国務、陸軍、海軍の3省は、1944年秋から、政治に関係する軍事的な問題に関して国務省の意見を徴し、かつ、3省すべてが共通の利害を有する、特に対外政策にかかわる問題に関し3省の意見を調整することにつき、従前のやり方を改善するために、非公式な協議を行った。国務省は、当初、極東問題を扱うための3省の代表から成る委員会を発足させることを提案していたが、協議の結果、3省間の広範な問題について協議する委員会を発足させる方向でまとまった。12月19日には、国務省ダン(James C. Dunn)(同月20日に国務次官補就任)(委員長)、陸軍次官補マックロイ(John J. McCloy)、海軍次官補ゲイツ(Artemus L. Gates)が出席し、初回の会合が開かれ、委員会の名称をState-War-Navy Coordinating Committee(略称SWNCCは、Swink(スウィンク)と発音された)とすることや組織について合意された。 後(1945年10月16日)に、「国務・陸軍・海軍三省調整委員会は、共通の利害に関わる問題について、国務、陸軍及び海軍省により講ぜられる措置につき合意を形成し、調整し、かつ国務、陸軍及び海軍長官の指導の下にこれに付託された政治に関係する軍事的な問題に関わる指針を策定するための機関とする。」と公式に定義された。さらに1946年4月25日には米国の占領政策の調整と戦場及び極東委員会のような連合国機関における米国代表への適当な経路を通しての連絡も所管することになった。 1947年7月制定の国家安全保障法により、空軍省が加えられ、名称も国務・陸軍・海軍・空軍四省調整委員会(SANACC)に変更され、1949年6月にその機能は国家安全保障会議の枠組みに吸収され、廃止された。 親委員会の下に極東、ヨーロッパ、ラテン・アメリカ、中近東、軍事情報管理(旧、技術情報保安管理)、再軍備、保安管理(旧、戦時情報局保安諮問会議)、対外政策情報、国家文書公表、特別研究・評価の各常設小委員会が置かれた。なお、1945年3月に敗戦後初期の対独政策を策定した国務、陸軍、海軍、財務の4省に対外経済庁を加えたドイツ非公式政策委員会の文書もSWNCC文書中に収められている。 極東小委員会(Subcommittee for the Far East)は、1945年1月13日に「太平洋と極東地域の管理に関して発生する問題を検討するための特別委員会」として発足し、同年2月22日、「同三省小委員会」、さらに同年2月16日「国務・陸軍・海軍三省極東小委員会」と改称された。同小委員会では、日本の無条件降伏や日本と朝鮮の占領政策について検討し、案を作成した。
原所蔵機関
米国国立公文書館(RG353)
関連文献
Brief History of the State-Army-Navy Air Force Coordinating Committee (Formerly SWNCC) and the Informal Policy Committee on Germany (IPCOG). 1948 ※SANACC事務局編のSWNCC(SANACC)略史。国務・陸軍・海軍三省(国務・陸軍・海軍・空軍四省)調整委員会十進分類事項ファイルのReel 1所収。
My life between Japan and America Harper & Row, c1986 【GK484-A14】 ※SWNCC極東小委員会委員長代理をつとめ、後に駐日大使となったライシャワー(Edwin O. Reischauer)の自伝。SWNCCの思い出について触れている。