天囚)編、福島安正閲、大阪、金川書店、明治27.6、432p
【YDM96172】(44-267)
ドイツ駐在武官勤務を終了した福島(当時中佐)がベルリンからウラジオストックまでの14,000キロに渡るシベリア横断を単身騎馬で実行した。福島の目的は、ロシアの内情・民情を兵要地誌的観点から探り、また特に建設が完成に近づいていたシベリア鉄道の兵站能力を探ることにあった。この壮挙は、当時の日本人を熱狂させた。本書は、福島の旅行記事を掲載していた朝日新聞の記者であった西村が、その一部始終をまとめたもの。
複製:『明治シルクロード探検紀行文集成 第12巻』東京、ゆまに書房、1988【GE84-E1】など
大山鷹之介

旅行者:大山鷹之介(?-1938)
渡航先:トルコなど
渡航時期:明治23年(1890)

◆11) 『土耳其航海記事
大山鷹之介著、東京、大山鷹之助、明治24、163p
【YDM26803】(66-186)
明治23年に和歌山沖で日本に派遣されたトルコ使節団が乗船するエルトゥールル(エルトグロー)号が沈没し、その生存者をトルコ本国に送還するために、軍艦金剛・比叡が派遣された。本書は、金剛の乗組員であった大山の航海日記・トルコ滞在記である。なお、金剛・比叡の報告書『軍艦金剛土耳古国航海報告』(1891年)、『軍艦比叡土耳古国航海報告』(1893年)(ともに海軍省水路部)も刊行されている。
複製:『明治シルクロード探検紀行文集成 第10巻』東京、ゆまに書房、1988【GE84−E1】
吉田正春

旅行者:吉田正春(1951-?)
渡航先:イランなど
渡航時期:明治13年(1880)-14年(1881)

◆12) 『波斯之旅 回疆探検
吉田正春著、東京、博文館、明治27.4、191p+地図
【YDM26808】(44-208)
当時国交が無かったペルシャからの使節団派遣要請を受けて、外務省御用掛の吉田を団長とする使節団が結成された。商況調査を目的としていたので、陸軍軍人の古川宣誉の他に、四人の商人が同行していたが、慣れないキャラバンでの移動は困難を極めたという。本書は、吉田が外務省に提出した報告書を元に抜粋・加筆されたもの。なお、古川の旅行記『波斯紀行』(1891年、参謀本部発行)も出版されている。
複製:『明治シルクロード探検紀行文集成 第2巻』東京、ゆまに書房、1988【GE84−E1】など
河口慧海

旅行者:河口慧海(1869-1945)
渡航先:インド、チベット、ネパール
渡航時期:明治30年(1897)-36年(1903)

◆13) 『西蔵旅行記
河口慧海著、東京、博文館、明治37、2冊
【YDM26629】(292.29-Ka754t)
インドでチベット語を学んだ河口は、1901年に日本人で初めて、当時鎖国中であったチベットに国籍を隠して入国し、ラサのセラ寺で2年間チベット仏教学を学んでから帰国した。本書は、その際の旅行記である。また河口は、大部のチベット語・梵語仏典をはじめ膨大な文物を日本に将来したが、それらの一部は『河口慧海師将来西蔵品図録』(画報社、1904年)で見ることができる。
復刻:『チベット旅行記』全5巻、東京、講談社、1993【GE431-E44】など
大谷探検隊

旅行者:大谷探検隊(第1次)
渡航先:西トルキスタン、アフガニスタン、インド、ビルマなど
渡航時期:明治35年(1902)-37年(1903)

◆14) 『印度撮影帖
本願寺室内部編、京都、本願寺室内部、明治37.4、1冊
【YDM26755】(83-301)
西本願寺22代目法主大谷光瑞(1876-1948)は、仏教東漸のルートを踏破し、仏教遺蹟の調査・仏教文物の収集することを目的として、探検隊を3度中央アジアに派遣した。その第一次探検隊のうち、西トルキスタンからパミールを越え、カシュガルから南下してアフガニスタン・インドへ入るルートをとった光瑞自身が率いる一隊が撮影したとみられる写真集。訪れた街の風景や、各地に残る仏蹟の写真及び簡単な解説を掲載する。
徳富蘆花

旅行者:徳富健次郎(蘆花)(1868-1927)
渡航先:エルサレム、トルコ、ロシアなど
渡航時期:明治39年(1906)

◆15) 『順礼紀行
徳富健次郎(蘆花)著、東京、警醒社、明治39.12、475p
【YDM96105】(94-473)
作家である徳富が、エルサレムなどのキリスト教の聖地を巡歴し、そしてロシアのヤースナ・ポリャーナにかねてから傾倒していた文豪トルストイを訪問した際の旅行記。トルストイと過ごした5日間は、徳富のその後の創作活動に大いに影響を与えたという。なお、徳富はロシアからの帰路に、シベリア鉄道を利用している。
複製:『明治シルクロード探検紀行文集成 第19巻』東京、ゆまに書房、1988【GE84-E1】など
シベリア鉄道
◆16) 『西比利亜鉄道旅行案内
東京、万国寝台急行列車会社、明治44、107+50p
【YDM26742】(82-473)
万国寝台急行列車会社は、ヨーロッパ各国政府・鉄道会社と契約し、日本とヨーロッパを結ぶ列車や汽船の切符を販売していた。本書は同社東京代理店が発行したもので、ウラジオストックからロンドンまでの鉄道事情及び沿線地域の旅行ガイドのほか、欧州航路・豪州・米国などの船旅のガイドも掲載する。また、ロシア語単語帳、英文による日本・朝鮮の主要都市及びホテルガイドも付されている。

3.「南進論」と「北進論」

明治時代は、アジアに進出して植民地化を進めるヨーロッパ列強諸国の圧力を、日本への脅威と捉えて、日本の海外進出を説くようになった時代でもあった。
地図の上で日本を見た場合、その位置を「太平洋の西北端」と見るか、「ユーラシアの東端」と見るかで、その捉え方は自ずと異なってくる。
日本を太平洋の西北端と捉えた場合、日本が進出する先は南洋諸島やオセアニア、東南アジアとなる。また、日本をユーラシアの東端と捉えた場合は、中国や朝鮮、東北アジアとなる。
明治の日本人たちも、様々な目的や思惑をもって、これらの地域を旅して、様々な記録を残している。それらの旅は、当然ながら当時の「南進論」や「北進論」を主張する政策や世論とも密接に関係していた。

志賀重昂

旅行者:志賀重昂(1863-1927)
渡航先:オーストラリア、ニュージーランド、南洋諸島、ハワイなど
渡航時期:明治19年(1886)

◆17) 『南洋時事
志賀重昂著、東京、丸善商社、明治20.4、196p
【YDM26779】(33-137)
志賀が、海軍兵学校の練習航海に赴く軍艦筑波に便乗して訪れた地域での見聞をまとめた紀行文。白人入植者に侵略される南洋諸島の地理・歴史・経済について詳述した上で、日本の南洋進出を説く。南洋諸国への探検・移民・経済進出を提唱する、明治20年代の「南進論」の魁ともいうべき著作である。
復刻:志賀富士男編『志賀重昂全集 第3巻』東京、日本図書センター、1995【US21-E70】
岩本千綱

旅行者:岩本千綱(1858-1920)
渡航先:タイ、ラオス、ベトナム
渡航時期:明治29年(1896)-30年(1897)

◆18) 『暹羅老士安南三国探検実記
岩本千綱著、東京、博文館、明治30.9、192p+図版
【YDM26768】(76-102)
東南アジアへの植民事業を計画していた岩本が、タイ留学中のやまもとしんすけと共に僧侶に変装し、タイのバンコクからラオスを経由してベトナムのハノイまで走破した際の記録。道中の出来事を面白おかしく記す一方で、各地の風俗を詳細にまとめている。山本はハノイで病死するが、彼は榎本武揚等から高岳法親王(平城天皇の皇子で、唐から天竺に向かったが、ラオスで没したと伝えられていた)御遺跡捜査の密命を受けていたという。
復刻:『明治シルクロード探検紀行文集成 第13巻』東京、ゆまに書房、1988【GE84−E1】
竹越与三郎

旅行者:竹越与三郎(1865-1950)
渡航先:中国、東南アジア、南洋諸島
渡航時期:明治42年(1909)

◆19) 『南国記
竹越与三郎著、東京、二酉社、明治43、374p+図版+地図
【YDM26774】(292.09-Ta516n)
当時衆議院議員であった竹越が、自らが主張する「南進論」を実地踏査により実証的に裏付けるために明治42年6月から9月にかけて行った、南洋視察旅行の紀行文。但し内容は、紀行文というより寧ろ、北進政策を非難し、渡航先の地誌、各国の植民政策の比較、日本の南進政策への提言などを詳述する政治的論説とも言うべきもの。発刊後、評判となり、版を重ねた。
複製:山下晋司他編『アジア・太平洋民族誌選集 15』東京、クレス出版、2002【G131-G75】
白瀬矗

旅行者:白瀬矗(1861-1945)
渡航先:千島列島
渡航時期:明治26年(1893)-28年(1895)

◆20) 『千島探検録
白瀬矗著、東京、東京図書出版、明治30.4、246p
【YDM23209】(76-23)
後に南極探検を行う(1910-1912年)ことになる白瀬が、千島開拓を目的とした海軍大尉郡司成忠を隊長とする千島探検隊に参加し、千島で2度越冬した際の記録。千島諸島の気候・動植物・漁猟や、当地に現れる密漁船等について詳細に記している。隊員の半数以上が死亡する過酷な探検だったが、当時は前出の福島のシベリア単騎横断と並ぶ壮挙と賞賛された。
複製:『千島探検録 シリーズ出にっぽん記 明治の冒険者たち第11巻』東京、ゆまに書房、1994【GE491-E32】
東亜同文会

旅行者:東亜同文会会員
渡航先:中国
渡航時期:明治33年(1900)

◆21) 『東亜同文会報告 第9回
東京、東亜同文会、明治33.7、52+65p
【YDM202554】(81-477)
東亜同文会(財団法人霞山会の前身)は、明治31年(1898)に設立された中国・アジアの調査研究、日本国内や中国、朝鮮半島でのアジアのエキスパート養成を目指した学校経営を目的とした団体(初代会長は近衛篤麿)。各地の会員からの近況報告や調査報告・評論等を集めて毎月発行されたのが本報告集(誌名は度々変更された)。本報告発行の翌年、同会が上海に設立した東亜同文書院は、学生の中国調査旅行を精力的に実施した。
団体旅行

旅行者:ツアー応募者合計374名ほか
渡航先:満州、韓国
渡航時期:明治39年(1906)

◆22) 『ろせった丸満韓巡遊紀念写真帖
朝日新聞写真班撮影、東京、東京朝日新聞会社、明治39.10、図版133枚
【YDM26674】(22-376)
日露戦争後、朝日新聞社が主催した満洲・韓国への戦跡巡拝のツアーが、明治39年7月25日から8月25日にかけて行われた。船は、神戸を出発し、プサン、ソウル、ピョンヤン、大連、旅順などに寄航している。本書は、随行カメラマン撮影のツアー写真集。この種の満洲旅行ブームは、大正末期から目立ち始め、昭和15年まで続いた。
修学旅行

旅行者:東京師範学校関係者合計192名(職員21名、学生168名、雇い人3名)
渡航先:中国
渡航時期:明治39年(1906年)

◆23) 『遼東修学旅行記
東京、東京高等師範学校修学旅行団記録係、明治40.7、730p
【YDM26707】(76-237)
日露戦争後、幾つかの学校が、陸軍の斡旋もあって日露戦争の戦跡視察を目的とした満洲・朝鮮への修学旅行を行った。本書は、明治39年7月13日から8月11日にかけて行われた、東京高等師範学校の有志修学旅行の報告書。一行は、大連・遼陽・奉天などに滞在し、現地の日本軍基地も訪問している。地理歴史部・博物部などの学習グループに生徒を分けており、それぞれのグループが行った実地調査などの報告書も掲載する。

参考文献

0. 全体に関わるもの
1) 朝日新聞社編『朝日新聞100年の記事にみる2 探検と冒険』
東京、朝日新聞社、1979
【GB411-88】
2) 「日本人の旅行記(1)〜(12)」
金子民雄、『日本古書通信』882-893、2003、各p.1
【Z21-160】
1. に関わるもの
1) 『海を渡った日本人』
岡部牧夫、東京、山川出版社、2002
【DC821-G182】
2) 『岩倉使節団の歴史的研究』
田中彰、東京、岩波書店、2002
【A99-Z-G178】
2. に関わるもの
1) 『近代日本とトルコ世界』
池井優・坂本勉編、東京、勁草書房、1999
【A99-ZT6-G1】
2) 『西蔵漂泊』全2巻
江本嘉伸、山と渓谷社、1993-1994
【GE431-E36】
3) 「明治の日本とイラン−吉田正春使節団(1880)について」『大阪外国語大学学報』70-3
岡崎正孝、1985、pp.71-86
【Z22-278】
4) 『中央アジアに入った日本人』
金子民雄、東京、新人物往来社、1973
【GE671-16】
5) 『福島安正のシベリア単騎旅行に関する大衆メディアの諸相−絵図をめぐって』
原山煌、(課題番号13021248「「満州国」時代を中心とする「満蒙」関係刊行物の研究」 平成13/14年度科学研究費補助金特定領域研究(A)(2)「東アジアの出版文化」研究成果報告書)、2003
【Y151-TR121-002】
6) 「徳富蘆花『順禮紀行』について」
布川純子、『成蹊人文研究』11、2003、 pp.1-14
【Z22-B89】
3.に関わるもの
1) 「新天地」への旅行熱(上)(下)」
高媛、『観光文化』25-6、2001、pp.28-31/26-1、2002、 pp.28-31
【Z5-204】
2) 「明治中期の「南進論」と「環太平洋」構想の原型−志賀重昂『南洋時事』をめぐって」
清水元、『アジア経済』32-9、1991、pp.2-20/32-10、1991、pp.27-44
【Z3-65】
3) 『ある明治リベラリストの記録 孤高の戦闘者 竹越與三郎伝』
高坂盛彦、東京、中央公論新社、2002
【GK134-G114】
4) 『東亜同文書院中国大調査旅行の研究』
藤田佳久、東京、大明堂、2000
【GE351-G97】
5) 「日本近代の朝鮮観−明治期の満鮮修学旅行をめぐって」
三谷憲正、『Gyros』11、2005、 pp.66-77
【Z71-L686】
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