重光葵関係文書

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憲政資料室 作成

受入事項
所蔵
資料形態
原資料
数量
1,651点
書架延長
9m
旧蔵者
重光葵 (しげみつまもる)
旧蔵者生没年
1887-1957
旧蔵者出身地
大分
旧蔵者履歴
1887.7.29重光直愿の次男として大分生まれ。1898.7伯父重光彦三郎の養嗣子。1904.3杵築中学校卒業、1907.3第5高等学校独法科卒業、1911.7東京帝国大学独乙法律学科卒業、1911.11外交官補・ドイツ在勤、1914.8イギリス在勤、1916.12大使館三等書記官、1918.2アメリカポートランド領事、1918.12欧州出張、1919.2パリ講和会議全権委員随員、1920.8外務省参事官・通商局兼勤、1921.7外務書記官兼外務省参事官、条約局第一課長、1923.8条約局第2課長兼勤、1925.1公使館1等書記官・中国在勤、1925.10中国関税特別会議の日本代表随員、1927.12大使館参事官・ドイツ在勤、1929.2上海総領事、1931.8駐華特命全権公使、1932.4上海の天長節祝賀式で爆弾テロに遭い負傷、1932.5上海停戦協定調印、1932.6帰国静養、1933.5外務次官、1936.8駐ソ特命全権大使、1938.9駐英特命全権大使、1941.12駐華特命全権大使、1943.4東条内閣外務大臣、1944.7小磯内閣外務大臣、大東亜大臣兼任、1945.8貴族院議員(勅選)、1945.8東久邇宮内閣外務大臣兼大東亜大臣、1945.9日本政府首席全権として米艦ミズーリ号上で降伏文書に調印、1945.9外務大臣辞任、1946.4A級戦犯容疑者として逮捕、起訴、1946.12公職追放、1948.11極東国際軍事裁判で禁固7年の判決、1950.11仮釈放、1951.11減刑、刑期満了、1952.3公職追放解除、1952.6改進党総裁、1952.10衆議院議員(第25~27回総選挙当選)、1954.11日本民主党副総裁、1954.12第1次鳩山内閣副総理兼外務大臣(第3次鳩山内閣まで継続)、1956.7対ソ連国交正常化交渉全権委員、1956.12国連加盟に際し日本政府代表として演説、1957.1.26死去。
電子展示会へのリンク
旧蔵者
重光蔵 (しげみつおさむ)
旧蔵者生没年
1904-1988
旧蔵者履歴
1904.5.31生まれ、1924.3佐賀高等学校文科卒業、1924.4東京帝国大学法学部政治学科入学(病のため休学ののち依願退学、1930.4再入学)、1932.3東京帝国大学法学部政治学科卒業、1932.5南満州鉄道株式会社東京支社東亜経済調査局入社、1934.10満鉄本社経済調査会第5部に転勤、1937.6依願退職、1937.6東亜同文書院講師、1938.4東亜同文書院教授、1942.6東亜同文書院大学教授、1943.1在上海帝国大使館臨時嘱託、1943.3解嘱託在上海帝国大使館、1943.9東亜同文書院大学教授を依願退職、1943.11国際法学会特別幹事、1943.11東方文化学院東京研究所研究員、1944.5日本学術振興会文科科学資料研究会幹事、1944.6外務省事務嘱託(調査部第1課)、1946.8日本学術振興会文科科学資料研究会幹事を退く、1946.11解嘱託外務省、1946.11東方文化学院東京研究所研究員を依願退職、1949.7新制大学教員資格審査の結果教授に合格、1949.8大分大学大分経済専門学校教授兼大分大学教授、1951.3兼職解除、1968.4停年退職、1968.6大分大学名誉教授、1988.9.2死去。
受入
2012年2月、個人より寄託(同年3月9日公開)を経て2021年11月、個人より寄贈
主な内容
重光葵の生家に所蔵されていた、重光葵と重光蔵(葵弟)の旧蔵資料。戦前・戦中期の資料が大半を占めており、書類の部には外務省を中心に大東亜省や興亜院などの省庁関係資料や満鉄関連資料が複数所収されている。このほか1930~40年代に発行された中国、ソ連、ナチスなどの情勢に関する一般刊行物も多数収録し、そのなかには英文、中文、独文の文献も少なくない。また、葵の作成と思われる新聞記事のスクラップブック(資料番号1303以降を参照)を12点含んでいる。書簡はとりわけ明治・大正期のものが多く、家族間の近況報告や重光家の家政問題に関する話題が主である。発信者別では、重光葵発信家族宛書簡が全体の過半を占める。
検索手段
複製
次の資料はマイクロフィルムで利用。 資料番号148,149,407,502~513,598~605,655~660,672~681,785,1038~1040,1188,1578
関連資料の所在
  • 「重光葵関係文書」衆議院憲政記念館(東京都千代田区)に寄託
  • 重光葵記念館(神奈川県足柄下郡湯河原町)に書類
  • 山渓偉人館(大分県国東市)に遺品及び史料
  • きつき城下町資料館(大分県杵築市)に若干の関連資料
  • 大分県立先哲史料館(大分県大分市)に文書、写真
  • 大分県立杵築高等学校十王会館(大分県杵築市)学生時代の文書、写真
  • 無迹庵(重光葵生家)(大分県杵築市)に史料、遺品、教育書
関連文献
【資料紹介】
武田知己「重光葵関係文書と松村謙三関係文書を中心に」『「近現代日本の政策史料収集と情報公開調査を踏まえた政策史研究の再構築」研究成果報告書』、近代日本史料研究会、2005
武田知己「重光葵」『近現代日本人物史料情報辞典』2、吉川弘文館、2005(「近現代史の人物史料情報」『日本歴史』895、2022.12に追加情報あり)
中澤俊輔「重光葵関係文書」御厨貴編著『近現代日本を史料で読む』中公新書、中央公論新社、2011
「憲政資料室の新規公開資料から」『国立国会図書館月報』615・616、2012.6・7
【資料集(翻刻)】
『重光葵手記』正・続、伊藤隆・渡辺行男編、中央公論社、1986、1988
『満州事変と重光駐華公使報告書』服部龍二編、日本図書センター、2002
『重光葵 最高戦争指導者会議記録・手記』伊藤隆・武田知己編、中央公論新社、2004
『重光葵・外交意見書集』第1巻~第3巻、武田知己監修・解説、重光葵記念館編、現代史料出版、2007~2010
【本人著作】
『昭和の動乱』上・下、重光葵、中央公論社、1952
『外交回想録』重光葵、毎日新聞社、1953(中公文庫、2011)
『巣鴨日記』、『続巣鴨日記』重光葵、文芸春秋新社、1953