第20航空軍は、B-29による重量爆撃の戦略的任務を遂行するために1944年4月統合参謀本部の直轄下に設置された。司令部はワシントンDCに置かれ、司令官はヘンリー・アーノルド(Henry H. Arnold)陸軍航空隊司令官が兼務した。同航空軍の設置時には、本州西部、九州、満洲への爆撃が可能な中国(成都)を前進基地(本拠地はカルカッタ)とする第20爆撃軍団を隷下に置いた。同爆撃軍団は1944年6月5日にタイのバンコク、15日に九州の八幡製鉄所に対し最初の爆撃を行った。日本本土の心臓部が爆撃可能となるマリアナ諸島を奪取した後の1944年10-11月には、同諸島を基地とする第21爆撃軍団が展開可能となり、爆撃機は、補給に問題があった第20爆撃軍団から、第21爆撃軍団に移された(第20爆撃軍団は1945年5月動員解除)。第21爆撃軍団は、1944年11月24日にサイパンから東京郊外(中島飛行機武蔵野工場)への最初の爆撃を行った。