第20爆撃軍団と第21爆撃軍団は、いずれもB-29による重量爆撃の戦略的任務を遂行するために統合参謀本部の直轄下に設置された第20航空軍(司令部ワシントンDC、司令官はヘンリー・アーノルド(Henry H. Arnold)陸軍航空隊司令官の兼務)隷下の部隊。 第20爆撃軍団は、本州西部、九州、満洲への爆撃が可能な中国(成都)を前進基地(本拠地はカルカッタ)とし、1944年6月5日にタイのバンコク、15日に九州の八幡製鉄所に対して最初の爆撃を行った。日本本土の心臓部が爆撃可能となるマリアナ諸島を奪取した後の1944年10-11月には、同諸島を基地とする第21爆撃軍団が展開可能となり、爆撃機は、補給に問題があった第20爆撃軍団から、第21爆撃軍団に移された(第20爆撃軍団は1945年5月動員解除)。 第21爆撃軍団は、1944年11月24日にサイパンから東京郊外(中島飛行機武蔵野工場)への最初の爆撃を行った。