戦時補償処理に関する日本政府の司令部宛要請(未提出)

昭和21年5月31日 閣議了解

収載資料:昭和財政史 終戦から講和まで 第17巻 大蔵省財政史室編 東洋経済新報社 1981 pp.683-684 当館請求記号:DG15-19

去二十六日附(1)新聞紙上に財産税問題と併せ政府補償問題に就てレオ・チャーン氏の意見と称せられるものが掲載せられたるが為め日本の国民中には或は貴司令部に依り前記政府補償の全面的打切が命ぜられるにあらずやと危倶する者が甚だ多きに至った。幸か不幸か、只今日本は大部分の銀行預金の自由引出を禁じて居るから表面的には銀行取付の如き現象は起るに至らないが併し暗々裏に経済界に相当の不安を発生してゐることは覆ふべからざる事実と認められる。
政府補償問題の処理に関しては日本政府も予て種々の方面から研究を進めてゐる次第であるから此際本問題に関し率直に我々が今日抱ける見解を披?し閣下の御考慮を煩したい。
日本政府が幾何の補償を国民に支払ふ義務を負へるかの金額は、既に戦時中に発生せる行政の不整頓及び降伏当時の陸海軍の混乱に依り其の全体を正確に示すに足る証拠が備はってゐない。従て次ぎに掲ぐる数字は現在に於て略々確実と認められるものを集計したのに止まるが、而も尚其の総額は六百十七億一千二百万円に達する。
一般補償
一六、五〇〇百万円
戦争保険金
三九、三五〇〃
契約打切半製品代
四、九六二〃
産業設備営団と軍需企業との間の契約又は之に準ずべき
明白なる合意に依り同営団の債務たるべき設備建設費
九〇〇〃
合計
六一、七二一〃
そこで右の補償を直ちに全部カンセルする場合を考へるに、其の損失が国民中に如何に分布されるやは甚だ複雑で一々之を明かになし得ないが恐らく現在の諸会社の半数に近きものは破産を免れず、而して其の影響は此等の企業又は其の株式或は社債に対して金融を行へる銀行及び保険会社等に及び、延て其等の機関の預金者及び保険契約者に莫大の損害を与へることを免れないであらう。
従って若し右補償を一時に全面的に打切る場合にはさらぬだに立直りに困難を極めつつある産業界に新たな混乱を惹起し目本経済の構成に於て重要なる基盤をなせる中小企業までを窮地に陥らしめるであらう。のみならず金融界は俄に恐慌状態に陥り、現時施行せる預金封鎖の下に於ても預金取付現象が起り自由預金は全額引出されるに至るべく有らゆる金融機関は恐らく閉店を余儀なくされるであらう。若し然りとすれば政府としては一時モラトリアムを施行し右の混乱を防止するより外はあるまいと思はれる。
併し如何なる処置を政府が講じて一時の混乱は防ぐとしても不幸にして右の如き事態を一たび惹起する時は再び日本の経済が立直る時期は甚だ遅延し、其の間尨大なる失業者群を発生しさらぬだに食糧不足等に依り不安に陥りつつある社会は更に其の不安を深刻化するであらう。政府の財政も亦かの財産税の徴収が不可能に陥ることは云ふまでもなく全般に租税不払等の現象を生じ非常の困難に陥るであらう。止むを得ず紙幣の印刷に依り此の困難を切抜けるとすれば恐るべきインフレを発生する懸念がある。
右の次第であるから日本政府は補償に関しては次ぎの如く処理したい。
一、前記一般補償百六十五億円は既に前内閣に於て委員会を設けて調査し略ぼ之れが処理方針を決定した。之れに依ると百六十五億円を削減して約六十億円を支払ふ計算になってゐるが、併し我々の見る所に依れば此の百六十五億円の補償は全額之れを打切るも蓋し産業及び金融に堪へ難き支障を生ずることはない。
予て新聞等に論ぜられる補償打切とは多くは此の部分の補償に就て考へられたものである。故に政府は之れに対して全額打切を目標として急速に整理したい。
二、一般補償以外の補償四百五十二億一千二百万円に就てはそれが経済の安定と産業の復興とに必要なる限り支払を行ふ目標の下に速に調査を開始する。但し勿論其の査定は厳格に之れを行ひ、苟も不当の支出のなされざることを期する。又産業界及び金融界に基だしく不良の影響を与へざる限り、政府の支払額を出来る限り減少する方法を講ずる。
三、旧軍需会社にして民需転換可能なる企業にはレシーバー・アンド・マネージャー・システムのアイディアに基き第二会社を設立せしめ、生産の再開或は続行に支障なからしめると共に旧軍需会社をリクイデートする。
四、諸金融機関に就ても、前記と略ぼ同様の処置を講ずる。
五、復興金融会社(仮称)を設立して前記第二会社及び其他の平和産業に対して必要なる資金の供給に遺憾なからしめる。
以上の如くなす時は不幸なる混雑と不安とを経済界に与へることなく補償問題は最も合理的に解決し得るであらう。而して我々は戦時利得税及び財産税の公正なる徴収を行ひ得るから、仮令補償の一部は支払ふと雖も其の負担を不当に大衆に課すことを免れ得るであらう。而して同時に旧軍需会社と此等に金融せる金融機関はリクイデートされるから、今日の日本の経済に不相応な無用の会社や金融機関の存することはなくなるであらう。而して以上の処理に依って国民は更始一新安心して生産にはげむことが出来よう。
希くは閣下の御援助に依り日本政府をして以上のラインに副へる政策を遂行させられたい。

欄外 愛知県文書課長筆跡で筆書き記入。
(1) 五-三一閣議了解 本件はGHQ提案の方が先着した為先方には提出するに至らず。