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第140回常設展示 明治の息吹 -漫画・諷刺画から-

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第140回常設展示 明治の息吹 -漫画・諷刺画から-

キーワード:明治時代;旅行記;海外旅行;紀行;外国関係  カテゴリ:歴史・地理・哲学・宗教 件名(NDLSH):紀行;日本--外国関係  分類(NDC):290.9


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平成17年11月17日(木)~平成18年1月17日(火)


The Japan Punch

The Japan Punch 1878年7月号 表紙

はじめに

日本の漫画*の歴史は古く、法隆寺金堂の天井や正倉院に残る古文書の中にも戯画を見ることができます。また日本最古の漫画とされる、平安時代の『鳥獣人物戯画』のように、絵巻として残っているものも少なくありません。しかし、そのほとんどが肉筆画であったため、広く庶民の目にふれるということはありませんでした。それが、18世紀初頭には「鳥羽絵」という誇張やデフォルメを用いて日常をおもしろおかしく描いた墨書き漫画が広く人気を博し、江戸期以降の木版技術の発達も追い風となって、漫画は庶民にも浸透していきます。
そんな漫画が新たな展開を見せるのが、幕末から明治期にかけての、漫画・諷刺画の流行です。開国、倒幕、文明開化など、ダイナミックに躍動する時代を背景に、漫画が一つの表現形態として脚光を浴び、西洋の風を取り入れて多様化していきました。
今回の展示では、幕末から明治期にかけての近代の漫画・諷刺画の潮流をなぞりつつ、当時の日本の政治・文化の息吹を伝える資料をご覧いただきます。
激動の時代を、写真や文章ではない、漫画・諷刺画の視点から覗いてみませんか。

*ここでいう漫画はいわゆるカリカチュア——「事物を簡略な筆致で誇張し、また滑稽化して描いた絵」(『大辞林』より)を指します。戯画、諷刺画もほぼ同義。


資料をご覧になる場合のご注意

  • 【 】内は国立国会図書館の請求記号です。
  • 【YDM】【YA】【YB】から始まる請求記号の資料は、マイクロフィッシュまたはマイクロフィルムでの閲覧となります。展示期間中のご利用も可能です。
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  • 書誌事項の前の「◇壁面」はパネル展示をした資料、その他の「◆」は実際に展示した資料です。

� 幕末から明治時代前期(明治10年頃まで)

江戸期の開国以来、日本には西洋文化の波が寄せ始め、幕末から明治にかけてのこの時期は、古くからの習慣と新しい波の渦の中にあった。当時の漫画は、戯画や錦絵等の日本古来の表現を受け継ぎつつ、PunchThe Illustrated LondonNewsThe JapanPunch等に代表される西洋の諷刺の精神と表現に触れ、その影響を強く受けていった。ただし諷刺色は未だ弱く、社会や風俗を面白おかしく描いたものが中心だった。
当時外国人の目から描かれた漫画を見ると、西洋において日本の政治や文化はもの珍しく映り、好奇の目をもって研究され母国に伝えられていたことがわかる。一方で、幕末では未だ日本人像は明確ではなく、中国人と混同して描かれたようなものも散見される。日本国内では、例えば、初めてビールを飲んだ日本人の絵や、ファッションとしてやたらにメガネをかけたがる日本人の絵、廃刀令後も知らずに刀を差していた人が警官に咎められている絵などから、西洋文明と時代の変貌を受け入れつつ、時に戸惑い、混沌としている世相が見て取れる。

◇壁面1)The Illustrated London News. 1324号(1865年7月15日号)[複製]
Reprint Ed. Kashiwashobo Pub. Co. 1997
[William Little 1865刊の複製版]

【Z99-973】
ハーバート・イングラム(Herbert Ingram,1811〜60)によって創刊された、週刊のタブロイド版新聞。当時既に漫画を用いたジャーナリズムが発展していたイギリスらしく、諷刺的な絵を中心に据え、漫画雑誌的な性格を併せ持っていた。日本の開国以降、これまで西洋ではほとんど知られることのなかった日本の風俗や習慣、文化は興味をそそり、漫画の題材となって描かれていった。
 
images/The Illustrated London News.The Illustrated London News.
 
◇壁面2) 「世の中ごますり」『錦絵帖』 [複製]
錦絵 作者不詳 慶応頃  ★国立国会図書館デジタルコレクション(画像/
【寄別8-4-1-4】
幕末から明治初期の錦絵を集めた『錦絵帖』の収録作品の一つ。伝統的な多色刷りの木版画の手法で描かれており、日本人がこぞって西洋人にごまをすっているというストレートな諷刺が見て取れる。幕末から明治初期にかけては、このように、ユーモアのある諷刺や皮肉を交えた錦絵が盛んに描かれていた。
◇壁面3) 『寄笑新聞』 1号 [複製]
寄笑社 [明治8(1875)]
【WB43-184】
橋爪錦造主宰の漫画雑誌。月岡芳年(1839〜92)が毎号戯画・諷刺画を描き、11号まで刊行された。各号に一つのテーマ(1号は「金貸大評議」)を定め、文明批評とも言える内容を展開した。表紙のほか、本文中にも見開きで木版の狂画が描き添えられているのが特徴である。『團團珍聞』(展示資料7)や『驥尾団子』(壁面5)に少なからぬ影響を与えたとされる。
 
寄笑新聞寄笑新聞寄笑新聞
 

◆1) PUNCH. Vol.35
Punch Publications Ltd. 安政5(1858)
※国立国会図書館関西館の所蔵資料です
【Z52-B57】
イギリスで1841年に創刊された週刊の漫画雑誌。英国国内のみならず、国際関係にも広く目を向けた諷刺画を多く収録した。展示資料(Vol.35の1858年12月18日号)に初めて日本人の姿が登場し、それ以降も日本を描いた漫画が掲載されていった。

 

PUNCH.  Vol.35

 

 

       ◆2)Le Japon Illustre.
par Aime Humbert, dessinees par E. Bayard, H. Catenaci..., Eug. Ciceri, etc. Librairie de L. Hachette & Cie. 明治3(1870)
【B-103】
スイス遣日使節エメ・アンベール(Aime Humbert,1819〜1900)が描いた幕末江戸の風物誌。アンベールは日本における市場開拓を目的とした修好通商条約締結のため文久3年に来日し、約10ヶ月滞在したが、その傍ら日本の実情・社会や歴史・風俗などを観察・調査し、見聞録として纏め上げた。日本人の持つ精神や内面にまで踏み込んで鋭く分析し、独自の評価を交えつつ淡々とした書きぶりで文章が綴られている。当時の将軍から民衆の暮らしまでを描いた緻密な図絵が豊富に挿入されており、諷刺的な要素は薄いが、幕末の日本の風俗、習慣などをうかがい知ることができる貴重な資料である。
◆3)The Japan Punch. 明治10年3月号
-- [s.n.], 明治10(1877)
【F-202】
The Illustrated London News(壁面1、展示資料4)の美術通信員として来日したチャールズ・ワーグマン(Charles Wirgman,1832〜91)により横浜の外国人居留地で発刊された日本初の漫画雑誌かつ、初の英文雑誌。居留民に圧倒的な人気を博し、明治20年までの25年間に渡って発刊された。名称からもわかるように、ワーグマンの母国イギリスのPunch(展示資料1)のスタイルをまねて作られている。後に諷刺画を「ポンチ」と呼ぶようになったのは、ここに由来があるとされる。
展示資料(明治10年3月号)は、「政府軍が西郷軍(薩摩芋)を食べる」光景から、西南戦争に対する諷刺をしたもの。
◆4)『描かれた幕末明治 イラストレイテッド・ロンドン・ニュース日本通信1853-1902』
金井円編訳 雄松堂書店 1973
[The Illustrated London News 1842-刊を部分抜粋・翻訳編集したもの]

【GB354-30】
The Illustrated London News(壁面1)に掲載された日本関係の記事と挿絵を拾い集め、翻訳した資料。展示資料は、1865年7月15日号(壁面1に同じ)の一部分。日本の元旦の風景として、羽子板遊びをする人々や、日本の役人が年賀訪問に向かう生き生きとした様子などが描かれている。
◆5)「江湖新聞」『もしほ草 横浜新報』 慶應4年4月7日号
小野秀雄解題校訂 明治文化研究会 1926
[福地源一郎 慶應4刊の合刻・複製]

【070.21-M879-O】
長崎奉行所の通詞を務めたこともある福地源一郎が主宰した新聞。同時期に創刊した『もしほ草』の独逸式連邦政治論に対し、英国式の憲法政治論を唱えた。論文時評のほか、「當時の如何なる新聞にもある外字新聞の飜訳の外に、徳川家に集る公文書が多い、殊に俳優に関する記事は此新聞程詳しいものはない」(本誌解説より)という点に特徴がある。また、新聞に挿絵が入っていることは、『もしほ草』と並んで当時の新聞では珍しいことであった。展示資料(慶應4年4月7日号)には、「西洋新聞紙中ポンチといふものありこれは鳥羽絵の風にて・・・」との記述があり、この記事の戯画に“ポンチ”という言葉が紹介されている。
◆6)『安愚楽鍋 牛店雑談 一名,奴論建』
仮名垣魯文 日本近代文学館 1984 (秀選名著複刻全集近代文学館)
[誠至堂 明治4刊の複製版]

【W125-211】
文明開化期の混沌した世相を、仮名垣魯文(1829〜94)が鋭い諷刺や皮肉を交えて記した読み物。挿絵は河鍋暁斎が担当した。明治に入って、それまでは牛肉を口にすることのなかった人々が食生活の「文明化」を求めて牛鍋屋に集まってくる様子を、ユーモアを交えて綴っている。
 
安愚楽鍋
 

II 明治時代中期(明治10年頃〜日清戦争前後)

この時期の日本は、近代国家体制の形成へ向けて躍動していた。明治22年の憲法発布、23年の国会開設による幕引きまで、社会は自由民権運動の活気に溢れ、対外的には不平等な条約を改正しようとするエネルギーに満ちていた。27年には日清戦争が勃発。軍国主義の台頭と、検閲、言論統制による弾圧が厳しくなるが、漫画界はその弾圧にも屈しないエネルギーを呈していた。
当時の漫画は、ジャーナリズムと密接な関係があった。例えば、福沢諭吉は、欧米諸国を訪れた際にジャーナリズムの中で使われる漫画を見て、大衆に思想を広めていくのに漫画は極めて有効な手段ということに気付き、自身の思想を広めるべく今泉一瓢や北沢楽天などを世に送り出している。また、イギリスにてPunchThe Illustrated London News 等週刊ジャーナリズムの隆盛を見た野村文夫も、帰国後に洋画家の本多錦吉郎を見出し、『團團珍聞』発行への足がかりとしていた。
このように、自由民権運動の高まりや戦争への気運を高める手段など、大衆を啓蒙する手段としても、漫画は有効に使われていったのである。

◇壁面 4) 『團團珍聞』 創刊号 [複製]
團團社 明治10(1877)
【YA-935】

◆7) 『團團珍聞』 530号
本邦書籍 1982
[團團社 明治19刊の複製版]

【Z13-2488】
野村文夫により、イギリスのPunch(展示資料1)をまねて創刊された明治の代表的な時局諷刺雑誌。明治10年に創刊された後、30年にわたって大人気を博した。一部5銭*という販売価格も一般庶民に親しまれた要因の一つであろう。誌名は梅亭金鵞が命名し、“團團”とは伏字の○○(まるまる)を意味している。明治8年の新聞紙条令によって言論・表現の自由が制限されて以来禁句をそう表現したことに由来する。本多錦吉郎や小林清親、ビゴーや田口米作などの有名な画家が画を描き、自由民権運動の潮流に乗って、戯画・戯文で藩閥政府を痛烈に批判した。なお、團團社では諷刺画を「狂画」「於東京絵(おどけえ)」と称している。
壁面4は本田錦吉郎(1850〜1921)による創刊号の表紙、展示資料(530号)は小林清親(1847〜1915)の「思想の積荷」。国会の開設に向けての各階層の思惑が描かれている。
*白米10kgの標準小売価格(東京)は、明治15年82銭、明治20年46銭、明治25年67銭。『値段史年表』【DF58-E5】より。

團團珍聞

 

◇壁面5) 『驥尾団子』 2号 [複製]
團々社 明治11(1878)
【YA5-1184】
『團團珍聞』の姉妹紙。元々は『團團珍聞』の付録であったが、その人気ぶりから明治11年より独立して発行されるようになった。『團團珍聞』が発禁処分を受けた時の“身代わり新聞”の役割も有していたが、政府が新聞紙条例の改訂を行った際、抗議の思いを込めて「自害」を決行、明治16年5月に235号で廃刊した。
壁面5は、1〜4号にかけて梅亭蕩人が連載した「妄想未来記」のうちの2号。当時から100年後(明治111年、つまり1978年)頃の社会の想像 図である。
 
驥尾団子
 
◆8) 『清親ポンチ絵画帖
小林清親筆〔小林鉄次郎〕 〔188-〕 ★近デジ
※マイクロフィッシュ【YDM300604】でのご利用となります
※資料保存のため、会期途中にページ替えを行います
【YR12-123】
小林清親が明治14年から刊行し始めた版画「清親ポンチ」シリーズを集めたもの。当時の東京市民の滑稽な生活風景を描いたもので、それぞれは独立した作品となっている。「清親ポンチ」のほか、作品によっては「清親保ん知」、「清親放痴」など駄洒落風に名づけられている。
◆9) 『明治の面影・フランス人画家ビゴーの世界』
川崎市市民ミュージアム 2002
[『トバエ』掲載部分の展示]
【KC16-G3069】
『トバエ』はフランス人画家ジョルジュ・ビゴー(Georges Bigot,1860〜1927)が横浜の外国人居留地にて発刊した時局諷刺雑誌(当館未所蔵)。ビゴーは、浮世絵の技術や日本の文化を学ぶために来日したが、その滞在が長期に及んだため、経済基盤を安定させるために時局諷刺雑誌を創刊したとされる。『トバエ』の中でビゴーは、外国居留民の立場から条約改正は時期尚早だとして明治政府を批判しており、条約改正反対の気運を盛り上げる意図が背後にあったと言われている。『トバエ』に掲載された漫画は当時大変な評判を呼び、この影響からワーグマンのThe JapanPunch(展示資料3)は、『トバエ』の発行の翌月にその役目を『トバエ』に譲るような形で終刊している。ビゴーの代表作「漁夫の利」、「ノルマントン号事件」などもこの雑誌に描かれている。
◆10) 『浮世珍聞』 6号
三成社 明治23(1890)
【雑61-627】
名古屋にて出版された政治諷刺雑誌。生皮亭道楽山人が“道楽仲間”を集めて発行した旨が、創刊号の序文に書かれている。創刊号は「洒蛙説」「戯書」「妙智奇林」「阿茶歌詩」「挿画(ポンチ)」から構成されており、文章主体で所々に諷刺画を挿入した形式の諷刺雑誌であった。展示資料は、こく海屋(国会)で餡(案件)が山積みになっているありさまを描いている。
◇壁面6) YokohamaBallads. [複製]
illustrated by G. Bigot. -- A. Culty,[19--?]
【Sd-127】
条例改正による居留地廃止を目前にして帰国を決意したビゴーが、その帰国直前に書き、帰国の翌年の明治33年に母国フランスで刊行した詩画集。絵入りで描かれた6編の詩から、日本に絶望し帰国するまでのビゴーの心理状態がうかがえる。
 
Yokohama Ballads.
内表紙
 
◆11) 『警官のたぼう』
ビゴー[他]  真珠社 1963
[Lajournee d'un policeman aTokio 明治23刊の豆本複製版]

【734-cB59k】
東京の街角で見かける普通の警察官たちの生活を描いた漫画集。ロンドン発行の画報紙『ザ・グラフィック』明治24年6月20日号に、「『警官のたぼう』は日本人をユーモラスに描いた本として大変評判である」とこの本が紹介されている。
◆12) 『東京の芸者の一日』
ビゴー[他]  真珠社 1962
[Lajournee d'une guesha aTokio 明治24刊の豆本複製版]

【734-cB59t】
高級官僚や実業家などを相手として仕事をしている姿や芝居見物、指圧をしてもらっている光景など、芸者の私生活を描いた画集。永井荷風はこの画集を愛蔵し、この画集の一図「仕事と楽しみが両立する男」を随筆集『冬の蝿』の巻頭口絵に使用している。
◆13) 『日清戦争漫画』
耕書堂 明治28(1895)
※マイクロフィッシュ【YDM70319】でのご利用となります
【特28-699】
和綴じの“ポンチ”本で、日清戦争勃発を受け、戦争の気運を高めようと発行されたものだと考えられる。
日清戦争は日本にとって最初の本格的対外戦争であり、その相手は東洋の大国として君臨する清国であったため、戦況は国民の注目の的であった。『團團珍聞』などの時局諷刺雑誌にも日清戦争をテーマとした漫画が多数描かれた。また、清国諷刺を目的に暫く衰退していた錦絵も多数版行され、この一時期再興している。
◆14) 『ポンチ絵ばなし 第2編』
矢矧佑一郎 右文社  明治27(1894)
※マイクロフィッシュ【YDM70496】でのご利用となります
【特63-344】
明治20年代末から日露戦争期にかけてから盛んになった、和綴じの“ポンチ”本の一つ。表紙は色刷りだが中身は単色の場合が多い。日清戦争で盛んになった戦争錦絵に代わる浮世絵師の新しい仕事として目をつけられたとも考えられる。
◇壁面7) 『滑稽画談 第2編
◆15) 『滑稽画談 第2編
田口米作 團團社 明治29(1896) ★近デジ
※マイクロフィッシュ【YDM69867】でのご利用となります
【特67-63】
田口米作(1864〜1903)は小林清親の弟子で、日清戦争の頃から戦争をテーマにした錦絵で注目を集めるようになる。また、清親の去った『團團珍聞』には、似顔絵やヨーロッパで流行りだした手法を効果的に用いた漫画を毎号執筆していた。師の清親が重厚な石版画を多用したのに対し、米作は絵筆を使った軽妙な作風で人気を得た。
『滑稽画談』は、「長短之巻」と「四睡之巻」の二巻から構成された多色木版刷りの和綴じ漫画本で、一行程度のキャプションと絵で構成されている。1冊35銭。
 
滑稽画談

 

� 明治時代後期(日清戦争以降)

日清戦争によって賠償金と大陸の新市場を得た日本の資本主義は、急激な発展を続けていた。明治30年代に入ると、北沢楽天のような明治生まれが新しい画風の漫画を描き出すようになる。この頃はまた、労働環境の変化などを受けて社会主義思想が台頭し始め、小林清親や宮武外骨らは、その思想を漫画によって啓蒙するために力を貸していた。
明治中期以降の漫画史で特筆すべきは宮武外骨であろう。自分が主宰した雑誌に権力諷刺の漫画を掲載し、たびたび弾圧を受けた。手始めに、時局諷刺雑誌『頓智協会雑誌』に掲載された、安達吟光の「大日本頓智研法発布式」が不敬罪に問われて発禁処分を受け、重禁錮3年、罰金100円の刑を言い渡される。その後外骨は東京の厳しい目を避けるため活動の場を大阪に移し、明治34年に『滑稽新聞』を発行する。この雑誌は辛辣な諷刺画と文章で大評判となり、各地に読者を獲得して販売部数を飛躍的に増加させていった。
その人気に刺激を受けて明治38年に創刊されたのが北沢楽天の『東京パック』である。全ページカラーの大型漫画雑誌は、これまでの漫画雑誌のスタイルを一新するものであった。『滑稽新聞』『東京パック』の成功は漫画雑誌ブームを巻き起こし、これ以降さまざまな漫画雑誌が創刊されていく。
その後明治43年に大逆事件がおきると、言論界は沈滞し、漫画も活力を失ったまま明治時代は終わりを迎える。大正時代に入ると、新聞漫画を中心に再び漫画が活気付きだし、新たな時代を迎えてゆくことになる。

◇壁面8) 『時事新報』 明治31年1月13日号 [複製]
時事新報社 明治31(1898)
※マイクロフィルム【YB-65】もしくは復刻版【Z99-720】でのご利用となります
【新-3】
『時事新報』は“絵でもって大衆を動かすのは漫画以外にない”と考えていた福沢諭吉が主宰した新聞。福沢諭吉は、自分の遠縁にあたる今泉一瓢(1865〜1904)や北沢楽天を迎えて盛んに漫画を描かせた。一瓢は、アメリカ諷刺漫画の影響を受け、ペンを用いた簡潔な線、明快な内容を持つアメリカンスタイルの漫画を描いた。
壁面8の漫画は、中央新聞と東京日日新聞は御用新聞であると諷刺した作品である。また、紙面からは当時の新内閣の組閣など、時代をうかがうこともできる。定価は1部3銭、月ぎめで65銭。
◆16) 『教育いろは談語
小林清親 武川清吉 明治30(1897) ★近デジ
※マイクロフィッシュ【YDM300603】でのご利用となります
※資料保存のため、会期途中にページ替えを行います
【YR12-126】
小林清親が骨皮道人と組んで版行した、恐らく最後の錦絵シリーズ。明治23年に発布された教育勅語をもじったタイトルである。庶民生活への戒めをことわざの中からテーマを取り、それに世相描写を加えている。骨皮の解説文も、現代の駄洒落に近いものである。このシリーズはいろは順に刊行されていったが、最後まで刊行されたかどうかは不明(国立国会図書館では「そ」まで所蔵)。
◇壁面9) 『滑稽新聞』 173号 [複製]
赤瀬川原平 吉野孝雄 筑摩書房 1986
[滑稽新聞社 明治41刊の複製版]

【Z24-727】
◆17) 『滑稽新聞』 150号
赤瀬川原平 吉野孝雄 筑摩書房 1986
[滑稽新聞社 明治40刊の複製版]

【Z24-727】
明治34年にジャーナリスト・出版人として活躍していた宮武外骨が主宰した雑誌。宮武は、少年時代に凹凸亭飄々と名乗り、『團團珍聞』や『驥尾団子』へ投稿していた経験をもつ。これらの雑誌を手本に『滑稽新聞』を創刊したものと考えられる。社会主義の影響を強く受け、官僚政治を痛烈に批判したものが見られる。言論への弾圧が厳しくなり、発禁処分を多く受けた。この雑誌の成功が滑稽雑誌ブームを呼び、後の『東京パック』、『上等ポンチ』、『滑稽界』などに続いた。
壁面9の173号は「自殺号」。度重なる摘発に対し自ら本誌を終刊させたのは、『驥尾団子』の「自害」に影響を受けた、外骨流のパフォーマンスであろう。
◆18) 「日ポン地」 『風俗画報』 15編
東陽堂 明治38(1905)
※資料保存のため、会期途中にページ替えを行います
【雑23-8】
明治22年に創刊された『風俗画報』の臨時増刊号として発行された漫画雑誌。『風俗画報』には同時期に『征露圖會』という増刊号も出ていることから、対ロシア(日露戦争)を強く意識して出版されたと考えられる。編集の中心は戯文作家の鶯亭金升で、駄洒落入り漫画でにぎわっている。
◆19) 『東京パック』 3巻
東京パック社 明治40(1907)
※資料保存のため、会期途中にページ替えを行います
【雑13-3】
最初の職業漫画家とされる北沢楽天(1876〜1955)が創刊した明治の代表的な漫画雑誌。英語、中国語が併記され、国際色を意識した漫画雑誌とも言える。楽天は、横浜の外国人居留地の新聞社で西洋の近代漫画のスタイルを学んだ後、明治35年から時事新報社の『時事新報』で「時事漫画」欄を担当して実力をつけ、『東京パック』で花形漫画家としての地位を得た。本誌には当時の政治・社会状況や、未来を予測した諷刺漫画が掲載され、また日露戦争の最中に全ページ色刷り、全ページ漫画、という画期的な内容と体裁で多くの人をひきつけた。月刊でスタートしたものがわずか一年で旬刊になったことからも人気のほどがうかがえる。以降、「○○パック」という言葉が大流行した。
◆20) 『漫画東京日記』
川端竜子 新潮社 明治44(1911)
※マイクロフィッシュ【YDM70514】でのご利用となります
【特61-487】
画学生の頃、『東京パック』の漫画を描くアルバイトをしたことのある川端竜子が『国民新聞』の小さな記事につけた一年分の挿絵をまとめたもの。迷子の男児がいたことや、電車の乗り逃げがあったことなどの日常の小さな事件に、擬人法などを用いたユーモアのある挿絵をつけている。
◆21) 『草汁漫画』
小川茂吉 日高有倫堂 明治41(1908)
※マイクロフィッシュ【YDM70165】もしくは複製版【KC486-41】でのご利用となります
【22-440】
本多錦吉郎に画技を学んだ小川芋銭(1868〜1938)による漫画・漫文集。芋銭は、自ら好んで農村に土着して素朴な農民の生活を多く描き、この本の出版以後も『平民新聞』を始めとする新聞雑誌に熱心に漫画・俳画を寄稿している。芋銭の絵は、次第に名声を得て毎日新聞・読売新聞・ホトトギスにも掲載されるようになり、大正期以降も画家として活躍していった。
 
草汁漫画
 

主要参考資料

『漫画雑誌博物館』
1-12(明治—昭和時代篇)  国書刊行会 1986
【YQ11-536】
『明治大正諷刺漫画と世相風俗年表』
岩崎爾郎 清水勲共著 自由国民社 1982
【GB415-70】
『嘲笑絵世界への旅 : 諷刺の漫画館』
清水勲著 中央公論社 1982
【KC486-171】
『漫画に描かれた明治・大正・昭和』
清水勲編著 新装版 ニュートンプレス 1998
【GB411-G69】
『「日本」漫画の事典』
清水勲著 三省堂 1985
【KC486-245】
『近代漫画』
1−6 筑摩書房 1986
【KC486-239】
『新聞集成明治編年史』
第1-15巻 財政経済学会 1934-1936
【210.6-Sh61ウ】
『外国漫画に描かれた日本』
清水勲 湯本豪一 丸善 1994 (丸善ブックス ; 14)
【GB411-E64】
『諷刺画研究』
日本諷刺画史学会編 美術同人社 1992
【Z11-2388】
『日本近代漫画の誕生』
清水勲 山川出版社 2001
【KC486-G691】
『図説漫画の歴史』
清水勲 河出書房新社 1999
【KC486-G432】
『日本の漫画300年展解説図録』
川崎市市民ミュージアム企画・編集 川崎市市民ミュージアム 1996
【KC486-G124】
『明治の漫画・風刺画展』
浮世絵太田記念美術館 1980
【KC486-97】
『明治漫画・風刺画展』
町田市立博物館 1978 (町田市立博物館 ; 第14集)
【KC486-E534】
『近代日本漫画百選』
清水勲 岩波書店 1997 (岩波文庫)
【KC486-G133】
『日本漫画史』
上巻 石子順 大月書店 1979
【KC486-85】
『幕末日本図絵』
上下巻 アンベール[他] 雄松堂書店 1969 (新異国叢書; 14,15)
【GB391-21】
『ワーグマン日本素描集』
清水勲編 岩波書店 1987
【KC16-1987】
『ワーグマンとその周辺』
重富昭夫 ほるぷ出版 1987 (ほるぷ現代ブックス; 13)
【GK517-E1】
『ジョルジュ・ビゴー展』
美術館連絡協議会 1987
【KC16-E34】
『ビゴー画集』
解説:酒井忠康 岩崎美術社 1973 (双書美術の泉 ; 19)
【KC16-274】
『明治漫葉集』
清水勲,湯本豪一 文芸春秋 1989
【GB415-E11】
『「団団珍聞」「驥尾団子」がゆく』
木本至 白水社 1989
【UC23-E7】
『小林清親展:明治の浮世絵師』
小林清親[画] 静岡県立美術館 1998
【KC16-G1721】
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