春日あかね関係資料

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憲政資料室 作成

請求記号

移民(三)メキシコ-4

資料形態

原資料

書架延長

約5cm

主言語

日本語, スペイン語

主な内容

主に、句歌の集まり、日系移民子弟の教育問題、メキシコの様子などに関する春日あかねのエッセイから成る。その他、ルイス・エチェベリア元メキシコ大統領の来日に関する新聞記事の切り抜きなども含まれる。

資料の構成

1967-1981年頃作成

  • 1-1天国に財を積まれた松田先生(1978年)(原稿のコピー) 1冊
  • 1-2久保田大使御夫妻と句歌の集(1973年6月)(原稿のコピー) 1冊
  • 1-3授業参観日(原稿のコピー) 1冊
  • 1-4ノパル-同好の集-みるぱの歩み(1978年2月) (原稿のコピー) 1冊
  • 2-1マサトランの浜で(1981年4月) (原稿のコピー)  1冊
  • 2-2或るおばあさんのお願い(1967年5月) (原稿のコピー) 1冊
  • 2-3春日あかね新聞切抜集 1冊

※「移民(三)メキシコ-4」の後に、各資料の番号を付して閲覧請求する。

旧蔵者

春日光子 別称:春日あかね

生没年

1914-2002年

出身地

長野 上伊那郡伊那町

履歴

春日あかね(本名は光子。あかねは歌人としてのペンネームである。)は、1914年に長野県伊那町(現在の伊那市)中小沢で小沢伊那雄とゆきえの三女として生まれる。1936年にセリトス市の百貨店・岩垂商会に勤める春日勉(1910頃-1973)と結婚し、メキシコに渡る。後に、勉が独立し食料品店を始めたためカルデナス市に移住。第2次世界大戦下の1942年に出された移転命令のため、メキシコシティに一家は移住。戦後、菓子、おもちゃ、文房具、水産加工品などの事業を広げる。第二次世界大戦中はメキシコシティに移住していた日本人数人と共に「ノパル」という句歌集を発行。また、戦後は、1955年から「同好の集」、1973年から「みるぱ」を句歌仲間と共に発行。勉との間に6人の子を儲け、長男はメキシコ・ヤクルト社の社長も担ったカルロス春日(1937年-)。2002年没。
※旧蔵者の履歴記述のため参考にした資料
・春日あかね「あとがき」『あかね : 句集』1985.9.【当館請求記号:VE803-4】
・春日あかね「あとがき」『あかね : 短歌』1985.9.【当館請求記号:VE803-5】
・「移民の心を句歌集に 春日あかねさん_素顔」『朝日新聞』1985.7.21.

受入

メキシコ現地で収集にあたっていた当館職員(昭和 63 年度~平成 4 年度駐在)が寄贈を受けた。

関連文献