青木義勇が長崎医科大学退職後、『同仁会診療防疫班』を執筆するため、同仁会当時の関係者に問合わせたのに対し、1973年~1976年に青木が受け取った回答書簡。「著者に対し各位はすべて好意的で、返信までの時期の長短、内容の精粗、利用上直接間接の差などはあっても、ほとんどのかたからなんらかの回答に接した。詳しい回想録を書いて下さったかたもあるし、一問一答から始まって次第に深入りしていただいたかたもあった。また、ほかからの情報を何気なく書いたところからこれがヒントになって新しい一事の追加となった場合もあった。」(同書 p. 3)という青木の述懐がある。