Alfred Hussey Papers; Constitution File No. 1

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憲政資料室 作成

資料群名(日本語)
ハッシー文書 憲法ファイル
請求記号
Hussey
資料形態
原資料(総革装丁を施して保存)
数量
0点(2冊)
書架延長
0.4m
主言語
英語
主な内容
憲法ファイルは1946年2月1日の毎日新聞のスクープから3月6日の日本政府による憲法改正案要綱発表までの日本国憲法起草作業に関係するオリジナルを含む26文書。ほかに日本国憲法起草関係の4文書が収められている。すべて英文。
資料の構成
憲法ファイル
番外文書
旧蔵者
Alfred Rodman Hussey
生没年
1902-1964
履歴
弁護士、1942海軍大尉に任官(1944.11少佐、1945.12中佐)、1944.10-12台湾及び極東の地域研究のためにプリンストン大学海軍軍政学校、1945.1-6日本語及び日本地域研究のためにハーバード大学に付設された民政訓練学校(Civil Affairs Training School, CATS)に送られた。1945.8米太平洋陸軍軍政局(マニラ)、1945.9末に来日、1946夏から海軍を退役し陸軍省の文官の身分となり、1948.6まで GHQ/SCAP 民政局に所属。1945.10同局行政課計画担当(Planning Group, Public Administration Division)、1946.1同内務班長(Chief, Internal Affairs Unit)、1946.2統治機構の改革を担当した同課統治機構係長(Chief, Government Powers Branch)、1946.8統治機構課長(Chief, Government Powers Division)、1946.11局長特別補佐官を歴任。初期には労働省設置を担当し、日本国憲法のGHQ草案の起草に参画した。民政局報告 Political reorientation of Japan の第3章と第4章の執筆を担当(「ミシガン大学所蔵 ハッシー文書」92-A-2によると、第2章と第3章を執筆)。1948.7帰国し、1949.2中央情報局(CIA)に入り、1963.3退職。1964.4聴取のハッシーのオーラルヒストリー(上記「ミシガン大学所蔵 ハッシー文書」91-A-1、91-A-2に部分的に収録)でGHQの憲法草案起草作業についても語っている。
受入
1980年12月に日本研究者でハッシーと親交のあったロバート・E・ウォード(Robert E. Ward、当時ミシガン大学教授)が、日米友好基金委員長就任に際して来日し、その際当館を訪問した同教授により、マイロ・ラウエル(Milo E. Rowell)から預かった文書を当館に寄贈する旨の申し出があり、その後ほどなくして寄贈された。
このファイルは、ハッシー自身が統治機構課長当時入手することのできた1946年2月1日から3月6日にかけての日本国憲法起草作業に関係する文書すべてをまとめ、3部を作成したもの。オリジナルを含むNo. 1 はマッカーサー用、No. 2 はホイットニー用とされ、No. 3 はハッシー個人用とした。当館で所蔵するファイルは、No. 3 のハッシー用と書かれているものである。
このファイルが、ミシガン大学に寄贈されたその他の文書からいつ、またどういう理由で切り離され、ラウエルの手に渡ったのかは、明らかでない。
関連資料
関連文献
利用上の注意
電子展示会「日本国憲法の誕生」の「文書庫」に掲載されているデジタル画像、紙焼きコピーを製本した冊子“Hussey Papers”(憲政資料室内開架。請求記号:AQ-6)またはマイクロフィルム(請求記号:SAH-1)を利用。