Department of the Navy, Office of the Chief of Naval Operations, Office of Naval Intelligence
歴史
米海軍訪日技術使節団報告(U. S. Naval Technical Mission to Japan)は、日本、中国及び南朝鮮において日本海軍のために行われたあらゆる科学技術の開発を調査するために、1945年8月14日にキング米合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長の指令により設置された。使節団は、同年9月23日にホノルルから佐世保に到着し、同地に本部を置き、各地に技術諜報班を派遣した。同年11月1日には、佐世保では情報収集や連絡に支障があるという理由で、本部を東京(芝浦停泊中のブラックフォード艦上と明治生命ビル)に移した。 調査は、海軍情報部(Office of Naval Intelligence, ONI)が終戦前に準備した海軍省各局の希望する情報及び特別に調査すべき対象をとりまとめたリストに基づき1945年9月に海軍作戦部長が作成・配付したIntelligence Targets Japan(「日本の諜報の対象」)に従って行われた。使節団のスタッフは、日本各地の海軍関係施設を訪問して、調査対象(特定の物又は技術的事項)について調査し、また日本海軍の元技術者等の尋問を行い、必要があれば文書や装備のサンプルの接収も行った。この調査の結果は報告書にまとめられ、報告書の草稿は1946年2月までに完成し、その後、日本国内には設備がなかったためホノルルの太平洋地域統合情報局で添付の図面の作図・印刷作業が行われた。同年3月には日本国内での調査が終了し、残ったスタッフも日本を離れ、本部はホノルルに移された。1946年11月に使節団は解散した。 同使節団は、解散までに総計655人のスタッフを擁し、185本の報告書をまとめ、約3,500の文書を接収しワシントン・ドキュメント・センターと海軍省技術局に送付し、約15,000の装備を接収し米国に送付した。(History of Mission, U.S. Naval Technical Mission to Japan(1948)所収の "Historical Narrative of U.S. Naval Technical Mission to Japan" による。)