Series Ⅱ: Memoranda, Minutes of Meetings, Notes on Conversations and Interviews, and Miscellaneous Papers (Reels 126- 128)
1929年から1933年にかけて及び1940年から1950年にかけての閣議関係メモ、会議議事録、会談・会見記録、雑文書。国体護持をポツダム宣言受諾の条件とする日本政府の声明への回答について話し合った1945.8.10のトルーマン大統領との会見記録、など。本来Series Ⅲに含まれるはずの“The Far Eastern Crisis: Recollections and Observation” の執筆に使用された資料もここに収められている。
Series Ⅲ: Speeches, Writings, and other Public Statements (Reels 129 - 136)
講演・演説、著作、その他の公表資料。
Series Ⅳ: Special Subjects (Reels 137 - 146)
主題ごとに分けられた文書類。
Series Ⅴ: Family Correspondence and Other Family Papers (Reels 147 - 159)
マイクロフィルム刊行時には、上記のシリーズに当てはまらないものとして末尾に収録された資料。上掲「検索手段」で紹介した現在の“Guide to the Henry Lewis Stimson Papers”における整理では、Series Ⅶ. Trips to Europe、Series Ⅷ. Correspondence, Speeches, and Writings of Others 及びSeries Ⅸ. The Office of the Secretary of War Under H.L. Stimson に相当する。
旧蔵者
Henry Lewis Stimson
生没年
1867-1950
履歴
1888イェール大学卒、1890ハーバード・ロー・スクール卒、1891.6ニューヨーク ウォールストリートの法律事務所に入る、1906.1ニューヨーク南部地区連邦検事長、1911.5-1913.3陸軍長官、1927-1929.2フィリピン総督、1929.3-1933.3国務長官、1930ロンドン海軍軍縮会議米国代表、1932.1.7日中間の武力による領土変更を認めないというスティムソン・ドクトリンを発表、1933弁護士業を再開、1940.7-1945.9陸軍長官、日系人の西海岸地域からの強制退去、原子爆弾開発計画・使用の決定に関与、原爆の京都への投下に反対、1945.9引退。 満洲事変から日本の国際連盟脱退までの極東情勢への対応についての回顧録である“The Far Eastern Crisis: Recollections and Observation” (1936)、ハービー・バンディの息子のマクジョージ・バンディ(McGeorge H. Bundy)がスティムソンと共同で執筆したスティムソンの伝記として、“On active service in peace and war” (1948)がある。本書にはスティムソンの日記・文書が各所で引用されている。原爆投下に対するアメリカ世論の批判を沈静化するために原爆投下決定に至るまでのことを書いたスティムソンの手記として、“The Decision to Use the Atomic Bomb”(Harper’s Magazine, Feb. 1947: 97-107)がある。
原所蔵機関
イェール大学図書館マニュスクリプト及び文書館(Manuscripts and Archives, Yale University Library)