Correspondence (Top Secret) of the Manhattan Engineer District 1942-1946

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憲政資料室 作成

資料群名(日本語)
マンハッタン工兵管区(最高機密)往復文書
請求記号
CME-1
資料形態
マイクロフィルム
数量
5巻
主言語
英語
主な内容
グローブスがマンハッタン工兵管区司令官時代に自ら保管していた最高機密文書(全51ファイル)。各ファイルの中には、往復文書、書簡、覚書、報告、メモ、その他作成資料、刊行物などが収められている。特に標的委員会(Target Committee)記録、マンハッタン工兵管区の最初の技師であったジェームズ・マーシャル大佐の日記(1942.6.17~10.28)、などがある。
旧蔵者
Leslie Richard Groves
生没年
1896-1970
履歴
レスリー・グローブスは、1939陸軍大学卒、1940参謀本部建設次長、1942.9-1946.12マンハッタン工兵管区司令官、1944少将昇任、陸軍特別武器プロジェクトの責任者、1948.2退役。
マンハッタン工兵管区(DSM管区)は、1942年8月13日に設置され、原子爆弾プロジェクトに係る研究・開発及び実験の監督、ウラン濃縮を行うテネシー州オークリッジのクリントン工場、プルトニウム生産を行うワシントン州リッチランドのハンフォード工場及び核分裂性物質の最終処理と爆弾への装着を行うニューメキシコ州ロスアラモス実験場といった各研究所及び実験場の管理、施設・人員の維持管理を所掌した。管区といっても地理的な管轄区域があるわけではなく、任務として原爆開発計画の指揮という特別な管轄領域があった。
「マンハッタン」の名称は、同管区の本部が一時的にニューヨークに置かれたところから付けられたものである。当初のDSM(Development of Substitute Materials、代替材料開発)という名称が、聞いた人の好奇心をかきたて好ましくないとされたためであった。
原所蔵機関
マンハッタン工兵管区の文書は、1946年末をもって廃止され、その文書は原子力委員会(AEC)に引き継がれた。しかしその後も、本文書を含む陸軍省の重要な施策や作戦に関する文書は、グローブスにより保持し続けられた。グローブスは、マンハッタン工兵管区の後継機関である特殊兵器プロジェクトの責任者となったとき、これらの文書を同プロジェクトに寄託し、その後、陸軍省高級副官部等を経て、1958年に米国国立公文書館に移管された(RG77)。
受入
この文書は米国国立公文書館(NARA)がマイクロフィルム化して市販している(NARA Microfilm Publication Number:M1109)。当館では、1984年度に購入した。
検索手段
マイクロフィルム付属の目録(憲政資料室内備付冊子目録)
※米国国立公文書館のサイトのマイクロフィルムのカタログに目録のPDF版が掲載されている(米国国立公文書館のサイトのトップページ外部サイト から Research Our Records >Other Online Research Tools >Microfilm Catalogへ入り、Search & Browse NARA's Microfilm Catalogを「M1109」で検索)。
関連資料
関連文献
関連サイト
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※The Center for Research Libraries (CRL) のOnline Document Delivery Serviceでデジタル画像が閲覧できる。