国際博覧会歴史事典
内山工房/1999.7.
当館請求記号:D7-G26
目次
<目次>
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第一部博覧会の歩みとその変化1
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第一章博覧会の起源2
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一近代博覧会の原形3
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二産業革命と博覧会4
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第二章国際博覧会の誕生9
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一自由貿易体制への挑戦と国際博覧会9
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二第一回国際博覧会「ロンドン博」の成功11
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第三章花開く国際博覧会13
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一高まる国際博覧会への期待13
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(一)新大陸初の国際博覧会 = ニューヨーク博13
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(二)低調に終わったダブリン国際博(アイルランド)14
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(三)新機軸を打ち出したパリ万国博15
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(四)国家間競争のイメージを強めた第二回ロンドン博16
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二次第に規模と内容を拡大する国際博覧会18
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(一)世紀の祭典のイメージを確立した第二回パリ万国博18
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(二)都市整備を促進した国際博覧会24
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(三)新興国アメリカの力を示したフィラデルフィア国際博28
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(四)文明大国の底力を示した第三回パリ万国博31
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三構造変化が進む国際博覧会34
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(一)国際博覧会も植民地重視の時代へ34
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(二)政治やイデオロギーの排除に努めた第四回パリ万国博35
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(三)都市を一変させたシカゴ国際博41
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(四)万国博の中の万国博と謳われた第五回パリ万国博46
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第四章十九世紀型国際博覧会の終焉51
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一限界に達した国際博の規模拡大競争51
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(一)規模拡大の極限に達したセントルイス国際博51
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(二)続く小規模な国際博の乱立状態55
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二国際博覧会条約の成立57
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(一)国際情勢の緊迫と国際博覧会の変質57
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(二)国際博覧会条約制定の動き58
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(三)第一次世界大戦と国際博60
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(四)国際博覧会条約の制定63
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三統一主題(テーマ)の登場64
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(一)国際博初の公式テーマを掲げたシカゴ博65
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(二)国際間の対立が露呈したパリ美術と技術博66
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(三)アトラクティブな企業館が人気を集めたニューヨーク世界博67
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(四)第二次世界大戦中にも開催された国際博69
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第五章第二次世界大戦後の国際博覧会73
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一国際情勢の変化がもたらす国際博への影響73
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(一)ハイチで開催された第二次世界大戦後初の国際博74
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(二)明確な理念を打ち出したブリュッセル国際博76
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(三)科学力の誇示と米国の威信をかけて開催されたシアトル世界博81
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二劇的な変化を遂げる国際博の内容と構造83
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(一)商業主義が前面にでたニューヨーク世界博83
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(二)加速する"動的展示"への転換とディズニーの活躍86
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(三)理念を重視し新たな空間感覚を提示したモントリオール博90
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(四)コンベンション都市の基礎を拓いたヘミスフェア(サンアントニオ国際博)95
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三新たな構造を模索する国際博97
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(一)史上最小の開催都市の記録を創ったスポケン国際環境博97
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(二)波及効果の乏しかったノックスビル国際エネルギー博99
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(三)財政破綻で主催者が倒産したルイジアナ世界博102
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(四)都市経営戦略の一環として開催されたバンクーバー国際交通博107
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(五)新たな方向を示唆するブリスベン国際レジャー博115
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(六)国威を賭けた「グレート・フィエスタ」セビリア万国博123
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(七)主催者組織の弱体を露呈した「ジェノバ国際船と海の博覧会」133
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(八)発展途上国の実力を見直させた大田国際博145
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(九)一九〇〇年代の掉尾を飾る「リスボン国際博」157
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第二部国際博覧会と日本165
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第一章国際博に初登場した日本166
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一日本と国際博覧会との"であい"166
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(一)第二回ロンドン博と工芸品の出品166
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(二)日本人の目にうつった国際博168
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二初めて日本が参加した第二回パリ万国博170
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(一)会場内の人気を集めた日本の展示170
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(二)鉢合わせした二つの日本出展(幕府と薩摩の争い)171
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第二章幻となった国際博の開催構想173
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一不況と財政悪化から中止となった日本大博覧会173
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(一)日ロ戦争の勝利の余勢を駆って国際博の開催を構想173
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(二)西園寺内閣の倒閣で計画は中断175
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二緊迫する国際情勢から開催不能となった日本万国博覧会176
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(一)各界からの提唱で動きだした国際博の開催構想176
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(二)紀元二六〇〇年記念 日本万国博覧会の開催決定178
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(三)内憂外患の中での日本万国博の開催断念180
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第三章開国以来の積年の夢を実現した「日本万国博」181
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一アジアで初の国際博の開催を目指す181
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(一)「日本万国博」構想とその背景181
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(二)開催に向けて活発化する各地の誘致運動182
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(三)最後まで難航した開催地の決定185
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二多くの難問を克服しつつ進められた開催準備188
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(一)厳しい日程のなかで綱渡りの開催申請188
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(二)揉めたBIE理事会、難産の末の開催決定190
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(三)大阪国際博覧会準備委員会の発足193
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(四)難航した日本万国博協会の会長人事196
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(五)急ピッチで進められた登録への準備作業197
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(六)名称は「日本万国博覧会」に統一、会期は春季型に199
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三日本の叡知を結集して練り上げられた基本理念・テーマ202
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(一)開催申請までにテーマが決定できず考え方だけを示す202
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(二)実質的に白熱の論議が闘わされたテーマ委員会204
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(三)テーマの展開とサブ・テーマ206
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四変則的な進め方をとった会場計画の策定作業207
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(一)会場計画委員会の発足と京都大学グループの調査207
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(二)会場基本計画の課題と問題点209
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(三)計画作業の前半は西山卯三 + 京都大学グループが主導212
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(四)高まる会場への鉄道乗入れの要望215
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(五)続出する各方面からの様々な要求・要望216
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(六)丹下健三を中心に進められた後半の計画作業218
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五基幹施設プロデューサーと協力建築家たち220
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(一)設計者の選定を建築顧問会議に諮る220
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(二)基幹施設プロデューサーに丹下健三氏を選定221
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六社会の関心を集めたテーマ展示「太陽の塔」224
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(一)テーマ委員会から勧告された「テーマ展示」への強い要望224
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(二)型破りのテーマ展示プロデューサー「岡本太郎」の登場225
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(三)テーマ展示計画策定にあたっての基本的な考え方228
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(四)時間に追われながら事務所探しから始めた計画作業232
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(五)各界の叡知を集めて練り上げられたテーマ展示計画236
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七日本万国博のシンボルとなったテーマ展示239
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(一)立体的に三つの空間の統合によって壮大な宇宙観を表現239
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(二)地下展示は『過去-根源の世界」241
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(三)太陽の塔内展示は『生命のエネルギー』245
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(四)空中展示『未来-進歩の世界」246
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(五)地上展示「現在-調和の世界」252
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八多くの国際協力に支えられたテーマ展示253
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(一)岡本プロデューサーが各国を歴訪、政府代表会議でも協力を要請253
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(二)東京・京都両大学の協力で集められた世界各地の文化遺産254
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九新たな時代を拓いた日本万国博262
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(一)直接テーマを展開して見せた会場配置と空間構成262
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(二)敗戦の痛手を乗り越えて国際社会の表舞台に263
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(三)名実ともに国を挙げての祭典となる268
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第四章沖縄の本土復帰を記念する「沖縄国際海洋博覧会」271
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一高まる国際博覧会への関心との開催熱271
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(一)沖縄の本土復帰の動きと連動した国際博の開催構想271
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(二)開催実現を促進した地元の強い要望と熱意273
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二オイルショックの影響で会期を変更278
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(一)本土復帰で沖縄県が誕生278
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(二)会場整備工事を直撃したオイルショック280
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三多くの悪条件を克服しつつ実現した国際博284
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(一)課題となった観客誘致と交通輸送対策284
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(二)復帰直後の沖縄に有形無形の大きな影響を残す286
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第五章多くの問題を露呈した国際科学技術博覧会289
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一科学技術庁の発案で始まった国際博の開催構想289
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(一)筑波研究学園都市の熟度を高めるために289
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(二)博覧会国際事務局への登録申請290
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(三)国際科学技術博覧会協会の設立292
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二BIEから修正を要求されたテーマ293
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(一)特別博のカテゴリーに違反の指摘293
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(二)修正したテーマ(案)を再提出295
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三国際科学技術博が残したもの297
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(一)辛うじて目標入場者数を達成297
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第六章国際花と緑の博覧会・国際園芸博から特別博へ301
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一緑の国際フェスティバルから国際博への方向転換301
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(一)大阪市制百周年記念行事が発端となる301
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(二)先ず国際園芸家協会(AIPH)の承認を得てBIEへ303
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(三)国際園芸家協会(AIPH)と博覧会国際事務局(BIE)との関係304
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二初めて西欧の外に出た国際園芸博305
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(一)博覧会協会の設立と準備態勢の整備305
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(二)初の東洋開催を目指しての登録申請307
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三国際博の新潮流を示唆した国際花と緑の博覧会308
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(一)主役の座を譲った科学技術308
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(二)観客によって甦った建前だけの主役"花と緑"309
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(三)博覧会のイメージを変えた「花博」311
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国際博覧会年表313
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索引348