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第152回常設展示 辞書を片手に世界へ--近代デジタルライブラリーにみる明治の語学辞書
キーワード:語学辞書;辞典;明治時代;外国語 カテゴリ:芸術・言語・文学 件名(NDLSH):辞書--歴史 分類(NDC):803
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平成20年2月21日(木)〜平成20年4月15日(火)
目次
はじめに

19世紀半ばに長い鎖国から解き放たれた日本人は、西洋文明の進歩に目を見張り、貪欲に海外の文物を吸収して「文明開化」に努めました。当時の人々が実際に外国に赴き、あるいは書物を紐解いて海外の知識を学ぶ際に“道しるべ”としたのが語学辞書です(ここには簡易な語彙集も含みます。)。
様々な動機から外国語を学習しようとした多くの人々が用途に応じた語学辞書を求めた結果、語学辞書は一般の人々にとっても徐々に身近なものとなっていきました。英語、フランス語、ドイツ語を初めとして、中国語や朝鮮語など今日おなじみの様々な言語について語学辞書が用途に応じて作製されるようになったのも明治時代のことです。
今回の展示では、明治時代の人々がその国や言葉をどのようにとらえ、何を求め、何を理解しようとしていたのかということを垣間見ることができる語学辞書をご紹介します。
*今回の展示資料は、「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」で全文をご覧いただくことができます(一部のパネル展示資料は除きます。)。
凡例
- 展示資料には(1)〜(27)までの通し番号を、パネルには(A)〜(J)までのアルファベットを付けています。
- 本文中【 】内の記号は、国立国会図書館の請求記号です。
- 資料名のあとに[近代]とあるものは、当館のホームページ内「近代デジタルライブラリー」で画像をご覧になれます。タイトルにはられたリンクからご利用ください。
- 引用するにあたっては、原文をそのまま引用しましたが、新字・旧字の判読が困難な文字及び変換が困難な文字については、新字で記述しています。
第1章 英語
明治期に英語はオランダ語に代わって外国語学習の主流となりました。英学が西洋の先進文化を摂取する目的で学習され、日本の近代化に大きな役割を果たすともに英語辞書は大きく発展、本格的な辞書からポケット版まで、多種多様な辞書が刊行されるようになります。
本章では明治期に刊行された主要な英語辞書を、英和辞書と和英辞書とに分けてご紹介し、その発展の過程を追っていきます。
第1節 英和辞典
1808(文化5)年、イギリスの軍艦フェートン号がオランダ船捕獲のため長崎を襲った「フェートン号事件」で幕府は英語の知識の必要性を痛感しました。長崎の通詞たちに英語の修学を命じ、1814(文化11)年には幕命による『諳厄利亜語林大成(あんげりあごりんたいせい)』(複製本:【W142-46】)が完成します。これが英和辞典の原点となりましたが、実質的には単語集でした。本格的な英和辞典の登場は開国直前まで待たねばなりませんでした。明治期中ごろから米国系の百科事典を底本に編纂されたものが人気を博していきます。
東京 : 蔵田屋清右衛門, 1869(明治2)年
【YDM83058】[近代]
1862(文久2)年の日本初の英和辞典『英和対訳袖珍辞書』の改訂増補版。「袖珍」はポケットの意。英蘭辞書のオランダ語を日本語に訳したもの。初版でも英語見出し35,000語に及び、2両2朱という高額(当時、お米が150キロ買えるほど)にも拘らず200部が数日で売り切れたという。明治初期の英学普及に大きな役割を果たした。(定価記載なし)
Shanghai : American Presbyterian Mission Press, 1871 (明治4)年
【YDM300679】[近代]
薩摩出身の学生であった、前田正穀、高橋良昭が外国留学の資金調達のために『英和対訳袖珍辞書』をそのまま復刻した通称「薩摩辞書」の第2版(『英和対訳袖珍辞書』初版から通算して第4版)。綴り字に補助記号をつけ、アクセント記号をアクセントのある音節の後におく「ウェブスター式符号」が日本で初めて採用された。以後、大正年間に至るまで、発音表記はほぼウェブスター式が使われた。約40,000語を収録。(定価記載なし)
横浜 : 日就社, 1873(明治6)年
【YDM83012】[近代]
明治時代の英和辞典の基本形となる、米国系辞書の翻訳と発音記号を組み合わせた日本初の挿絵入りの辞書。前掲(A)と並んで明治前期に広く普及し、後続の英和辞書にも大きな影響を与える。約55,000語と約500の挿絵を収録。(定価8円)
東京 : 東洋館, 1884(明治17)年
【YDM300004】[近代]
『哲学字彙』(1881(明治14)年 当館未所蔵)の改訂版。専門辞書の範疇に入るが、英国人W. Flemingの学問用語辞典を基に編纂され、日本語になかった抽象的な専門語・学術用語の訳が集大成される(例えば意識(consciousness)、機能(function)、哲学(philosophy)など)。この辞書から訳語が大きく進歩した。約2,700語を収録。(定価記載なし)
東京 : 金港堂, 1887(明治20)年
【YDM83046】[近代]
Slang Dictionary, Etymological, Historical, and Anecdotal (J.C.Hotten著 1873(明治6)年 当館未所蔵)に準拠するスラング辞書。双解とは英語、日本語両方の訳が記載されているということで、訳語による意味のずれを正すことが出来るという点で有益で、明治期に人気があった。(定価1円)
東京 : 大倉書店, 1888(明治21)年
【YDM300678】[近代]
明治20年代、30年代を通してウェブスター辞書の翻訳が人気だった。本書はアメリカのWebster’s Unabridged Dictionary(Merriam 1864)からの訳出で、不規則動詞変化表、略語、度量衡などを記した付録がついている。また小型厚手の辞書で使い勝手が良くなっている。約80,000語収録。(定価2円80銭)
東京 : 三省堂, 1888(明治21)年
【YDM82941】[近代]
(3)と同様Webster’s Unabridged Dictionaryから訳出した小型辞書で広く使われた。共訳者の一人であるイーストレーキ(F. W. Eastlake)は米国人語学教師。本文は品詞、訳語、用例。(定価3円)
東京 : 三省堂, 1902(明治35)年
【YDM83104】[近代]
各界一流の学者5名を編者にし、訳語がより近代的性格を帯びるようになる。学術専門語の付訳は各分野の専門家に依頼するという三省堂の基本方針に拠ったもので、前掲の辞書同様百科事典的性格が強いが、記述がより詳しくなっている。神田乃武は英語教育家で、より語学的要素の強い『模範英和辞典』(三省堂 1911(明治44)年 当館未所蔵)の編者の一人である。
◆コラム◆明治人の「常識」
今日、我々が用いる言葉には如何にカタカナ語が多いことでしょうか。ソリューション、イノベーションなど難しげな用語があふれ、さらにはITなどアルファベットの略語がそのまま用いられている場合もあります。
こうした外来語が一般に普及するようになったのが明治時代です。明治末期には既に舶来語が新聞、雑誌にあるいは会話に常用され、これを理解しなければ、「社交上遜色あるを免れざるべく、コンモンセンスを養う上にも事缺くに至るべし」という状況でした。
このため、「談笑の寸閑を利用し得る袖珍の」教養書として売り出されたのが『日用舶来語便覧』(棚橋一郎, 鈴木誠一著 東京 : 光玉館, 1912(大正1)年 【YDM78034】)です。各界から蒐集・選別した舶来語約1,500につき原綴、原語国と一般的な解釈を示した便覧で、附録にはアルファベット書体や欧文手紙の書き方から通信や税法の要領までと「国民必須の要項」20件を掲載しています。英語の看板標示まで国民必須の知識とされている点にも興味を覚えます。
第2節 和英辞典
当時は欧米文化の吸収に専念し、英語の解釈用として英和辞典の需要が高かったため、和英辞典は英和辞典より発達が遅れていました。日本初の和英辞典は日本語を学習する外国人のための“日英辞典”、J. C. Hepburnの『和英語林集成』 (1867(慶応3)年 当館所蔵はロンドン版London:Trubner & Co.【833-cH52j2】)でした。本書に匹敵する本格的な和英辞典がなかったため、明治30年代まで日本の英語学習者の間で広く用いられます。そしてその後、日本人の英語学習者のために編纂した和英辞典へと発展していきます。
東京 : 岩崎松蘇〔ほか〕, 1871(明治4)年
【YDM78118】[近代]
和綴三冊の豆本で、五十音順日本語語源辞典に英単語を配したもの。(定価記載なし)
大阪 : 大野木市兵衛, 〔1872〕(〔明治5〕)年
【YDM300676】[近代]
節用集とは室町時代に成立した日常語の用字、語釈を示し、イロハ順に配列した国語辞書のこと。イロハ引き実用辞書の総称ともなった。本書はイロハ順に英訳をつけた絵単語帳である。英単語約400収録。当時は同様の絵単語帳が数多く刊行された。(定価記載なし)
大阪 : 嵩山堂, 1887(明治20)年
【YDM83153】[近代]
日本人の手による最初の本格的な和英辞典で、文語で作文する場合の語彙をあらたに訳語として選んだところに大きな特色がある『袖珍挿画 新譯和英辞書』(箸尾寅之助編訳, 上田貞次郎閲 大阪 : 嵩山堂〔ほか〕, 1887(明治20)年 【YDM83105】)の縮約版。なお、『袖珍挿画 新譯和英辞書』は植物・鳥獣類の図や解剖図も数多く描かれており、江戸期の本草学の影響を感じさせる百科事典としての側面も持つ。6.7×8.5cm。(定価記載なし)
東京 : 三省堂, 1896(明治29)年
【YDM204989】[近代]
「ヘボン辞書」以後初めての大辞典。ブリンクリーは新聞『ジャパンメール』の主筆となったアイルランド出身の大尉で英語教師。外国人学習者のために巻頭に日本語概要が付き、本文の記述方法も『ヘボン辞書』を踏襲している。百科事典的であり、日本の動植物や日本の事物について挿画がある。語彙約50,000語を採録し、以後明治の末までは最大の和英辞書であった。(定価記載なし)
東京 : 三省堂, 1911(明治44)年
【YDM83106】[近代](展示資料は Japanese-English dictionary = Shinyaku waei jiten. 9th ed. [1912]([明治45])年 【164-219】)
ヘボン辞書の影響を脱した日本人英語学習者向けの和英辞典。現在の表記法の原型となる。見出し語約20,000と少ないが、用例が多く、主として中学生(現在の高校生程度)の英作文、英会話の助けになることを目的としている。(定価1円60銭)
英語雑誌に掲載された、辞書に関する記事。明治後期に入手可能であった計10点の辞書を列挙。展示資料(3)、(4)、(8)も挙げられているが、中でも「ヘボン辞書」こと『和英語林集成』の根強い人気がうかがえる。
第2章 フランス語とドイツ語
明治時代に英語に次いで学習された外国語はフランス語とドイツ語でした。当時、この2ヶ国語は外交上の重要な言語であり、さらに啓蒙思想や哲学、法思想や制度、医学や化学、物理学など科学技術、そして軍事技術や軍制など先進文物の吸収に大いに活用されました。1872(明治5)年に学制が制定され、その後幾度かの改正を経て近代教育制度が確立していくと、私塾あるいは外国語学校で教授されていたフランス語、ドイツ語も、中高等教育課程に組み込まれ教授されていくようになります。
本章では、日本の近代化に多大な影響を及ぼしたフランス語とドイツ語の語学辞書と、フランス語とドイツ語に関連する専門分野の用語辞典を紹介します。
第1節 ドイツ語辞書の台頭
日本におけるフランス語やドイツ語の学習はそれぞれ1808(文化5)年と1860(安政6/万延元)年に始まったとされています。幕末には早くも日本最初の本格的仏和辞典といわれる『仏語明要』(達理堂 1864(元治元)年 (複製本:【W142-11】))が出版されるなどフランス語学習が先行していましたが、1872(明治5)年の普仏戦争におけるプロイセンの勝利以降、ドイツ語学習が急速に勢を伸ばし、辞典の種数でもフランス語を凌ぐようになります。
Changhai : Mission Presbyterienne Americaine, 1871(明治4) 年
【YDM84583】[近代]
好樹堂とは長崎の洋学者岡田好樹のこと。本書はM. Nugentの仏英辞典の英語訳を英和辞典で引いて訳語を充てたものである。訳語はまだ横組み縦書きであった。語彙数は約25,000語。本辞書は上海のアメリカ長老会印刷所で印刷され、1冊にまとまった美しい洋装の辞書として歓迎された。(定価記載なし)
東京 : 後学堂, 1887(明治20)年
【YDM204946】[近代]
一語一訳であった『孛和袖珍字書』(S.Oda,S.Fudjii,Yu.Sakurai[編] [東京] : 鈴木喜右衛門 1872(明治5)年 【KS272-H6】)など第一期の独和辞典と比べて訳語が多く、熟語も多数収載されている。語彙数は約45,000語。付録に不規則動詞表、数学語を付す。後掲(12)と並んで、明治中期に最も利用された学習独和辞典の1つである。(定価3円)
東京 : 大倉書店, 1889(明治22)年
【YDM205008】[近代]
語彙数約60,000語の中辞典。挿絵入りで、意義解説があり、漢字に振り仮名がつくなど初学者向けの手厚い配慮が見られる。附録に不規則動詞表、慣用略語の解説、人体解剖語彙(病名語彙)を収める。前掲(11)と本書の字体はラテン文字であるが、以降昭和初期まで本格的な辞書の殆どが難解な字体であるフラクトゥール(ドイツ文字、亀の子文字、ヒゲ文字などとも呼ばれる)を使うようになる。(定価2円25銭)
東京 : 仏学研究会, 1893(明治26) 年
【YDM204969】[近代]
本書は、兆民の私塾である仏学塾から刊行された大型辞書『仏和辞林』(“Dictionnaire universel francais-japonais”)([Futsugakujuku] [1887] 【443.9-F996df】)を圧縮したもので、主要語には数種の訳語や例文を挙げる。序言では、欧州の社交用語としてフランス語がいかに重要であるかが述べられている。兆民はわが国にフランス啓蒙思想を紹介し、「東洋のルソー」と呼ばれた自由民権運動の理論指導者である。(定価3円50銭)
東京 : 成美堂, 1899(明治32)年
【YDM84581】[近代]
「玻氏」(A. Bartels)の会話集から訳出したもの。Bartelsの会話集は明治前期の日本で多数再版され、訳書も多い。展示は「仏語に就て」の一節。フランス語は「現世の国語中で一番有用」としつつ、英語の方が「余程強い」(原文“plus expressive”, より表現力豊か)と言わしめているあたりには、フランス語に対する英語使用者の対抗意識が覗いている。(定価35銭)
東京 : 三省堂, 1898(明治31)年
【YDM84411】[近代]
初版は1896(明治29)年刊行。本書は独和ポケット辞典の先駆であり、小型ながら挿絵入りで、雅俗両様の訳語を載せている点に特徴がある。字体にフラクトゥールを使用。訳語では複数の意義を番号で区別して示す。附録に不規則動詞表、慣用略語の解説、ドイツの常用外国語を収める。(定価記載なし。初版は80銭)
◆コラム◆ドイツ正書法を取り入れて成功?
英語でもイギリスの“colour”とアメリカの“color”のように綴り方が違う例は散見されますが、近代に至るまで地域が分立していたドイツでは、地域によってドイツ語の綴り方にかなりのばらつきがありました。このばらつきを矯正したのが、ドイツ帝国成立後に行われた1901年のベルリン正書法会議です。“Thor”→“Tor”のように“t”の後に続くいわゆる「無用の“h”」の削除やドイツ固有の言葉やドイツ語化した外来語の“ph”を“f”に置き換えるなどのルールが定められました。
こうした成果を日本でいち早く取り入れた独和辞典が、『二十世紀独和辞書』(藤井信吉編 東京 : 金港堂 1907(明治40)年 【YD5-H-a843-8】)です。発音の長短高低、形容詞・動詞・前置詞の支配格をわかりやすく示すなど随所に工夫もみられ、この辞典は絶大な人気を博しました。翌1908年3月までに7版、1910年11月の訂正増補25版を経て、1912年11月までには何と43版に達しました。まさに明治期独和辞典のベストセラーと言えるでしょう。
第2節 専門用語の辞典
明治初期の高等教育や専門教育では、教官に欧米人を招聘していたこともあって、多くの授業が外国語で行われました。明治後期には大学の授業も日本語で行われるようになりますが、中学校や高等学校(旧制)では大学などへの進学のために外国語の授業に大きな比重が置かれました。その一方、専門家の手によって西洋の学術・技術導入に欠かせない用語の日本語(漢語)訳と訳語の選定・統一作業が進められていきます。
【医学・薬学用語】
(15) 新医学大字典 / 宮本叔, 恩田重信編
東京 : 金原医籍, 1902(明治35)年
【YDM57900】[近代]
専らドイツ医学書を読むために作られた辞典である。国内の主要な医学書を参照して訳語を選定し、その典拠を略字で示す。明治初年、大学東校(東京帝国大学医学部の前身)でドイツ医学を導入することを決定して以来、日本の医学はドイツの影響を受けて発達した。(定価3円50銭)
東京 : 小川写真製版所, 1900,1904(明治33,37)年
【YDM48885】,【YDM310932】[近代]
1900(明治33)年4月パリ万国大博覧会に出品するために製作された写真帳だが、大学の許可を請い出版・発売もされた。総長や教授陣の肖像、施設や授業風景などを写す。展示は解剖学教室の授業風景で、板書はみな横文字である。明治期医学教育の一端がここに見える。
【物理学用語】
東京 : 博聞社, 1888(明治21)年
【YDM55712】[近代]
山川健次郎、田中館愛橘、山口鋭之助ら当時の数学、物理学界を代表する学者が結成した「物理学訳語会」で選定された訳語を収録している。1888(明治21)年6月から英和仏独、和英仏独、仏和英独、独和英仏の各部が逐次刊行された。“Electricity”を“越歴學”と訳すなど今日の訳語と異なるものもあるが、物理学用語の定着に貢献した一書である。(定価40銭)
【軍事用語】
(17) 五国対照兵語字書
〔東京〕 : 参謀本部, 1881(明治14)年
【YDM51012】[近代]
オランダ軍人ランドルト(H. M. F. Landolt)の仏独英蘭4ヶ国語対照の陸海軍術語辞典を底本とし、西周らが翻訳して5ヶ国語対照としたものである。見出し語はフランス語で附図もある。明治初期の陸軍はフランス式軍制を採用していたが、本書の刊行から数年後には軍制をドイツ式に改編した。(定価2円12銭)
(H) 独和兵語会話 / 中目忍, 黒田岩之助編
東京 : 南江堂, 1896(明治29)年
【YDM84526】[近代]
陸軍諸学校の教材用を意図して作製された会話集。軍事用語と軍事会話編とから成る。軍人が情報の収集や伝達を行う際の会話場面を想定して作製されている。(定価記載なし)
【法律用語】
(18) 袖珍独和法律辞典 / 沢井要一, 宍戸深蔵著
東京 : 帝国独逸学会, 1906(明治39)年
【YDM29811】[近代]
明治政府が、自由民権思想に対抗し、国権重視のドイツ法思想に傾注していく中で「我が邦の法律にして独逸法に倣わざるものなく」、独逸法を研究するために独和法律辞書が求められていた。本書は法律用語の独和豆辞書で、邦語索引により和独法律辞典としても使用できた。(定価記載なし)
第3章 アジア諸言語ほか
本章では、日本人がアジア諸地域へと出かけ、現地の人々と交流していく中で、次第に整備されていった様々な言語の辞書(語彙集や学習書を含む)をご紹介します。
アジア諸地域の言語は、それらの地域や国家との通商や外交など、日本と直接交流する機会が多かったために、外国語学校などでの教育も通訳の養成の方に重点が置かれました。そのため、当初は教材や辞書については江戸時代に作られたものを引き続き活用したり、実際に現地に赴いた人々が簡易な辞典や用語集を作成するなどに留まっていましたが、明治時代の半ば頃から、次第に体系的な本格辞書も作成されるようになりました。
第1節 江戸時代の成果の継承−日清戦争以前
江戸時代は、主に長崎や対馬などの海外と交流のあった場所で通詞養成のための教育が行われていました。明治時代に入ると、東京を中心に全国各地で官立の語学学校が開設され、1873(明治6)年には東京外国語学校(現在の東京外国語大学の前身)が開学しました。
これらの語学学校では、英・独・仏語のほかに、ロシア語や中国語、朝鮮語などの教育も行われました。当初は、教師が江戸幕府語学伝習所の出身であったり、江戸時代から使用されている語学書を教材として使うなど、それは江戸時代の成果を継承したものでした。
【ロシア語】
〔 〕 : 開拓使, 1873(明治6)年
【YDM84627】[近代]
幕府の遣露伝習生出身で開拓使官吏の緒方惟孝が編纂した分類別の日本語・ロシア語対訳の語彙集で、収録語は3,000語を超える。1872(明治5)年に開拓使が開設した函館学校魯語科(函館魯学校)での教材用に作成された。本書は、『魯西亜単語篇』(山本松次郎著 〔長崎〕 : 晩成舎 1871(明治4)年 【YDM301454】)に続く語彙集であるが、本格的な辞書の登場は『露和字彙』(文部省編輯局 〔東京〕 : 1887(明治20)年 【YDM84645】)を待たねばならなかった。(定価記載なし)
【朝鮮語】
下関 : 白石直道, 1883(明治16)年
【YDM82536】[近代]
対馬藩儒者で朝鮮との外交を担当した雨森芳洲が18世紀に編んだ朝鮮語の学習書で、江戸期を通して対馬藩の語学学校を中心に教材として使用された。本書は、民間人で朝鮮語に堪能であった宝迫が校正し、外務省雇朝鮮語学教授浦瀬裕が増補したもので、1881年刊行の初版本の再版である。(定価記載なし)
【中国語】
東京 : 九春堂, 1884(明治16)年
【YDM82400】[近代]
漢字字典は、江戸時代から使用されていたものが多く引き続き使用された。しかし、従来の字典ではカバーできない国の小説や新聞で使われる「俗語」に対応する必要に迫られて作成されたのが本書。字画索引・いろは索引がある。中国語(北京語)は、1876(明治9)年より東京外国語学校で教えられるようになったが、日清戦争以前の中国語辞書は、他に『支那貿易物産字典:一名・支那通商案内』(上野専一編 東京 : 丸善 1889(明治21)年 【YDM44229】)など僅かに留まる。(定価70銭)
第2節 日本人の海外体験の成果−日清戦争以降
日清戦争の前後から、日本人のアジア諸地域における海外体験の増加と軌を一にして、アジア諸言語の語彙集や会話辞典の出版点数が増えます。中国語や朝鮮語のほか、モンゴル語や樺太アイヌ語の語彙集も登場しました。また、韓国語や台湾語については、本格的な辞書も編まれるようになりました。
ここでは、当時、実際に現地に赴いた人々が後進のために残した成果をご紹介します。
【台湾語】
大阪 : 中村鍾美堂, 1895(明治28)年
【YDM82441】[近代]
本書は、日本が台湾を植民地下に置いた直後に出版された簡易な語彙・例文集。台湾語・文に対して、それぞれにカナ発音、日本語訳を付す。著者の岩永六一は、澎湖島に駐留した日本軍(混成枝隊)の通訳官を務めていた。政府は、後に『日台小辞典』(台湾総督府編 東京 : 大日本図書 1908(明治41)年 【YDM82502】)という官製辞典を刊行することになる。(定価記載なし)
【韓国語・中国語・英語・ロシア語】
(23) 日韓清英露五国単語会話篇 / 堀井友太郎編
大阪 : 名倉昭文館, 1905(明治38)年
【YDM204707】[近代]
日露戦争(1904-1905)後の大陸経営において「最モ必要ヲ感ズルモノハ則チ内外国日用ノ会話ナリ」として編まれた簡易な語彙・例文集。各語・文について五カ国語での読みを表記しているが、中国語と韓国語とロシア語の一部はカナ表記のみで各語での表記は付されていない。(定価12銭)
【朝鮮語】
(24) 日韓いろは辞典 / 柿原治郎著 朴容観閲
東京 : 東邦協会, 1907(明治40)年
【YDM82555】[近代]
『交隣須知』以降、1894〜1895(明治27〜28)年の日清戦争前後に簡易な単語集や会話集は数多く出版されたが、本格的な「日韓語の辞書の嚆矢」となったのは、本書である(約7,100語の日本語を収録。)。朝鮮語の文法解説も附録として収録されている。著者は、朝鮮国内での教育に従事し、日露戦争では通訳を務めた。(定価1円65銭)
【モンゴル語】
(25) 蒙古語独修 / 村田清平編
東京 : 岡崎屋書店, 1910(明治43)年
【YDM82600】[近代]
著者は陸軍兵士で、1906(明治39)年から翌年にかけてモンゴルを踏査し、帰還後、それまではなかったモンゴル語の日用語・会話を収録した本書を著した。日露戦争の際、ロシアは食糧用の牛馬をモンゴルから得ていたことから、今後はモンゴルの実情を知る必要があると感じ、本書を刊行したという。(定価25銭)
【マレー語】
(26) 馬来語集 / 釣田時之助, 松田英一編
大阪 : 三光堂, 1912(明治45)年
【YDM82597】[近代]
明治時代後期は、オセアニアや東南アジア島嶼部への積極的な貿易・移民事業の展開を主眼とする「南進論」が唱えられた時期でもあった。マレー語は、東南アジアからで広く通用しており、本書は、マレー語の簡易な実用語彙集で、カナ表記の単語や例文およびその日本語訳を収録する。著者の一人釣田は、積極的な南進論者で、『南洋の富』(大阪 : 三光堂 1911(明治44)年 【YDM41525】)も著している。(定価2円)
(27) 新編馬来語独修 / 山道儀三郎編
東京 : 岡崎屋, 1912(明治45)年
【YDM82582】[近代]
本書は、マレー語の簡易な文法解説書、語彙集。マレー半島は、明治時代にはすでにゴムの産地として有名であったため、本書にもゴム栽培に関する例文が多く収録されている。なお、本格的な辞書の登場は、『馬日辭典』(越智有著 [台北] : 南洋協會臺灣支部 1923(大正12)年 【KL122-H2】)を待たねばならなかった。(定価25銭)
◆コラム◆アイヌ語と琉球語
明治時代には、言語学の素養を持った外国人によって、琉球語、アイヌ語についての研究が行われ、それらの成果は、辞書・文法書としてまとめられ、その後の日本人による言語研究の基礎となりました。
【琉球語(方言)】
(I) Essay in aid of a grammar and dictionary of the Luchuan language / Basil Hall Chamberlain.
Yokohama : Kelley and Walsh, 1895(明治28)年
【YDM108454】[近代]
イギリス人のチェンバレンは、東京帝国大学の教師として日本に滞在し、古事記やアイヌ語、琉球語など幅広い日本研究に従事した。本書は、琉球語の文法書・辞書で、その後の琉球方言研究の嚆矢となった。日本人による沖縄語の辞書としては、『沖縄語典』(仲本政世著 那覇区(沖縄県) : 永昌堂 1896(明治29)年 【YDM81962】)がある。(定価記載なし)
【アイヌ語】
(J) 蝦和英三対辞書 / ジョン・バチェラ(Batchelor, John)著
〔札幌〕 : 北海道 1889(明治22)年
【YDM204855】[近代]
イギリス人のジョン・バチェラーは、1877(明治10)年より64年間、宣教師として北海道に滞在し、北海道やアイヌ文化に関する多くの書物を著した。本書は、アイヌ語・日本語・英語の対訳辞書兼文法書であり、約20,000語を収録する。(定価記載なし)
参考文献
【第1章に関わるもの】
図書
東京 : 研究社, 1999.6
【KS49-G122】
英和・和英辞典の誕生: 日欧言語文化交流史 / 岩堀行宏著
東京 : 図書出版社, 1995.4
【KS49-E131】
三代の辞書 : 英和・和英辞書百年小史 改訂版 / 町田俊昭著
東京 : 三省堂, 1981.11
【KS49-58】
日本英語辞書年表 : 終戦まで / 早川勇編纂
岡崎 : 岡崎学園国際短期大学・人間環境研究所, 1998.5
【KS49-G129】
日本の辞書の歩み / 辞典協会編
東京 : 辞典協会, 1996.11
【KF93-G3】
雑誌記事
ウェブサイト
【第2章に関わるもの】
図書
東京 : 東京堂出版, 1977.3
【UP43-3】
日本史のなかのフランス語: 幕末明治の日仏文化交流 / 宮永孝著
東京 : 白水社, 1998.5
【GB421-G45】
日本の近代科学史 / 杉山滋郎著
東京 : 朝倉書店, 1994.4
【M32-E33】
日独文化人物交流史: ドイツ語事始め / 宮永孝著
東京 : 三修社, 1993.11
【GB73-E24】
明治学制沿革史 / 黒田茂次郎, 土館長言共編
東京 : 有明書房, 1989.10
【FB14-E51】
雑誌記事
熊本大学教養部紀要. 外国語・外国文学編 Vo.24 1989 p.1-14
【Z12-406】
【第3章に関わるもの】
図書
東京 : 辞典協会, 1989.1
【KE94-E3】
雑誌記事
明治大学人文科学研究所紀要 Vol.56 2005.3 p.1-21
【Z22-204】
ウェブサイト
明治の越境者たち—近代デジタルライブラリー収録資料に見る日本人の海外体験 (第138回常設展示)