海軍のニミッツ麾下の太平洋地域隷下の第10軍(陸軍)は、沖縄作戦(アイスバーグ作戦)による1945年4月1日の沖縄本島上陸後、占領地において軍政を開始した。1945年9月には軍政の実施主体は沖縄海軍作戦基地(Naval Operating Base, Okinawa)に移った。1946年7月1日、沖縄軍政は陸軍の所管となり、米太平洋陸軍(USAFPAC)(1947年1月以降極東軍)隷下の米西太平洋陸軍(AFWESPAC)(1947年1月以降フィリピン・琉球軍(PHILRYCOM)(1946年AFWESPAC一般命令第272号))隷下の琉球軍(Ryukyus Command)の管轄となった(1948年8月1日琉球軍はフィリピン・琉球軍から独立し(GHQ/SCAP一般命令第18号)、フィリピン・琉球軍はフィリピン軍となった)。軍政は、これらの軍に付設された軍政担当副司令官(Deputy Commander for Military Government)を長とする軍政府により実施された。 1950年12月15日、極東軍司令官マッカーサーの指令により、それまでの軍政府に代わり、琉球列島米国民政府(The United States Civil Administration of the Ryukyu Islands, USCAR)が設置され、軍政府の職務を引き継いだ。極東軍司令官が琉球列島米国民政府の長官、琉球軍司令官が同副長官となり、副長官の直下に民政官(Civil Administrator)、民政官の下に分野ごとに専門部局が置かれた。 1957年6月5日、軍の最高司令官としての権限に基づく大統領の行政命令第10713号により沖縄は極東軍司令官の指揮下から国防長官の直轄下に入り、琉球列島米国民政府の長として高等弁務官(High Commissioner)が置かれた。高等弁務官の下には従前どおり民政官を筆頭とするスタッフが置かれた。(組織図(PDFファイル:246KB)) USCARは、1971年6月17日に調印された「沖縄返還協定」により沖縄が1972年5月15日に本土に復帰するに先立つ同年5月12日に解散した。