布施常松関係資料

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憲政資料室 作成

請求記号

・移民(三)メキシコ-42(原資料)
・VE603-12(マイクロフィルム)

資料形態

・原資料約10cm
・写真1枚(モノクロ:23x17cm)
・マイクロフィルム1本

主言語

日本語

主な内容

常松・リヨ夫婦、娘婿の四郎、孫の立統に関する文書で、主にメキシコで作成されたものである。
布施常松・リヨや竹村立統の戸籍謄本、帰化証、登録届、在留申告書、常松の肖像写真、知人の住所などが書かれている常松の手帳、竹村四郎と一家宛の手紙、常松と四郎の業績を紹介した雑誌記事、常松、リヨ、キリ宛の手紙、立統の日記、常松のスケッチブックが含まれている。
手紙や日記には、家族のこと、農場の仕事のこと、日々の出来事、信仰に関すること、個人的な回想などが書かれている。手紙は、四郎や一家に宛てた四郎の娘美奈子の死を悼む内容のものや、常松が日本に向け渡航しているときの常松とリヨのやりとりが多くを占める。

資料の構成

1910-1987年作成

  • 移民(三)メキシコ-42(原資料)
    1. 布施常松戸籍謄本(滋賀県神崎郡旭村 1932年12月13日付)
    2. 帰化証(布施常松)(1913年12月12日付、スペイン語)
    3. 登録届(在メキシコ日本大使館の印有り)(布施常松・リヨ)(1910年4月1日付)
    4. 在留申告書(竹村立統)(1937年4月付)
    5. 布施常松写真(23x17cm)
    6. 布施常松手帳(16x10cm、日本語及びスペイン語)
    7. 竹村四郎及び竹村一家宛書簡 34通(1949年頃、日本語及びスペイン語)
    8. 布施常松・竹村四郎関係雑誌記事コピー 6枚
     ・大塚甫「メキシコの大地に描く・竹村四郎の生涯」『婦人之友』62(5), 1968.5, pp.50-53.
     ・尾崎枕「三代の遺産 メキシコ移民90年の光陰」『婦人之友』81(7), 1987.7, pp.20-22.
     ・尾崎枕「原生林に見出したもの」『婦人之友』81(7), 1987.7, pp. 216-218.
    9. 書簡 12通(閲覧はVE603-11(マイクロフィルム))
     ・リヨ宛常松書簡 8通(1932年)
     ・常松宛リヨ書簡 1通(1932年頃、松本英二からの手紙含む。)
     ・リヨ宛塚本虎二書簡 2通(1933年、1950年)
     ・キリ宛ひで書簡 1通(作成年不明)
    10. 立統の日記 1冊(1939年)
  • VE603-12(マイクロフィルム)
     ・布施常松のスケッチブック

※「移民(三)メキシコ-42」の後に、各資料の番号を付して閲覧請求する。

旧蔵者

布施常松

生没年

1875-1932年

履歴

布施常松は、1875年に布施利助・とみの長男として滋賀県で生まれる。帝国大学農科大学(後の東京大学農学部)で学ぶ。在学中に「東京独立雑誌」を読んだことがきっかけで内村鑑三主催の日曜集会に通い、キリスト教徒となる。同郷の先輩であった衆議院議員藤野辰次郎に誘われ、メキシコチアパス州ソコヌスコ郡の藤野農場で働くため1900年にメキシコに渡る。なお、藤野農場の前身であった榎本植民地は、元外務大臣榎本武揚が設立した植民協会が進められたが数年で失敗した。そこで、藤野がメキシコ政府との官有地払下げ契約を引き継いだことにより藤野農場が誕生。
1916年に藤野農場から独立しハラッパ農場を営む。乳牛の改良など畜産業を営みつつ、コーヒーやカカオ豆等の農産物の生産も行う。1932年、墨洋丸船中に太平洋上にて没。
1900年にリヨ(1880年-?)と結婚。1910年にキリ(1895年-?)を養子とする。キリは後に、常松の大学の後輩であり、開拓地で働くため1911年にメキシコに渡った竹村四郎(1889-1979年頃)と結婚。キリと四郎は息子の立統(1916-1997年頃)、娘の久子(1918年-?)、浜子(1921年-?)、美奈子(1927-1949年)を儲ける。

受入

原資料と写真は、1989年に常松の孫である竹村立統氏から、メキシコ現地で収集にあたっていた当館職員に寄贈された。マイクロフィルムは、1989年にメキシコ大学院大学のダニエル・コシオ・ヴィレガス図書館特別コレクション日墨協働会社文書の一部を複写して一星が作成したもの。

関連文献